Snow light

 いつも私とライトを導いていた二つの光がない世界で、私たちは迷子になっていた。不安になって、迷って、挫けそうになって。
 それでも、前に進めるようになったとき、私たちはお互いの存在に導かれていることに気が付いたのだ。

「ありがとう、フリーザー。私、元の世界に戻っても頑張る。今よりももっと強いポケモントレーナーになれるよう、頑張るから」

 モンスターボールから出たフリーザーは、気高い鳴き声を一つ残して、テンガン山の頂、槍の柱から飛び立って北の空へと消えていった。期間限定の仲間だとわかっていたはずなのに、一緒に過ごした時間は確かにあるから、想い出の中に少しの寂しさが残ってしまう。少しだけ、目の奥がじんと熱くなった。

「いっちゃった……」
「フリーザーとお別れは済んだ?」
「うん。ライトも?」
「ああ。ライコウとさよならしてきた」
「そっか……」

 私たちがこの世界に抱えていた未練は二つあった。一つは、デンジさんとレインさんの想いの結末を見届けること。もう一つは、デンジさんとレインさんを相手に戦い、強くなるための一歩を踏み出す勇気を得ること。その二つが叶った今、もうこの世界にとどまる理由はない。ディアルガとパルキアは、今度こそ私とライトの願いに答えてくれるはずだ。
 だけど、その代わりにきっと、もう二度とこの世界のデンジさんとレインさんには会えない。パパとママのところには帰ることができるかもしれないけれど、ここで過ごした時間はもう二度と戻ってこない。
 それだけがどうしても悲しくて、寂しくて。

「デンジさん……レインさん……」
「リッカちゃん、ライト君」

 レインさんは微笑むと、膝を折って私とライトのことを抱き寄せてくれた。ママに似ているようで少し違う、このぬくもりに抱きしめられることはもう二度となくなるのだと改めて思い知ったとき、私の頬を冷たい涙が濡らして、震える唇から嗚咽が漏れた。

「う……うぅ……っ」
「姉さん、泣くなよ。二人とも困ってるだろ」
「うっ、ライトだって泣いているくせに」

 泣いてない、と言ってライトは乱暴に顔を伏せた。でも、潤んで赤くなった目は誤魔化しようがない。ライトが泣いたのなんて、グレン君と喧嘩したとき以来じゃないかな。
 どうしてもここから動けない。抱きしめてくれるレインさんのぬくもりと、頭を撫でてくれるデンジさんの優しさから、離れられない。そんな私たちの背を押すように、優しい声が降ってくる。

「二人とも、泣かないで。せっかく元の世界に戻れるのだから、笑わなきゃ」
「ああ。あっちのオレたちにもよろしく伝えておいてくれ」
「ぐすっ……はい。もちろんです」

 このままでは二人を困らせたままになってしまうし、涙でのお別れになってしまう。笑わなきゃ。
 涙が落ち着いてきたとき、ようやく私は顔を上げたけれど。

「二人だって泣いてるじゃないですかぁ……」

 デンジさんとレインさんの涙を見てしまったら、今まで以上に涙が溢れてしまって仕方なかった。二人が私たちと同じ気持ちでいてくれることがこんなにも嬉しくて、こんなにも辛い。
 でも、いくら嘆いても、別れを惜しんでも、私たちが帰る場所は他にある。出会うはずがなかった二人に出会えたことが奇跡なのだから、その奇跡を忘れないように抱きしめて、胸を張って帰らなきゃ。
 大きく息を吸って、涙を払う。お姉ちゃんらしく、ここは私が切り出さないとね。

「デンジさん、レインさん。私、この世界に来て二人に会えて本当に良かったです。二人に会えて、新しい世界を見付けることができたから、勇気を出すことができた。……バトルタワーで二人に勝つことはできなかったけど、これは元の世界のパパとママ相手にいつかリベンジしますから」
「リッカちゃん……。ええ。私も、リッカちゃんとライト君に出会えて本当に良かった。お陰で……えっと……」

 レインさんは口ごもってしまったけれど、彼女が言いかけた言葉の続きを、私は知っている。でも、頬を花のような桃色に染めているレインさんの姿がなんだかとても可愛くて、パパのことを見つめるママの姿と重なったから、私は言葉の続きを待った。時間がかかってもいいから、レインさんの言葉で聞きたい。「デンジさんのことが好きだと気が付いた」と。

「姉さん、ディアルガとパルキアが!」

 ああ、どうやら時間切れみたい。
 時空の裂け目から現れたディアルガとパルキアの力が、私とライトを捉えた。裂け目に引き込まれていく恐怖は、もうない。この先は、私たちが帰る場所へ繋がっていることを知っているから。

「デンジさん、レインさん!」

 時空の裂け目が閉じる瞬間、最後に一目二人を見たくて振り返る。私は今までで一番の笑顔を浮かべることができたかな?

「いつか二人の間に生まれてくる『私たち』のこともたくさん愛してくださいね!」

 私がそう叫んだのと、時空の裂け目が閉じたのは同時だった。意識までも閉じていく前に見えたデンジさんとレインさんは、パパとママによく似た笑顔を浮かべていた。


 * * *


「おーい……起き……二人とも……るな……凍え……」

 遠いようで、でも近いところから、誰かが呼ぶ声が聞こえる。ぼんやりとしていた意識が徐々に形を取り戻していき、それがグレン君の声だと気が付いた。長らく聞いていなかった声だけど、聞いたとたんに過ごしていた時間が鮮明に蘇ってくる。
 早く起きなきゃ。私が瞼を持ち上げようとすると。

「仕方ねぇ。こうなったら、ブースター! かえんほう……」
「わーっ!?」
「待てよグレン!?」

 とんでもない言葉が聞こえてきて、背中を蹴飛されるようにして飛び起きた。ブースターが繰り出すかえんほうしゃなんて浴びてしまったら、こんがり丸焦げになってしまう。どうやら私と同時に目が覚めたらしいライトも「相変わらずだな」というようにグレン君を睨んでいる。
 夢を見ているみたいだ。グレン君が、目の前にいる。今までいた世界にはいなかったはずのグレン君が、いるのだ。……と、いうことは。

「グレン、君?」
「おう! どーしたんだよ、リッカ。お化けが出たみたいな顔してるぞ?」
「グレン君っ!!」
「うおっ!?」

 思い切り抱きついても、グレン君は消えない。夢じゃない。私は……帰ってきたんだ。
 抱きつく腕に力を込めて、何度も「グレン君、グレン君」と呼んでいると、割るように入り込んできたライトの腕に引き剥がされた。

「戻ってこられたんだな、オレたち」
「うん! よかったぁ……」
「おいおい、いったい何の話だよ? おまえたちは強い光に包まれた後、今までずっと眠ってたんだぞ!」
「じゃあ、そんなに時間は経っていないのね」
「ディアルガとパルキアが計らってくれたのかもしれないな」
「だーかーらー! 何の話をしてるんだっつの! 残された俺の身にもなれよ!」
「そっか。……そうだよね。グレン君、ずっと心配してくれてありがとう」
「お、おう」
「とりあえず、帰りながら話そう。こんなに遅くなって、きっと母さんたちも心配してる」
「うん、そうだね。ナギサシティに帰ろう!」

 太陽は沈み、空の高いところには星が瞬いている。ナギサシティから見える星空も素敵だけど、シンオウ地方で天に最も近いこの場所から見える星空は、別格の美しさだ。

「なんか、二人ともすっきりした顔をしてるよな。寝ている間にいい夢でも見たか?」

 雪の上を軽やかな足取りで進んでいると、グレン君が不思議そうに問いかけてきた。ライトと顔を見合わせると、挑戦的な眼差しがそこにあった。きっと私も、瞳に同じような光を宿しているのだ。

「私たち、ジム巡りをすることに決めたの!」

 勇気を出して、歩いてみよう。また道に迷っても大丈夫。この夜を照らす雪明かりのように、私とライト、二人でいればどんなに険しい道だって乗り越えて行けるから。
 そして、いつかきっと、私たちが憧れてやまない光の元へと、辿り着くのだ。



snow light END 2022.11.19