Rosa rugosa

 天高く広がる青空の下に、見渡す限りのお花畑が続いている。鼻先をくすぐる甘い香りは心を穏やかにさせて、時が止まったかのような錯覚を覚える。時間と空間の概念を忘れてしまいそうになるここは、きっと永遠に一番近い場所。

「んーっ、いい香り」
「ここがハマナスパークっていうんだ。オレたちの世界では聞いたことがないね」
「そうなの? ここはシンオウ地方だけではなく、様々な地方と縁を結んでいる場所と言われているわ」
「つまり、ここでは普段お目にかかることができないポケモンがたびたび観測されるんだ。伝説のポケモンだって例外じゃない。出会えるか出会えないかは、トレーナーが持っている縁次第だけどな」

 とはいうけれど、見渡す限りここにポケモンはいない。観光客らしき人と、そのポケモンとたまにすれ違うだけだ。

「伝説のポケモンなんて見当たらないけど」
「当然だろ。『私が伝説のポケモンです』って首からさげてその辺をうろうろしていたら、伝説の名が泣くだろう」
「ふふっ。デンジさん、おもしろーい!」
「別に面白がらせようとしたわけじゃないんだが……」
「とりあえず、辺りを探索してみたらどうかしら」
「そうね。私は白玉を持って……」
「オレは金剛玉」

 私とライトは、地下通路で発掘した宝石をそれぞれ手に持った。私たちが自分たちの力で手に入れた二つの輝きが、きっとディアルガとパルキアに巡り会わせてくれる。

「邪魔になるといけないから、オレたちは待っているか」
「そうね。私たちは展望席から見ているわ。二人に何かあったらすぐに駆け付けるわね」
「はい! 行ってきます。デンジさん、レインさん」
「リッカちゃんとライト君も気を付けてね」

 デンジさんとレインさんは、入り口のゲートまで引き返していった。残された私とライトは、ハマナスパークの中心を目指して歩き始めた。
 それにしても、本当に静かで、本当に綺麗な場所だ。私たちの世界にはないことが惜しいと思ってしまうくらい。

「本当に綺麗なところね。ソノオタウンの花畑と少し似ている気がする」
「ここも観光名所みたいだから。もちろん『普通のトレーナーにとっては』の話だけれど」
「うん。……私たちは伝説のポケモンに、ディアルガとパルキアに会えるかな?」
「わからない。でも、縁という点なら、一度会った時点で結ばれていると思うけれど……」

 ライトの言う通りだ。私たちが本当に、ディアルガとパルキアの力によってこの世界に迷い込んでしまったのなら、その時点で縁は結ばれているはず。あとは、それを手繰り寄せることができるかどうか。

「……ライト?」

 黙り込んでしまったライトに疑問を覚えた私は、立ち止まってライトの顔を覗き込んだ。パパと全く同じ色をした瞳はいくつもの疑問が浮かんでいるように暗く、眉の間には深いしわが刻み込まれていた。

「ライト。さっきから難しい顔をしているけど、どうしたの?」
「いや……デンジさんはどうして、ここで伝説のポケモンに会えるって断言したんだろうと思って」
「……そうね。伝説や幻のポケモンなんて不確かな存在がいるということを、言い切ることができる。と、いうことは……!」
「うん。もしかしたら、デンジさんはここで伝説のポケモンに出会ったことがあるのかもしれない」

 だとしたら、デンジさんは一体どんなポケモンと縁を結んだのだろう。どんな伝説に、認められたというのだろう。私たちは、そこに立つに値するトレーナーなのかな。

「姉さん、二手に分かれよう。オレと姉さんが違う縁を持っているのなら、一緒にいたらポケモンと出会えないかもしれないから」
「わかった。ライト、気を付けてね」
「姉さんこそ、もう無茶はやめてくれよ」

 ライトの言葉がチクチクと胸に刺さったけれど、言い返す言葉もない。
 私とライトは、それぞれ別の道を選んで進み始めた。

「何を持って縁というのかはわからないけれど、私はどんなポケモンと縁を結べるのだろう……」

 ディアルガとパルキアと出会った以外に、伝説のポケモンと出会ったことは記憶の中にはない。アローラ地方やガラル地方にも行ったことがあるから、出会えるのはもしかしたらシンオウ地方のポケモンじゃないかもしれない。
 考え込みながらも、意識を周囲に配ることを忘れずに進む。些細なきっかけでも見逃さないように。結んだ縁をなくしてしまわないように。

「洞窟……?」

 しばらく進むと、目の前に洞窟が現れた。好奇心の赴くまま、というよりは、導かれるようにその中へと足を踏み入れた。何かに呼ばれているような、不思議な感覚を覚えながら。

「不思議な場所。中は人工的に作られたみたいだけど……」

 洞窟の中は無機質な部屋になっていて、三つの台座が並んでいる。台座の前にはプレートがはめ込まれており、説明のような文字が綴られている。

「れいとうポケモン……?」

 そのプレートを撫でるように触れた、瞬間。どこからともなく溢れ出た光が、私の体を包み込んだ。

「なに!? 眩しい……!」

 目を開けていられなくて、瞼を固く閉じる。今ポケモンに襲われたらひとたまりもないけれど、幸いにも不幸が訪れる前に光はおさまった。
 瞼を持ち上げる。そこに広がっていたのは、ただひたすらに美しい、不思議な空間だった。

「え!? ここ、どこ!? さっきまで洞窟の中にいたはずなのに、見渡す限りハマナスの花がたくさん……」

 そこまで口にして、思わず口元を手で覆った。宙に吐き出された私の息は白く濁り、肌に触れる空気の温度は低く、冷たかった。――そう、冷たい。寒い、のだ。

「寒い……? 私が寒さを感じるなんて……」

 物心ついた頃――もっというと、波導が変質したそのときから、寒さという概念は私の中から消えていた。雪が降っても、スケートリンクの上に立っても、こおりポケモンたちと遊んでも、私が寒いと感じることはなかった。
 そんな私に冷気を与えられるとしたら、それは――圧倒的かつ、絶対的な存在だけだ。

「貴方は、まさか……」

 目の前に、美しい一羽のポケモンが舞い降りてきた。そのポケモンが青白い羽毛に覆われた翼を羽ばたかせるたびに、ダイヤモンドダストが宙に舞う。長い尾をたなびかせる様子は、ため息が出そうになるほど綺麗だ。
 私の前に現れたのは、カントー地方に住まうと言われている、伝説のポケモン。

「フリーザー……!」
『ええ。人は私のことをそう呼びます』

 これは、フリーザーの言葉? 脳内に直接響く声は、男声でも女声でもなく中性的な声色だ。私へと語り掛ける口調は穏やかでありながら、その中に圧倒的な強者のオーラを滲ませている。

「貴方が、私と縁を結んでくれた伝説のポケモンなの?」
『そのようですね。もっとも、わたくしとて違う世界から来たあなたと結びつくとは思いませんでした。あなたの中に秘められた氷の力が、縁を結ぶきっかけとなったのか。あるいは、別の何かがあるのか』
「私が持つ氷の力……」
『あなたは何を望んでいるのですか?』
「私は……元の世界に帰りたい。パパとママに会いたい」
『なるほど。しかしそれは、わたくしの力で叶えられるものではありません。もっと別のあなたの願いが、わたくしをここに喚んだのだということ』
「私の……願いは……」

 自然と脳裏に浮かんできたのは、パパとママの姿だけではなく、デンジさんとレインさんの姿だった。
 憧れのポケモントレーナである、パパとママに勝つというビジョンを思い描くことができなくて、今までポケモンジムへの挑戦を先延ばしにしていた。それはこの世界に来てからも同じことで、デンジさんとレインさんの連携の前にはきっと誰も敵わない。そう感じてしまうほど、二人の絆は強く私の憧れになった。
 でも、いつまでも憧れているままじゃダメだと、わかるから。元の世界に帰りたいという以外に、願いがあるとすれば、きっとこれだ。

「強くなりたい。パパとママ、デンジさんとレインさんに負けないくらい、強く」
『……わたくしを喚べるほどの人間と出会えるのは、数百年に一度あるかないか。その機会を棒に振っては、もったいありませんね』
「じゃあ……!」
『ええ。あなたがこの世界にいる間、あなたの力になりましょう』

 ここに来たときと同じ光が私を包む。まだ体はかじかんでいるはずなのに、その光のお陰か、指先が体温を取り戻していく。
 瞼を持ち上げたとき、私は洞窟の部屋に戻って来ていた。夢でも見ていたのだろうかと疑いたくなるほど一瞬の出来事だった。
 でも、夢ではない証明が、私の手の中にある。氷細工のようなモンスターボールの中には、私と縁を結んでくれたフリーザーが確かにいる。
 夢心地な気分のまま、洞窟を後にした。するとちょうど、目の前をライトが通りかかった。ライトの手の中にも、見覚えのないモンスターボールが見えた。

「ライト!」
「姉さん」
「ディアルガに会えた?」
「いや、会えなかった」
「そっか……」
「でも、すごい伝説に巡り会えたんだ」
「本当!? 私も!」

 この縁はきっと、私たちがこの世界にいる間の力になる。いつか切れてしまう縁でも、今の私たちにとっては唯一無二の、大切な仲間。大切な、お友達。



2022.10.21