Changing world

 私たちが集まるとき、集合場所は決まってシルベの灯台の麓だ。夜の海を照らす灯台の光はナギサシティだけではなくシンオウ地方のシンボルとしても有名で、その光に照らされ、導かれ、守られながら、私たちは成長してきた。
 ソーラーパネルが貼られた歩道橋をライトと、それからパパとママも一緒に歩き、シルベの灯台を目指す。集合時間までまだ余裕があるというのに、グレン君はすで待ち合わせ場所で待機していた。

「よっ! ライト、リッカ! 遅いぞ!」
「おはよう、グレン君」
「朝から賑やかな奴……ふわぁ」

 大きな目をパッチリと開いたグレン君とは対照的に、ライトは大きな欠伸を噛み殺している。だから、機械いじりも程々にして早く寝たらって言ったのだけど。
 私はグレン君の背後に立っている彼のパパとママーーオーバさんとエイルさんに軽く頭を下げた。

「オーバさんとエイルさんも、おはようございます」
「おはよーさん! リッカは相変わらず礼儀正しいな! デンジの子とは思えないくらいだぜ」
「そこ、うるさいぞ」
「ふふふ。今日は私たちがテンガン山で修業をするからって、エイルさんのポケモンたちが連れて行ってくださるんですよね? ありがとうございます」
「どういたしまして。わたしのひこうポケモンたちならいつでも大歓迎だよ? ね、みんなっ!」

 エイルさんは華やかかつ大胆に、まるで空を舞うように、三つのモンスターボールを高く投げ上げた。さすがは、世界中を飛び歩いたポケモンミュージカル女優だ。些細な仕草一つをとっても美しくて、思わず見惚れてしまう。第一線から退いた今でもこうなのだから、全盛期はもっとすごかったんだろうな。
 エイルさんのモンスターボールから出てきたのは、かえんポケモンのリザードン。ハミングポケモンのチルタリス。ききゅうポケモンのフワライド。全員、ひこうタイプのポケモンだ。エイルさんはひこうタイプの使い手なのだ。

「修行かぁ。ポケモンバトルと同じくらい、コンテストにも力を入れてくれたら嬉しいのになー? ね、グレン」
「お袋みたいに上手くいかねーんだよなぁ」
「コンテストは派手な技を使えばいいだけじゃないんだよ? そういうとこ、本当にオーバくんにそっくり」
「まあ、俺の子だしな!」

 パパとママの姿をそのまま受け継いだように産まれたライトや私と違って、グレン君は本当にオーバさんとエイルさんの遺伝子が混ざりあって産まれたんだなと思う。癖っ気のある燃えるような夕焼け色の髪はオーバさんに似ているし、青とも紫ともとれるような夕暮れ色の不思議な瞳はエイルさん似だ。大好きな二人に似ているところが自分にあるっていうのも、素敵だな。

「ポケモンバトルの修業をするのはいいことだけど、三人とも迷子にならないようにね」
「わかってるよ、母さん」
「どこかの誰かさんは四天王になるための武者修行中にテンガン山に籠もって、危うく遭難しかけたんだったな。なぁ? オーバ」
「い、一体誰のことだろうなー! はははー!」
「ふふふ。でも、テンガン山の中は本当に迷路みたいだなら十分気を付けて」
「レインみたいに波導が使えたら迷うことはないんだろうけどな」

 波導ーーそれは、ママが扱える不思議な力だ。詳しくはわからないけれど、世界にはポケモンの技を教えさせたり忘れさせることができる人間や、エスパータイプのポケモンが使うような超能力を扱える人間がいるように、ママは波導と呼ばれる力を使うことができるらしい。といっても、私が知っている力はポケモンの言葉を理解できることくらいだけれど、パパがああ言うくらいだから、もしかしたら他にもできることがあるのかもしれない。もっと幼い頃に私とライトがイタズラをして逃げ出したときも、ママは私たちを見付けるのがとても上手だったから。

「俺、リザードン!」
「私はチルタリス!」
「じゃ、フワライド。よろしく」
「いってらっしゃーい!」
「飯の時間までには帰ってこいよ〜!」

 グレン君はリザードンに、ライトはフワライドに、そして私はチルタリスの背中に飛び乗った。飛行機が離陸したときのような、軽い浮遊感を感じたと思ったときには、目の前には一面の蒼穹が広がっていた。振り返ってみると、シルベの灯台が指先くらいに小さくなっている。パパやママたちの姿はもう見えない。でも、まだ私たちを見送ってくれている気がして、大きく手を振った。
 雲の間を縫うように飛んでいく。空気がだんだん冷えてくる。さすがはエイルさんのポケモンたちだ。この調子だと、テンガン山まであっという間に着きそう 。

「なぁなぁ!」
「なんだ?」

 耳元で鳴る風に負けないくらい大きな声が、左右から聞こえてきた。

「ひこうタイプのポケモン、やっぱり頼りになるよな! 俺のメラルバも早く進化させたいぜ!」
「グレン君のメラルバはイッシュ地方でゲットしたのよね?」
「そうそう! イッシュ地方のフキヨセシティ……じーちゃんちに行ったときだな! ライトも……あ! ライトにはコイルがいるか! コイルが最終進化までしたらジバコイルになるから、乗れてもらえるもんな!」
「まあな! コイルは初めて自分でゲットしたポケモンだし、進化条件も特殊だから、最後まで育てるのが楽しみだ!」
「リッカは? ひこうタイプ、手持ちに入れねぇの?」
「そうね。今はキッサキに行くのに、ママのスワンナやパパのシビルドンに送り迎えをしてもらってるけど、いずれ……あ! 確か、ユキハミが進化したら空を飛べるようになるんだったわ!」
「ユキハミの進化系……モスノウか! 確かガラル地方のポケモンだろ? リッカたちが家族旅行に行ったときにゲットしたんだっけ?」
「ええ! 私がユキハミで、ママがナマコブシ、パパがバチンウニをゲットしたの!」
「父さんも母さんも、その二匹をバトルに出してることはほとんどないけどな。でも、三匹揃っているところを見ると気が抜けるんだよな」
「そうなの。モチモチで可愛いよね。だから、私も進化させるかどうか迷ってるんだけど……」

 そのとき、雲の中を抜けて視界が開けた。
 シンオウ地方を東西に分ける広大な山脈が、私たちの目の前に現れた。神聖にして雄大なその佇まいは、いつも私たちが下から眺めているテンガン山とはまた違う表情を見せている。

「見えたわ……!」
「テンガン山だ!」
「改めて近くで見ると、迫力あるな……!」

 チルタリスたちは着地できる場所を探して、一気に降下を始めた。そして、私たちが降ろされた場所は。

「さっ……!」

 一面が雪に覆われた、山の中間地点だった。

「さみ〜〜っ!」

 グレン君の絶叫が雪にかき消されていく。声こそ上げていないけれど、ライトも体を縮こまらせてジャケットのファスナーを首元まで上げてしまった。

「そうだった! テンガン山って上のほうは雪が積もるくらい寒かったんだったな!」
「洞窟の中に入ろう。少しはマシかもしれない」
「そうね。二人とも風邪を引いたら大変だもの」
「リッカはケロッとしてるよなぁ。寒くねぇの?」
「私は、全然」
「あ、そっか。リッカは寒さに極端に強かったっけ」

 そう。私は寒さに強いーーというのは、だいぶ表現を和らげた言い方だ。正しくいうと、寒さをほとんど感じない。それが、私が持つ『力』だから。

「もともと、私もママみたいにポケモンの気持ちがわかる波導使いの素質があったみたいなの。でも、まだ波導が不安定な子供の頃に凍り付いた岩に触れて、波導の性質が変わっちゃったみたい」
「イーブイをグレイシアに進化させる、あの岩だな」
「うん。それからは、ポケモンの声が聞こえなくなった代わりに、ちょっとしたこおりタイプの技みたいなものを使えるようになったの」
「オレも覚えてる。プリスクールに通っていた頃、姉さんの雪で小さな雪だるまを作ってもらったっけ」
「そんなこともあったわね。でも、成長していくにつれてその力も弱くなっちゃって、今はちょっと寒さに強いくらいになっちゃった」
「いや、この寒さの中を鳥肌一つ立てないのはちょっとじゃないけどな?」
「ふふふ。そうね」
「ははは!」

 笑い声が洞窟の中に吸い込まれるように消えていく。私たちは笑顔を消して、モンスターボールに手をかけた。洞窟の中は草むらと違って、いつ、どこでポケモンが飛び出してくるかわからないのだ。

「さあ、修行を始めましょう。夕方にはエイルさんのポケモンたちがお迎えに来てくれるんだから」
「おう! 行くぞ、メラルバ!」
「コイルも出てこい!」
「ユキハミ、頑張りましょう!」

 まだ進化を経ていないポケモンたちを連れて、私たちはテンガン山の内部へと踏み込んでいった。


 * * *


 一時間、二時間……もしかしたら三時間くらい経過したかもしれない。時間の感覚が曖昧になるほど夢中になって、私たちは野生のポケモンとのバトルに明け暮れた。テンガン山に到着した頃は寒さで震えていたグレン君の顔は微かに赤くなり、ライトはジャケットの前を開けて首元に風を送ったりするほど体が温まった。

「あっち〜! あれだけ寒かったのに汗だくだぜ」
「グレン君のほのおタイプのポケモンたちのお陰ね」
「バトルに熱中してたせいもあるけどな。だいぶ上のほうまで登ってきたみたいだし」

 テンガン山に到着してからというもの、私たちは行きあたりばったりに進んできた。いざとなったらあなぬけのヒモを使えばいいし、道が二手に分かれているなら下ではなく上に進みたくなってしまうのが子供心というものだ。
 いくつ目かもわからない階段を上り詰めた先に、広がっていた光景を見た私たちは息を呑んだ。洞窟から出た先には、石柱が建ち並ぶ大昔の遺跡があったのだ。

「ここは……?」
「なんだ? 神殿の跡みたいな……」
「すげぇ! 槍みたいに柱が建ってるぜ!」

 石柱の間に作られた道を進み、祭壇のようなところへと上がる。そこから見える景色は、まさに圧巻だった。地平線いっぱいにシンオウ地方が広がって見える。さすがにナギサシティまでは見えないけれど、西に見える大きな森はハクタイの森だし、東に見える地面の窪みに作られた小さな町はカンナギタウンだ。

「すごい……! シンオウ地方を一望できるのね」
「ってことは、山頂か」
「やっほ〜!!」
「ふふ、グレン君ったら」

 今日、ここに来て本当によかった。ポケモンたちを鍛えられたことももちろんだけれど、私たちが暮らしているシンオウ地方をこんな形で見ることができたから。
 祭壇の先で山びこを楽しんでいるグレン君の後ろ姿をライトと一緒に眺めながら、そんなことを考えていると。

 ーー目の前の空間が、ぱっくりと割れた。

「「え……?」」

 まるで空間が大口を開けているみたいだ。有り得ない光景を目の当たりにした私の脳は、どこか他人事のようにそんなことを考えながら、裂けた空間が私たちを飲み込んでいく様子を、ただ受け入れた。受け入れるしかなかった。だって、どうしようもなかった。どうすることもできないくらい、圧倒的な恐怖を感じて動けなくなってしまったのだ。

「リッカ! ライト!」
「っ……!」

 グレン君が私たちの名前を呼ぶのと、ライトが私の手を掴んだのは同時だった。
 そして、世界は暗転する。私たちはまるで深海に沈んでいくように、時間と空間の狭間へと誘われていった。



2021.12.11