幸せを育む庭


 高く昇ってきた太陽の光を受けたまっさらなシーツが、気持ちよさそうに風に靡いている。その隣には、私のワンピースとデンジ君のシャツが並んでいる。きっと、私の頬は緩んでいるに違いないわ。こんな些細なことでも幸福を感じてしまうのだから、一緒に住むって、結婚って、いいな。

「いいお天気。風も気持ちいいし、この調子だとすぐに乾きそうね」
(あれ? また洗ったの?)
「トリトドン」
(一昨日くらいも洗ってなかったっけ?)

 庭にいた私のトリトドンが言ったのは、きっとシーツのことだ。毎日洗濯をする洋服とは違って、シーツは週に一度お休みの日に洗うことが多い。でも、それよりも短い頻度で洗うことも少なくはない。例えば……ちょっと、汚してしまった、ときとか。
 無意識のうちに昨晩のことを思い出してしまった私は、パッと顔を背けた。色付いてしまった頬に、気付かれないといいのだけれど。  

「し、シーツのこと?」
(うん)
「ほ、ほら! こんなにいい天気の日に洗わないともったいないというか、太陽の光を浴びたシーツは気持ちいいから何度も洗いたくなるというか、ね?」
(ふーん。ボクは人間じゃないからよくわかんないけど、そういうものなんだ)
「え、ええ」

 私の下手な誤魔化しでもトリトドンは納得してくれたらしい。(モモンの木に水をあげてくるよ)と言って、庭の片隅のほうに向かう後ろ姿を見ながらホッと息を吐く。

「わっ!」
「きゃああっ!?」

 私は普段出さないような大声を上げて、小さく飛び上がってしまった。干した洗濯物の隙間から現れたデンジ君に、後ろから突然抱きしめられたからだ。
 デンジ君としても、私の反応は予想以上だったらしい。コバルトブルーの目を軽く見開いて私を見下ろしている。

「悪い。そこまで驚くとは思わなかった」
「う、ううん。大丈夫よ。ちょっとタイミングが……」
「うん?」

 不思議そうに小首を傾げる姿に、思わず胸の奥がキュンと鳴る。可愛い、なんて言ったらきっとデンジ君は眉間にシワを寄せるんだろうな。
 デンジ君は私を抱きしめたまま庭の空気を胸いっぱいに吸い込むと「いい香りだな」と言った。きっと、洗濯物に使った柔軟剤のことだ。清潔感のある仄かに甘いホワイトリリーの匂いが、風にのって私たちを包んでいる。

「よかった。いつもの柔軟剤が売り切れていたから、別の香りを買ったの。デンジ君が気に入ってくれたなら、今度からこれに変えようかしら」
「オレはいいけど、レインはそれでいいのか?」
「ええ。私はデンジ君とお揃いの香りならどんな香りも好きになるもの」

 抱きしめられている今も、デンジ君の服から香る匂いは私の服から香るものと同じだ。だから、デンジ君と離れているときでも、まるで傍にいてくれるみたいでーー抱きしめられているみたいで、とても安心する。

「……そういうのをいきなり言うのは、反則」

 後頭部に柔らかい感触が降ってきた直後、ぎゅうぎゅうに抱きしめられた。耳元で聞こえるデンジ君の心音が、速い。デンジ君は今、どんな顔をしているのかしら。顔を見たいのに、それをさせまいとデンジ君は腕に力を込める。でも決して苦しくはなくて、でも心地よい圧迫感を覚えるような、私が好きな絶妙な力加減だ。
 ようやく腕を緩められ、振り向いてデンジ君の顔を見上げる。あれだけ心音が速かったのに、デンジ君は平常心を取り戻している。でも、表情に滲み出た柔らかさと私を見つめる優しい眼差しには、誤魔化しきれないほどの愛と幸せが宿っていた。

(ねえ! モモンのみが生ってる!)
「え? 本当?」
「なんだって?」
「デンジ君と私が一緒に住み始めたときに植えたモモンの木に、きのみが生ってるんですって!」
「本当か!? 見に行こう!」
「ええ」

 幸福が満ちた庭の片隅に初めて生った小さなきのみは、まるで私たちの間に生まれた愛のような形をしていた。



2021.12.14



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