食べることは愛すること


 デンジ君の料理はそれを食べた人が称すると『微妙』らしい。
 まず、包丁の使い方や飾り付け。これらはもしかしたら私よりも上手かもしれない。キャベツの千切りは朝飯前だし、飾り切りだって難なくこなしていた。元々手先が器用であるデンジ君だし、大抵のことはそつなくこなしてしまうから、私が料理しているのを見ているうちにできるようになってしまったらしい。
 これだけだと料理が得意そうに聞こえるけれど、それをマイナスにしてしまうのが調理の過程だ。「弱火の10分は強火の5分」という独特な理論のもとに火力を強めた結果焦がしたり、煮込みすぎてしまったり、あとはレシピにおける調味料の「少々」「適量」の加減がわからず入れすぎてしまったり。「分量が知りたいからレシピを見るのに適量ってなんだよ」と、唇を尖らせた姿を見たことがある。
 これからの要素が合わさった結果、いわゆる『微妙』な料理ができあがるらしい。
 一般的な評価は確かにそうかもしれない。でも私は、デンジ君が作ってくれる料理が大好きだ。

「よし。完成したぞ」

 オムライスとサラダの盛り付けをしていると、スープの味付けをしていたデンジ君の満足そうな声が聞こえてきた。エプロンを着けているデンジ君は味見用の小皿にコーンスープを垂らし、私へと差し出す。それを受け取って小皿の縁に唇を寄せて、傾けた。

「ん、美味しい!」
「だろ? 前回は煮込みすぎて味が濃くなりすぎたから、気を付けたんだ」
「私はあの味も好きだけれど」
「レインはオレが失敗した料理でも美味いって言ってくれるからな」

 そう言いながらデンジ君は苦笑する。だって、美味しいものは美味しいのだ。デンジ君が自分の時間をかけて作ってくれた料理は、どんなものでも美味しいに決まってる。煮込みすぎたお味噌汁も、焦げてしまったパンケーキも、砂糖を入れすぎて甘くなった煮物も、全部美味しい。
 料理が完成したからテーブルへと運び、カトラリーを並べる。私が担当したふわとろのオムライスと新鮮野菜のサラダ。そして、デンジ君が担当した特性コーンスープが食卓に並ぶ。特別豪華でもない献立だけれど、デンジ君が作ってくれた一品が加わるだけで私の中では特別なものになる。

「またにやにやしてる」
「えへへ、デンジ君が作ってくれる料理を食べられるなんて幸せだなぁって」
「大袈裟だな。それなら、レインの手料理を毎日食べられるオレは世界一幸せだよ」

 手を後ろに回してエプロンを解きながら笑うデンジ君の姿に、心臓が小さく跳ねる。顔には出していないつもりだったのに、デンジ君は不思議そうに首を傾げた。

「どうした?」
「え……あの、デンジ君のエプロン姿かっこいいなぁって……料理しているときの手元とか、横顔とか好きなの」
「へぇ。それは料理してるときだけ?」
「……ううん、全部、いつも」

 毎日、毎時間、毎分、毎秒。デンジ君のことを素敵だなんて思わない日はないし、好きという感情は一緒にいる時間が長くなっても飽和するどころか増え続けていくから不思議だ。

「オレも、レインが料理してる姿を見るのは好きだな」
「えっ? 私がいつも料理している間は、ポケモンたちをブラッシングしてくれているでしょう」
「そうだけどさ、包丁がトントン鳴る音や、キッチンをちょこちょこ動き回る音が聞こえてくると、つい見ちゃうんだよな」
「う、恥ずかしいからあまり見ないで……」
「自分だって見てるくせに。なぁ、レイン」
「なあに?」
「いつも料理を作ってくれてありがとうな」
「私のほうこそ、美味しいって言って食べてくれてありがとう」

 今日もまた、私たちは幸せいっぱいの夕食をいただくのだ。



2023.03.31



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