Underground

 バトルタワーでヒョウタさんと会った翌日。私たちは彼の言葉通りクロガネシティを訪れた。するとヒョウタさんは、私たちが探検セットを持ってきたことを確認すると、満面の笑みで地下へ続く道を教えてくれた。

 ――それから、数時間後。

 カン、カン、カン。ツルハシの先端が、硬い地盤を少しずつ砕いていく。そこに埋まっているものが姿を現すまであと少し。でも、決して焦ってはいけない。ゆっくり、丁寧に、慎重に、確実に……。
 そして、ひときわ大きな高い音が響いたのと同時に、青く丸い玉が壁から零れ落ちるように出てきた。

「見て見て、ライト。こんな大きい玉を見付けちゃった」
「オレだって、変わらずの石を見付けたよ」
「すごーい! 私ももっと頑張らなきゃ」
「おまえたち、発掘作業に勤しむのは結構だが、当初の目的を忘れるなよ」
「ディアルガとパルキアに会うためには、金剛玉と白玉を見付けないといけないのよね。二つの石は地下通路でたまに見付かることがあるって、ヒョウタ君が言っていたもの」
「わかってます!」
「姉さん、今度はこっちに行ってみようよ!」
「あ、待ってー!」

 ライトの後を急いで追いかけていくと、後ろからデンジさんとレインさんの笑い声が聞こえてきた。「ふふふ。二人ともしっかりしているけど、こうしてみると普通の子供ね」「ああ。目を離さないようにしないと、どこに行くかわからないな」なんて話し声まで聞こえてくる。
 はしゃいでしまっている自覚はあるけれど、どうしても高揚を抑えきれない。だって、この世界のシンオウ地方の地下には、私たちが知らない世界が広がっていたから。

「わあ、すごい! ここは宝石がたくさんある空洞なのね……!」

 狭い通路を抜けた先で、視界が開ける。そこには宝石のような石が散りばめられた空間が、見渡す限り広がっていた。天井は高く、五階建てのビルくらいはあるように見える。そして、その空間に住んでいるのは――エスパーやゴーストタイプのポケモンたちだ。

「ライト、ポケモンだよ!」
「ああ。サンダース、10まんボルト!」
「グレイシア、れいとうビーム!」

 サンダースが放った電撃と、グレイシアが放った冷気が、私たちに襲い掛かろうとしたムウマに命中した。ムウマは高い鳴き声を上げると、空気に溶けるように逃げて行ってしまった。
 私たちよりも少し遅れて、デンジさんとレインさんが空洞に入ってきた。デンジさんは少しだけ呆れ顔だ。

「こっちの世界の地下はすごいのね。通路で発掘ができるだけじゃなくて、ポケモンが住めるような空間が広がっているんだもの」
「だが、ここに住んでいるポケモンたちはレベルが高い。それに、砂漠地帯や極寒地帯のような厳しい環境の空洞も存在するという話だ。迷わないようにくれぐれも気を付けろよ」
「はーい。あ、あっちに道がある! 行ってみよう!」
「ああ、行こう!」

 壁沿いに進んでいって見付けた道へ、ライトと一緒に飛び込む。するとそこには、整備された通路が伸びていた。ここでもまた発掘作業ができそうだ。
 私とライトは二手に分かれて、地下通路の壁と向かい合った。
 さっきみたいに、慎重に掘り進めていく。広い範囲を削るためにはハンマーを使って、集中して一点を掘りたいときはツルハシを使う。
 道具の使い分けはもちろんだけれど、闇雲に掘り進めてしまっては壁が崩れる恐れがある。壁に亀裂が入ってしまったら、そこで引くことも大事なのだ。
 カンカンカン。高い音が狭い通路に反響する。でも、いくら掘っても出てくるのは、色が付いた欠片や進化の石ばかりだ。

「あ、何かあった……うーん、金剛玉でも白玉でもなさそう。もう少し奥に行ってみようかな」
「レイッ!」
「グレイシア、手伝ってくれるの? ありがとう!」

 モンスターボールから飛び出してきたグレイシアと一緒に、私たちは左に分かれた道を選び進んでいった。「あ! キラキラした石が見えた!」「本当? もしかして、金剛玉かしら」「そうかもしれない。レインさん、手伝って!」「ふふ。わかったわ」という、ライトとレインさんのやり取りが少しずつ遠ざかっていく。

「私たちも負けないようにしなきゃ。 ……あ。見て、グレイシア。この壁に何か埋まってるみたい。掘り出してみましょう」
「グレイッ!」

 カン、カン、カン。ツルハシを強く握りしめて、一心不乱に振り下ろす。崩れた土砂はグレイシアが前足で器用に退かしてくれるから、私は掘ることだけに集中したらいい。
 うっすらと桃色をした白くて滑らかな何かが、もう半分顔を出している。もう少し、もう少し……。

「おい、リッカ。勝手に進んで行ったらダメだろう」

 右手のほうからデンジさんの声が聞こえた。私が別の道に進んだことに気付いて、追いかけてきてくれたみたいだ。
 でも、今の私には脇目を振る余裕がない。あと一度壁を叩けば、埋まっているものが出てくるはず。

「ヒビ割れ始めたらほどほどにしないと壁が崩れるぞ」
「わかってる、でももう少し……! 取れた!」

 それは私の手のひらの中へ滑るように落ちてきた。白くてまあるくて、つやつやしている。変わらずの石でも、目覚め石でもないみたい。もしかして、これは……!

「見て、デンジさん! これ、もしかして白……」

 私の思考はそこで停止した。白玉が埋められていたところが空洞になったことで、もともと走っていた亀裂が大きくなってしまったのだ。
 あとはもう、どうにもならなかった。グレイシアに壁を凍らせてもらって亀裂が広がるのを防ぐという判断をする前に、土砂が雪崩のようになって私たちの目の前に崩れ落ちてきた。

「きゃああ!」
「リッカ!」

 ワンピースの裾を強く引っ張られて尻もちをつく。おしりがじわじわと痛みを訴えるけれど、崩れた瓦礫の下敷きになるよりは遥かにマシだ。
 私は駆け寄って来てくれたグレイシアを力いっぱい抱きしめた。

「ありがとう、グレイシア。引っ張って助けてくれたんだね」
「レーイッ!」
「でも、壁が崩れて道が塞がっちゃった……どうしよう……」
「グレイ!」
「グレイシア……奥に行こうって言っているの? そうだね。ここにいたらまた壁が崩れてくるかもしれないから、安全なところに行きましょう」

 幸い、奥に空洞が見える。そこにどんなポケモンがいるのかはわからないけれど、いつ壁が崩れ始めるかわからないここにいるよりは安全はず。
 私はグレイシアと一緒に奥へと進んだ。
 一歩、また一歩。足を進めるたびに、息が白く曇っていく。

「雪だ……」

 その空間は、一面が純白の世界だった。氷山のように突き出た氷や、水面が凍った水辺も見える。雪を踏んで内部に進むと、雪が解れる軽い足音が私たちの後についてくる。
 膝を抱え込むようにして、氷柱の麓に腰を下ろす。ここだったら、誰か人が通ってもわかると思う。

「ママが言っていたの。迷子になったらその場を動かずに助けを待ちなさいって。だから、私たちもここで待っていよう。きっと、ライトやデンジさんとレインさんが来てくれる」

 グレイシアを励ますように言ったつもりだけれど、知らないうちに自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。だって、頼りになるポケモンたちがいてくれるとはいえ、知らない世界に一人きりは寂しいし、怖い。
 そのとき、生暖かく湿った感触が頬を撫でた。
 私の頬を舐めたグレイシアは、そのまま私に寄り添って足を畳んだ。

「温めてくれるの? ありがとう。私は寒さを感じない体質だから雪の中でも平気だけど、でも嬉しい。……寒いってどんな感覚だったっけ。忘れちゃった」

 きっと、普通の人なら防寒具なしじゃこの寒さには耐えられない。幼い頃に凍り付いた岩に触れて、波導が変質し、寒さに強い体質になってしまった私だからこそ大丈夫なのだ。そう考えると、はぐれたのがライトではなくてよかった。もっとも、ライトだったらはぐれるような無茶はしないと思うけれど。

「もし、ママみたいに波導の力が残っていたら、迷子になっても帰ることができたのかな」
「レィ……」
「あ、違うの! もしもの話をしているだけで、私の波導が消えた代わりにこの体質になったことが嫌とか、そうじゃないの。だって、この体質になったおかげでグレイシアと出会えたし、こおりタイプのみんなとめいっぱい遊べるもの!」

 ママやゲンさんとは違う波導。私だけの特別な力。それを、私はずっと大切にしていきたい。私はこの力と一緒に、こおりタイプのポケモンたちと強くなることを決めたのだから。

「それに、この体質のお陰でこうして待っている間も凍えずに済む……っ!?」

 突然吹き荒れた風が、私の言葉を遮った。寒さは相変わらず感じない。でも、周りの空気が一気に冷え込んだ気配はわかる。だって、私たちの目の前には。

「っ、ニューラとマニューラの群れ……!」

 お腹を空かせたマニューラたちが、目の前にいる獲物に狙いを定めているのだから。

「みんな! 待って……!」

 私の合図を待たずに、モンスターボールが一斉に開いて中からポケモンたちが飛び出してきた。全員がこの状況に危機感を持って、それぞれが自分の役割を果たそうとマニューラたちに立ち向かっていくのに、私の頭は正確な判断ができずにいる。
 誰かこおりタイプに有利な技を覚えていた? それとも、この場から逃げ出せるような技を使える? 頭が真っ白で、指示が何も浮かんでこない。

「指示を出さなきゃ、でも、六体同時に出すなんてできない……だからと言って一匹でもボールに戻したら……負ける……!」

 そのとき、何かが突き刺さるような嫌な音が私の耳に届いた。
 目の前の光景が信じられない。マニューラの鋭いかぎ爪が――グレイシアの体に深々と突き刺さっているなんて。

「グレイシア!」

 直後、ユキカブリのウッドハンマーがマニューラに叩き付けられた反動で、グレイシアは逃げ出すことに成功した。
 立っていることもままならずに、雪の上に力なく倒れてしまったグレイシア体を抱き起す。グレイシアの体から溢れ出る命の色が、純白の雪を真っ赤に染めていく。

「誰か……パパ、ママ、ライト……!」

 違う、助けを求めたらダメだ。こうなったのは私がはぐれてしまったのがいけないのだから……私が責任を取らなきゃ。

「みんな、逃げて!」

 震える膝を叩き、立ち上がって両手を広げる。獲物はここにいるということを見せ付けるために。
 だって、私にはこの方法しか思い付かない。私が食べられている間に、みんなが助かるのなら喜んでそうする。これは自己満足だと、自己犠牲は誰も救わないと、そんな綺麗ごとを言われるより命が一つでも多く助かったほうがいいに決まっている。
 だから、みんなそんな顔をしないで。動けないグレイシアを連れて早く、早く……!

「……え?」

 私の頬を、何かが濡らした。涙ではない。恐怖が極限まで達したとき、人は涙すら流せない。
 じゃあ、この雫は何?

「これは、雨……?」

 雨が降っている。この冷気でも凍ることのない、優しくあたたかい雨が降っている。私の恐怖を溶かすように、私を包み守ってくれるように。
 そして、発生した雨雲から落ちた雷は、一寸の狂いもない精度でマニューラたちに次々と命中していく。
 この雷は、もしかして……。

「パパ!?」
「そうだな」

 目の前に、雷が現れる。そして、優しい雨が冷え切った私の体を抱きしめる。

「この世界でリッカのパパ替わりはオレかもな」
「デンジさん!」
「ライト、行くぞ!」
「はい!」

 デンジさんのエレキブルと、ライトのギギギアルが加勢したことで、形勢は逆転した。こおりタイプに効果抜群を取るほのおのパンチを駆使して、エレキブルはマニューラたちを蹴散らしていく。ギギギアルはこおりタイプが苦手とするはがねタイプの真価を発揮し、ラスターカノンを放つ。

「リッカちゃん、グレイシアを見せて」
「レインさん」

 私を抱きしめてくれているレインさんは、私の腕の中に視線を落とすと、細い眉をきつく寄せた。レインさんは優しいから、負傷したグレイシアの姿を見て心を痛めてくれているのだとわかる。
 その海のように深い慈愛の心は優しい光となって、グレイシアの体を包み込んだ。

「ママの波導と同じ、青くて優しい光……やっぱり、レインさんも波導が……」

 レインさんの波導がグレイシアの傷口に染み入っていく。傷は見る見るうちに塞がっていき、生気をなくしていたグレイシアの表情が穏やかになり、規則正しい寝息を立て始めた。
 グレイシアをモンスターボールに戻して辺りを見渡すと、マニューラたちが遠くに逃げ帰っていく姿が見えた。
 助かったんだ、私たち。
 緊張がゆるんで力が抜ける。安心感と恐怖が雪崩のように同時に押し寄せてきて、私の涙腺は決壊した。

「う、ううっ……!」
「怖かったわね。もう大丈夫よ」
「ごめんなさ、い。私、なにもできなかった……っ」
「そんなことない。むしろ悪いのは、おまえから目を離したオレのほうだ。怖い思いをさせてごめん。……でも、グレイシアたちと一緒にすぐ近くの空洞に避難していたんだな。あちこち歩き回っていなかったからすぐに見付けられた。えらいぞ、リッカ」
「姉さん……っ! っ、心配かけるなよ……」
「ライト……っ、ひっく……うわあぁぁん!」

 駆け寄って来てくれたライトに抱きしめられて、私はまた大声をあげて泣いた。弟にまで苦しい顔をさせてしまって、私は悪いお姉ちゃんだ。目の前のことに夢中になって、周りのことが見えなくなって、みんなを危険な目に遭わせた。どうしようもないほど、バカだ。

「リッカちゃん。貴方はまだ子供だもの。何かあったときの責任は一緒にいる大人にあるわ。……怖い思いをさせて本当にごめんなさい」
「そんな、こと、う……っ。私も、ごめんな、さい……っ」
「……まあ大人になっても、自分の身を顧みずに危険に首を突っ込むどこかの誰かさんもいるしな。リッカはそうならないように、十分反省するんだぞ」
「はい……」

 デンジさんは誰のことを例えに出して話しているのだろう。レインさんが居心地悪そうにもじもじしているけれど、何か知っているのかな。

「と、とりあえず地上に戻りましょう。リッカちゃんを温めなきゃ」
「デンジさん……」

 両手を広げてデンジさんを見上げる。パパ替わり、と言ってくれたデンジさんなら、きっと甘えても許してくれる。
 ほら、デンジさんは呆れたように笑って、膝を折って屈んでくれた。

「仕方ないな」

 デンジさんの背中に遠慮なく飛び乗る。デンジさんはよろけながらも私のことを受け止めて、膝の裏の手を回してしっかり抱えなおしてくれた。
 デンジさんの背中、あたたかいなぁ。
 デンジさんの肩に頬を摺り寄せて瞼を落とそうとしたとき、すぐ近くから声が聞こえてきた。

「そういえば、壁が崩れる前に何か叫んでいたけど、何のことだっんだ?」
「あ、そうだ! 私ね、これを見付けたの! これって、白玉だよね」
「本当だ! オレも見付けたんだ。ほら、金剛玉」

 白玉をライトに渡す。ライトが持っていた金剛玉と並べると、二つの宝石は共鳴しあうような輝きを放った。よかった、どちらも本物みたいだ。

「これでディアルガとパルキアに会える……! 元の世界に帰られるかもしれない!」
「となると、ディアルガとパルキアが応えてくれるような場所を探さないとな」
「デンジ君、あそこはどうかしら? ……パーク……」
「なるほど。あそこは……伝説のポケモンが……」
「本当? 行って……」
「ああ。でも、今日は……リッカをゆっくり…………リッカ?」

 デンジさんたちが何か大切なことを話している気がする。でも、もう目を開けていられない。だって、デンジさんのおんぶはとってもあたたかくて、とっても安心できるもの。

「おやすみ」

 パパみたいに優しい声が私の中に染み入ったと同時に、私の意識は夢の世界へと落ちていった。



2022.10.15