Love is...

 この世界に残っている二つの未練のうち、一つはデンジさんとレインさんの関係についてだ。
 お世話になっている間、何とか二人をくっつけようとしたり、様子を見守ったりしたけれど、二人の距離感は相変わらずだった。レインさんのことを拗らせ切ったデンジさんは勇気を踏み出せず、レインさんもまた昔から変わらない距離感に安心しきってその先を想像できないでいる。
 このまま、この世界でデンジさんとレインさんが結ばれることはないのかな。この世界に、私とライトが生まれ落ちることはないのだろうか。

「ライトー。……もう眠っちゃった?」

 すぐ隣からは規則正しい寝息が聞こえており、ベッドの外を向いているライトの肩がゆっくり上下に動いている。どうやら熟睡しているみたいだ。私は久しぶりに眠る場所が変わって、起きてしまったというのに。

「デンジさんのおうち、トイレは一階だったよね……」

 パジャマの上からカーディガンを羽織り、ライトを起こさないよう密やかにベッドを抜け出す。暗い廊下を通って、音を立てないように階段を下りていく。今が何時かわからないけれど、もしかしたらデンジさんも眠っているかもしれない。

(……声?)

 デンジさんやレインさんと一緒に夕食を食べたリビングのドアから、明かりと話声が漏れている。引き寄せられるようにドアに張り付き、隙間から中を覗き見る。
 リビングにはこの家の主であるデンジさんがいた。正確には、デンジさんのパパとママ――私たちの世界ではおじいちゃんとおばあちゃんのおうちになるけれど、おじいちゃんたちと同じようにデンジさんのパパとママも貿易関係の仕事に就いて、一年のほとんどをシンオウ地方の外で過ごしているらしい。だから実質、家の主はデンジさんなのだ。
 そして、デンジさんが話している相手は、私たちが眠った後、孤児院に帰ると言っていたレインさんだ。デンジさんとレインさんはソファーに並んで座り、マグカップに口を付けている。

「リッカちゃんとライト君、もうすぐ元の世界に帰っちゃうのね。……寂しくなるわ」
「そうだな」
「あの二人も寂しいと思ってくれているのかしら。急に、デンジ君の家に泊まりたいって言うなんて」
「そうかもな」

 私とライトはこの世界にいる間、レインさんが働いている孤児院の一室を借りてお世話になっている。でも、レインさんの言う通り、別れの時が近付いてきていることを惜しくなってしまった私は、デンジさんの家に泊まりたいと駄々をこねたのだ。
 初めて会ったばかりの頃だったら、デンジさんは首を横に振っていたかもしれない。でも今は、私のわがままを拒むことなく受け入れてくれた。それがとても、嬉しかった。

「私も寂しいな。私と、デンジ君と、リッカちゃんと、ライト君。短い間だったけれど、本当の家族みたいに過ごせてとても楽しくて、幸せだった」
「ああ。オレもだ」

 それにしても、リラックスしきっているレインさんとは違って、デンジさんはぎこちないというか。こんな時間に好きな相手と二人きりなんて、普通ならデンジさんのように意識するところだけれど、レインさんには全くその様子が見られない。やっぱり、レインさんがデンジさんに恋心を抱くことはないのかな。
 それからしばらくは、沈黙だけが時間の流れを見守っていた。ずっと廊下に立っている私の体は足元から冷えてきて、身体が縮みあがり小さく震える。
 ずっと盗み聞きしているのも悪いし、部屋に戻ろう。そう思って、ドアから離れようとしたそのとき。

「ねえ、デンジ君」

 おもむろに、レインさんがデンジさんの名前を呼んだ、何も特別でないことのはずなのに、沈黙を溶かした声はいつもよりもさらに優しく、木綿のように柔らかく、陽だまりのようにあたたかかった。

「私もいつかはこんな風に幸せな家庭を築きたいって思っていたの。そして……そのときに隣にいるのはデンジ君以外に考えられなくなっちゃった」
「! レイン……」
「だって、私の隣にはずっとデンジ君がいてくれたんだもの。……ディアルガとパルキアとそれぞれ戦って槍の柱に戻ってきたとき、倒れていたデンジ君を見てすごく怖かった。いなくならないで。ずっと私の隣で笑っていてって、叫びそうだった。……リッカちゃんたちが来てくれたことで気が付くなんて、鈍いにもほどがあるけれど。ねえ、デンジ君」

 レインさんが、デンジさんを見上げて、そして確かめるように問いかける。

「この感情を恋心っていうの?」

 ドキン、ドキン、ドキン。心臓がうるさい。私でさえもこうなのだから、レインさんの想いを正面から向けられたデンジさんはとてもではないけれど、落ち着いてはいられないと思う。
 コバルトブルーの瞳を見開いて、デンジさんはレインさんを見つめている。目元から力が抜けたとき、デンジさんはようやく口を開いた。

「……恋とは、少し違うと思う」
「えっ。違う、の?」
「ああ」

 泣き出してしまいそうな声を紡いだレインさんの頬に、デンジさんの指先が触れる。壊れてしまわないように、優しく、慈しむように。

「失うのが怖いなんて、これから先もずっと隣にいて笑顔を見たいなんて、それはもう……愛だよ」

 レインさんは、デンジさんに恋をしていなかった。レインさんの心の奥底にずっと眠っていたのは――愛。デンジさんとずっと一緒にいる未来を、疑うことなく当たり前のように思っていた。
 デンジさんに向ける笑顔。捧げる献身。盲目的な信頼。レインさんがデンジさんに抱く全ては、一歩間違えれば危険とさえいえる、純粋すぎる愛情が枝分かれしたものだったのだ。
 でもきっとこれから、デンジさんがレインさんに恋を教えていくと思う。ママみたいに相手を心から愛するのと同時に、毎秒恋をし直すような、甘い感情をレインさんもきっと知ることになる。なんせ、相手はレインさんのことを深く愛し、恋しているデンジさんなのだから。

「私はデンジ君のことを愛していたのね」
「オレはずっと昔からだけどな」

 デンジさんの両手が、レインさんの頬を掬い上げるように包む。レインさんはくすぐったそうに笑いながら、デンジさんの手に自分のそれを重ねて、二人は見つめ合う。
 私はその場からそっと離れて、二階のベッドに戻った。明日になったらライトにもこのことを話そう。ようやく二人が両想いになったとわかったら、きっとライトも喜ぶはず。

 夜が明けたとき、どういう顔をして二人に「おはよう」と声をかけよう。それとも「おめでとう」のほうがいいかもしれない。感情を抑えることが苦手な私は、きっと笑顔を隠し切れないに違いないし、デンジさんとレインさんもきっと、幸福を滲みだして笑ってくれるだろうから。



2022.11.05