Spark again

 私たちが住む世界とは似ているけれど違う世界で、初めての朝を迎えた。孤児院で借りることになった部屋のベッドは暖かったけれど、やっぱりどこか落ち着かなくて、少しだけ寝不足だ。これから私たち、どうなっちゃうんだろう。
 でも、どれだけ不安になったとしても、レインさんが作った朝食を食べたらあっという間に元気が湧いてきたから、不思議だ。それに、私は独りじゃない。ライトがいる。お姉ちゃんとしてしっかりしなきゃ。まずは、この世界のことを知りながら元の世界に帰る方法を探さないと。
 私たちはレインさんに申し出て、お出かけに同行させてもらうことにした。

 そして、今。私とライトはナギサジムのバトル観覧席に座っている。

「本当に別の世界のナギサシティに来たんだな、オレたち」
「うん……」

 『輝きしびれさせるスター』というジムリーダーの通り名も、ポケモンジムの外観も、歯車だらけの内装も、私たちの世界のナギサジムと何ら変わりはない。ここだけを見ていたら、私は自分が別の世界に来たということを信じられなかったかもしれない。
 でも、ライトが言うように、ここが私たちの知るナギサシティではないと言い切ることができる理由が、目の前にあるのだ。
 たくさんの照明が降り注いでいるバトルフィールドでは、ジムバッジをかけた公式戦が行われている。ジムリーダーであるデンジさんの手持ちが四体であることが、バトル結果を表示するためのモニターに映っているモンスターボールの数でわかる。そこまでは、いい。そこまではジム戦をするときのパパと同じだ。
 問題なのは、公式戦に登録されているポケモンたちだ。一体目がライチュウ。そして二体目に繰り出してきたのは、なんとエテボースだったのだ。呆気に取られてバトルを見ていると、デンジさんが三体目にオクタンを繰り出してきたものだからいよいよ私は目を疑った。
 デンジさんのエテボースもオクタンもでんきタイプの技を覚えてはいるみたいだけど、それだけではでんきタイプのポケモンとは言えない。私が知るナギサジムはジムリーダーのパパはもちろん、ジムトレーナーのみなさんもでんきタイプのポケモンを使う。このナギサジムとは、スタンスが少しだけ違うのかもしれない。
 ライトも「嘘だろ!?」とか「そうくる!?」とか、所々で声を上げながらジム戦を見ている。

「仮にもでんきタイプのジムなのに、みずタイプのオクタンを使う? 確かに、父さんも手持ちにしているけど、元は母さんのみずポケモンの苦手を克服するためにゲットしたって聞いたことがあるし、そもそもジムの公式戦には登録してないし」
「この世界のジムは『専門タイプのポケモンを攻略する』というよりは『専門タイプの戦法』を攻略するって感じよね。オクタンはじめんタイプ対策だろうし、ジムトレーナーのショウマさんはハガネールを使ってたわ。それに、ポケモンたちにエナジーボールを覚えさせているトレーナーも多かったわね」
「なるほど……でも、チマリさんは相変わらずピカチュウばっかりだったけど」
「ふふふ、そうね。あ。デンジさん、今度はライチュウ一体だけで倒しちゃった」
「なみのりを覚えさせてるんだから、こっちの世界の父さんも容赦ないよな」

 でんきポケモンたちの唯一の弱点である地面タイプへの対策は抜かりないみたいだ。じめんタイプのポケモンたちだけで固めてきたトレーナーは、なみのりの餌食になってしまった。
 チャレンジャーが帰ると、デンジさんはライチュウをモンスターボールに戻し、歯車にもたれかかった。ここからでもわかる。その瞳の奥に、何かが燻っている。
 パパは昔から、自分を熱く痺れさせてくれる勝負を求めていた。シンオウ地方最強のジムリーダーである実力から、それはなかなか叶うことがなく、たまにスランプに陥ることもあるみたいだけど、そのたびに輝きを取り戻してきた。
 もしかしたら、デンジさんもそうなのかもしれない。そう思いながら、どこか空っぽの横顔を見つめていると、一瞬にしてそこに感情の色が滲んだ。

「あ。レインさんが来た」

 バトルフィールドの外からデンジさんの元へと駆け寄っていくレインさんは、雨上がりに差し込んだ光のように柔らかく笑っている。その手には何かを持っているみたい。簡単にラッピングされた何か……あ、もしかしたらクッキーかもしれない。孤児院を出る前に、キッチンのほうからいい香りが漂っていたはず。あれはデンジさんへの差し入れを作っていたんだ。
 レインさんからの差し入れを受け取ったデンジさんは、微笑んでお礼を言っているようだった。クールな表情は崩していないけれど……すごく、わかりやすい、と思う。

「ねえ、ライト。どう思う?」
「どうって?」
「あの二人の関係」

 ライトは再びバトルフィールドに視線を向けた。そして、間を置くこともなく答えを出した。

「デンジさんはレインさんのことが好きで好きでたまらないけど、レインさんは全く気付いてないって感じがする」
「やっぱり、そうよね……」

 デンジさんはレインさんのことを、明らかに異性として好きなように見える。でも、レインさんは……ううん、レインさんも間違いなくデンジさんのことが好きだとわかるけど、そこに恋愛感情があるのかはわからない。どちらかというと、ポケモンがマスターに懐いているような、そんな風に感じる。それは一途で曇りのない信頼と、愛情だ。でもそれだけだと、私たちのパパとママみたいな未来が二人に訪れる可能性は、低い。

「もし、もしもよ? この世界のデンジさんとレインさんが結婚しなかったら、この世界の私とライトは生まれて来ないんじゃないかしら」
「あ」

 ライトもようやく事の重大さに気付いてくれたみたいだった。
 似た世界に住んでいるからといって、全てが同じとは限らない。実際に、この世界と私たちの世界ではポケモンジムのスタンスがかなり違う。それなら、結ばれるはずの運命の歯車が上手く噛み合わず、違う道を歩んでしまうことも考えられる。
 余所者が口を出す権利はないかもしれない。そもそも、二人の道を私たちが決めるべきではないのかもしれない。それでも、私は……。

「そんなの、私は嫌。どの世界でも、生まれ変わったとしても、私はパパとママの子供として生まれたいし、ママの相手はパパじゃないといや!」
「そんな二人の過激派みたいな……でも、オレも同感、かな」
「でしょう? だから、元の世界に戻る前に、私たちで二人の仲を進展させましょう!」
「……姉さんは母さんに似て、思い込んだら好き進むところがあるよな……まあいいけど」

 ライトは「仕方ないな」というように笑ってくれた。ライトは私よりも三つ年下の弟だけれど、すごく頭がよくて頼りになるし、優しい。きっと、大人になったらパパみたいな素敵な男の人になっちゃうんだろうな。

「具体的には? 何か考えがあるの?」
「そうね……まずは双方の気持ちを確かめないと」
「リッカちゃん。ライト君」

 私は思わず肩を大きく震わせてしまった。ライトは唇に人差し指をあてて、視線を合わせてくる。そうね、レインさんにはバレないようにしないと。
 私は観覧席に上がってきたレインさんを、何事もなかったかのように見上げた。

「二人ともここにいたのね。おやつを作ってきたから食べない? デンジ君に許可はもらってきたから」
「食べます!」
「ありがとうございます」

 レインさんは、デンジさんに渡した包みと同じものを私とライトにも手渡してくれた。リボンで縛られた包みの口を開けると、甘い香りが鼻先を掠めた。やっぱり、クッキーで正解みたい。雷のマークが入ったクッキーを一口かじると、サクッとした食感と控えめな甘さが口の中に広がった。ママが作るクッキーと同じ味だ。
 夢中になってクッキーを頬張る私とライトを微笑ましそうに見守りながら、レインさんは私の隣に腰を下ろした。

「デンジ君のバトルはどうだった?」
「はい。ポケモントレーナとしてすごく勉強になります。特にライトはでんきタイプ使いだから、ね?」
「まあな」
「そうなのね! でんきタイプって素敵よね! みずタイプはもちろんだけれど、でんきタイプも大好き」

 それって、間違いなくデンジさんの影響なんだろうな。私のママがパパのことしか見えていないように、この世界のレインさんもデンジさんに対して盲目的な感情を抱いているように見える。早く、それが恋になったらいいのに。
 私たちが二人をくっつけようとしているとは微塵にも思っていないレインさんは、何の疑いもなく話を続けている。

「ライト君の名前って電気的な光のイメージが強いし、専門のタイプともピッタリね」
「父さんと母さんがつけてくれたんだ。オレが生まれた日の太陽の光がとても眩しくて綺麗だったからって。父さんは、あわよくばオレがでんき使いになればいいと思って提案したらしいけど」
「その通りになっちゃったね。パパはライトの目標だもん」
「姉さん、そういうところまで言わなくていいよ」

 ライトは少し照れくさそうだった。でも、その手の中では、パパから譲り受けたギアルが入ったモンスターボールを大切そうに転がしている。確かこのギアルは、パパがイッシュ地方を旅したときにゲットしたんだったっけ。
 私は運命にも似た必然に導かれてこおりタイプのポケモンと生きることを決めたけれど、ライトがでんきタイプ使いを志すようになった一番の切欠はパパだ。一番身近でありながら、一番遠く高いところにいる人。その背中に憧れて、尊敬して、追いかけて、ライトはでんきタイプのポケモンたちと同じ道を歩んでいるのだ。

「本当に不思議だわ。リッカちゃんとライト君のパパとママが、貴方たちが住む世界にいる私とデンジ君なんて」

 レインさんはふと、そんなことを呟いた。まるで独り言のように、でも夢でも見ているかのように。

「子供たちがこんなに幸せそうにパパとママのことを話してくれるんだもの。その世界の私たちもすごく幸せなんでしょうね」

 そのアイスブルーの瞳に滲んでいるのは、私たち家族が幸せであることを感じ取り、他人の幸福を喜んでくれる優しさと、一滴の羨望。
 もし、レインさんが「私も将来そんなふうになれたらいいな」と思ってくれたら万々歳だし、そこからデンジさんのことを意識してくれるようになったら言うことはない。
 私はさらに他のエピソードを話そうとしたけれど、ちょうどそのときバトルフィールドの入口の扉が開いた。入ってきたのは、帽子を被った男の子だ。
 というか、あの男の子のこと、どこかで見たような……?

「次のチャレンジャーが来たわ」
「……ねぇ、ライト。あれって、もしかして」
「コウキさん!?」

 そう、コウキさんだ。私たちが知っているコウキさんは二十代半ばくらいだけれど、目の前にいるコウキさんは私とあまり年齢が変わらないようにも見える。

「あら。コウキ君のことを知っているのね。もしかして、貴方たちの世界でもチャンピオンなのかしら」
「いえ、コウキさんはポケモン博士で……って、チャンピオン!?」
「そうよ。コウキ君はチャンピオンになってからもその強さに慢心せず、こうしてジムリーダーに再戦を挑みに来るの」

 ……情報量が多すぎて、頭が追い付かない。つまり、この世界のコウキさんはポケモン博士ではなくチャンピオンで、そしてデンジさんと再びバトルをするためにナギサジムを訪れたということみたい。
 デンジさんとコウキさんは一言二言会話したあと、バトルフィールドの両端に向かって立ち位置についた。その瞬間、モニターには二人の顔と手持ちのポケモンの数が表示される。コウキさんはモンスターボール六個、デンジさんのほうは……え? 六個?

「さっきよりもモンスターボールの数が増えた」
「一度そのジムのバッジを手に入れたら、次からは一段階レベルが上がったジムリーダーと戦えるのよ」

 腰から下げたチェーンの先に付いているボールケースの中から一つを選び取り、デンジさんは笑った。それは、先程まで浮かべていた表情からは想像もできないくらい晴れやかで、これから始まる勝負への期待に満ち溢れていた。

「この高鳴る期待……裏切ってくれるなよ! いくぞ! ペリッパー!」
「「え?」」

 気のせいかしら。今、ペリッパーと聞こえた気がするけれど。

「リッパリッパー!」

 ……気のせいでは、なかった。デンジさんが投げたモンスターボールの中から現れたのは、紛れもなくペリッパーだった。しかも、ペリッパーが登場した瞬間に室内だというにも関わらず暗雲が立ち込め、そして水滴が私の鼻先を濡らした。
 ……雨だ。ナギサジムの中に、雨が降り始めたのだ。

「じめんタイプの対策はもちろん、雨を降らせることで以降のかみなりを確実に当てて、なおかつみずタイプの技の威力を上げる……ペリッパーはそのための、とっておきの一体よ」
「……みずタイプ」
「……あめふらし」

 記憶している限りでは、パパがペリッパーを手持ちにしていたことは今も昔もない。それも、パパとデンジさんが違う人物だと証明する決定的な一点だ。
 でも、レインさんは何も疑問に思わないのかしら。苦手タイプへの対策なんて何通りもあるのに、その中でもあえて「あめふらしを使えるみずポケモンを手持ちに入れる」ことを選ぶなんて。

「こっちの世界の父さんも、そうとう母さんのことを拗らせてる気がする」

 ライトは口の中に砂糖の塊を突っ込まれたような、げんなりした顔で呟いた。
 パパがママを溺愛しているように、この世界のデンジさんもまた、レインさんの存在が自分の一部になっていることは確かだった。



2021.12.26