Smile up

 風の音が耳元で鳴る。冷えていく空気が肌を撫でる。雲の中を飛び、青空へと突き抜けたその先に、私たちが目指している神聖な山――テンガン山がある。
 この世界のテンガン山は、私たちが知るそれと変わらず、厳かでありながらシンオウの大地を見守る慈愛を感じる。
 山頂に着くと、私はデンジさんのペリッパーから飛び降りて辺りを見回した。朽ちた神殿は柱をむき出しにしてただそこに在るだけで、人やポケモンがいる気配はない。ましてや、伝説とも謳われる圧倒的な力はどこからも感じられなかった。

「ここがテンガン山の頂上。やりのはしらだ」
「リッカちゃん、ライト君。見覚えがあるかしら」
「はい……」
「ここで、宙に現れた大きな穴に姉さんが飲まれようとして、オレが手を引っ張ったけど間に合わなくて二人とも……」

 大きな穴の中に飲み込まれてしまった、のだ。

「ディアルガー! パルキアー! いますかー? 私たちを元の世界に返してくださーい!」

 あらん限りの声を振り絞って叫んでみても、何の反応も返ってこない。声は静寂の中に吸い込まれて消え、遠くで風が鳴る音だけが時間が流れていることを証明している。そのくらいここは静かで、時が止まっているようにさえ感じる。

「やっぱり反応なし、か」
「そうね……。これからどうしよう」

 私たちは神様の気まぐれに巻き込まれてしまったのだろうか。もしかしたら、元の世界では神隠しにあったということになっているかもしれない。私たちが死んでいるのか生きているのかさえわからず、パパとママは悲しみに暮れているかもしれない。そんなの、考えただけでも胸が張り裂けそうだ。

「リッカちゃん、ライト君」

 沈んだ感情のまま振り返ると、そこには心地よい温度を帯びた優しい眼差しを向けてくれるレインさんがいた。どうしてもママの面影を見てしまった、少しだけ、涙腺が緩みそうになる。

「一緒に来て欲しいところがあるの。いいかしら?」

 レインさんはそう言うと、私の手を取ったのだった。


 * * *


「わあ! こっちもすごく似合うわ!」

 ついて来て欲しいところがあるから、と私たちが連れてこられたのはトバリシティのブティックだった。私たちの世界では、確かここはゲームコーナーになっていて子供が入ることを禁じられているところだ。
 でも、私たちの目の前に並んでいるのは可愛い洋服や綺麗なシューズ、オシャレな小物たち。
 次から次へと私の体に服を当ててみるレインさんはとても楽しそうだけれど、私はまだ困惑状態が解けずにいた。

「あの……?」
「お洋服が一組しかないと不便でしょう? だから、気に入ったものを選んで」
「でも、オレたちはこの世界にポケモンしか持ってきていないし」
「金はオレたちが出すに決まっているだろう」
「え!? そんな、悪いです!」
「いいから。子供は大人に甘えておけ」
「でも」

 私は手元のワンピースをぎゅっと握りしめながら、二人を見つめた。

「デンジさん、レインさん、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか……?」

 身一つで時空を渡ってしまった私たちは何も持っていない。ポケモンたちと離れ離れにならなかったのは幸いだけれど、スマホロトムは圏外のままだし、お金も身分証明書も何もない。私たちに良くしたところで、見返りは何もないのに、どうして。
 レインさんは一瞬だけ瞳を大きく見開くと、少しだけ可笑しそうに笑った。

「貴方たちは別の世界の私たちの大切な子供だから」
「「!」」
「これが十分な理由にならないかしら?」
「レインさん……」
「安心しろ。そっちの世界のオレもジムリーダーをしているならわかると思うが、稼ぎはあるぞ」
「……ふふっ。デンジさんったら」

 レインさんは、気持ちが沈んでしまった私たちを何とか元気づけようと思って、ここに連れてきてくれたんだ。デンジさんも、私たちが不安にならないような言葉を選んでくれているのがわかる。二人がくれる優しさは本物で、見返りなんてきっと求めていないのだ。
 おもむろに、ハンガーに手を伸ばしたライトが口を開いた。

「……じゃあ、オレはこの組み合わせにしようかな」
「ああ。おまえ、センスいいな。かっこい……!? それ、この店で一番高いやつじゃないか!? 却下だ、却下!」
「あれ? 稼ぎはあるんじゃなかったっけ?」
「オレの息子だけあってこいつ……!」
「ははは! 冗談だよ、デンジさん!」

 目の前でじゃれあいを始めてしまったデンジさんとライトを見て、私はレインさんと顔を合わせて小さく笑った。まるで、ライトとパパがああでもないこうでもないと言いながら一緒に機械いじりをしているときのような光景だ。
 ふと視線を横に滑らせると、服を畳んでいた店員さんと視線がかち合った。店員さんは営業スマイルを浮かべ、ここぞとばかりに近付いてきた。

「いらっしゃいませ。ナギサジムリーダーのデンジさん、ですよね? そちらのかたはご兄弟ですか? そっくりですね!」
「え? あ、ああ。親戚みたいなものだ」
「当店は大人のサイズも展開しておりまして、リンクコーデができますよ。着て見られませんか?」
「いや、オレは……」
「私も見たいな、デンジさん」
「そうよ、デンジ君。着てみるだけ着てみたらどうかしら?」
「レディースもありますよ」
「え?」
「そういうことなら、レインも着るよな?」
「う……そうね。せっかくだから」
「やったぁ!」

 思わず飛び上がって喜んでいると、デンジさんとレインさんが声を上げて笑ってくれるから、私も嬉しくなってまた笑った。
 笑顔でいよう。いつ帰ることができるのか。本当に帰ることができるのか。まだ不安は消えないけれど、少なくとも私たちには心強い味方がいてくれるのだから。
 お揃いのサイバースタイルの服を着て四人で撮った写真は、今は電波が繋がらない私のスマホロトムの待ち受け画面を飾ったのだった。



2022.08.29