「ミオ図書館に行ってみましょう。もしかしたら、伝説のポケモンや時空の神話についてわかるかもしれないわ」
レインさんの提案に賛成した私たちは、次の休みの日にミオシティのミオ図書館へと向かった。ミオ図書館は、私たちの世界にあるものと比べて内装が違ったり、一昔前に発行された本が多かったりと、いくつか違いは見られたけれど、私たちの世界にある図書館と同じように圧倒される量の本が棚の中におさまっている。
私たちは神話や歴史に関する資料が並んでいるコーナーで立ち止まり、目当ての本を探し始めた。時間と空間を司るディアルガとパルキアの資料があれば言うことなし。他にも、時を渡ることができるといわれているセレビィや、空間を繋げることができるといわれているフーパというポケモンの資料を参考に見てみるのもいいかもしれない。
「これはどうだ? シンオウ地方の歴史が書かれている本だ」
「見せて」
デンジさんから本を受け取ったライトは、すぐにページをめくり始めた。
シンオウ地方がかつてヒスイ地方と呼ばれていたころの神話や、時空の歪みという不思議な現象について書かれているみたいだ。ヒスイ地方の話はスクールで習っているし、時空の歪みという現象は突き詰めていくと結局ディアルガとパルキアに辿り着く。この本に私たちが知っている以上の情報はなさそうだ。
調べ物は、頭がいいライトに任せるとして。
私は本棚を眺めているデンジさんのジャケットの裾を引っ張った。すると、私に気付いたデンジさんが身を屈めてくれる。デンジさんはパパと一緒で身長がとても高いから、内緒話をするだけでも一苦労だ。
「デンジさん」
「ん?」
「私たちが帰る方法を探すお手伝いをしてくれるのはすごくありがたいんですけど、デンジさんも頑張ってくださいね」
私は奥の本棚にいるレインさんへと視線を送った。レインさんもまた、真剣そのものといった表情で私たちが帰る手掛かりとなる本を探してくれている。
デンジさんは大げさに唸りながら、後頭部を掻いた。
「頑張れと言ってもな……今でも結構わかりやすく接していると思うんだが」
「ええ。すっごくわかりやすいです。それでもレインさんは気が付いていないんだから、押してダメならもっと押してみる作戦です!」
「引くんじゃなくて、さらに押すのか」
「はい! 私がこおりポケモンについて学んでいる師匠のポリシーです! ポケモンもオシャレも恋愛も、全部気合い!」
「……ちなみに、その師匠って誰だ?」
「スズナさん」
デンジさんは目を片手で覆い隠してため息をついている。どうやら思い当たる節があるみたいだけれど、納得はしていないみたい。
「ほら、レインさんが高いところにある本を取ろうとしています! 後ろから近付いてとってあげたら、レインさんもドキッとすること間違いなしです!」
「……まあ、せっかくリッカが応援してくれているんだから、いってくるか」
私がめげずに視線を送り続けていると、デンジさんはようやく立ち上がった。
レインさんは踏み台にのって爪先立っているけれど、それでも目当ての本には届かない。そこで、長身のデンジさんの出番だ。
「そう、あのまま手を伸ばして触れ合えば……!」
「姉さん、なんか作戦が古典的じゃない?」
いつの間にか隣にやってきたライトと一緒に、本棚の陰に隠れながら様子を見守る。二人の距離は、もう三十センチほど。デンジさんが近付いてきていることに、レインさんはまだ気付いていない。
私たちがドキドキしながら行く末を見守っていると、ふと、レインさんの体が揺らいだ。
「きゃっ」
「レイン!」
背伸びをし過ぎて体勢を崩してしまったレインさんは、そのまま背後に倒れようとしてしまった。でも、それをデンジさんが許すはずもなく、腕を伸ばしてレインさんの体を包み込むように抱きとめる。危ないところだったけれど、シチュエーションとしては百点満点だ。少女漫画のヒロインならすでにコロッと落ちてしまっている。見ている私でさえドキドキするのだから、レインさんはきっと……。
「大丈夫か?」
「デンジ君。ありがとう、あの本を取ろうとしていたの」
「あれか?」
「ううん、その隣」
きっと……あれ?
二人は何事もなかったかのように会話を続けている。もちろん、デンジさんはレインさんを抱きとめたままだし、レインさんはデンジさんの腕の中におさまったままだ。それなのに、二人とも顔色一つも変えることなく会話を続け、デンジさんはレインさんが指さした本に腕を伸ばした。
「ほら」
「ありがとう」
「危ないことはするなよ。落ちて怪我でもしたら大変だ。何かあったら最初からオレを呼ぶように。いいな?」
「はい。ありがとう、デンジ君。デンジ君は昔から本当に優しいね」
デンジさんが本の表紙でレインさんの頭を軽くたたくと、レインさんはクスクスと笑いながら本を受け取った。
どこをどう見ても、少女漫画に出てくる両想いの男女のやり取りだ。二人の距離は近いどころかゼロ。
……え? それなのに、え?
「どうだった?」
「え? や、えっと、期待以上でしたけど、レインさん、顔色一つ……え? というか、あれ、あんなに近くて、え? 付き合ってない?」
「そう言っているだろう」
「姉さん。父さんと母さんの距離感を忘れた? オレたちがいるにも関わらず、気が付いたら二人の世界に入ってるだろ。昔から、それこそ恋人同士になる前からそうだったんだよ。この世界のデンジさんとレインさんみたいに」
「……そういうことだ。今さら手が触れたり、抱きしめたりしたところで効果はないな。なんせ『いつものこと』だから」
いつものこと。これをいつものことだというのなら、周りにいる人たち、例えばオーバさんなんかは堪らないだろう。砂糖漬けみたいな二人のやり取りを見せ付けられているにもかかわらず、本人たちは恋人同士でも何でもなく、デンジさんの片想い状態なのだから、じれったいとしか言いようがない。
「そんなぁ……レインさんがデンジさんを男の人として意識しないのって、デンジさんのせいじゃないですか……」
「うっ、痛いところを突くなよ。自分でも痛感しているところだ。レインを好きだと気が付いたときにはすでにこんな関係だったんだから、仕方ないだろ」
デンジさんは視線を落とし、独り言のように呟いた。
「今さら想いを告げて、この関係が壊れるかもしれないのが怖いなんてな」
「デンジさん……」
デンジさんがあと一歩踏み出せない理由は、まだ見えない未来が足元から崩れ落ちていくことを恐れているからだった。
改めて好意を意識させることで、レインさんが一歩引いてしまったら? そういう意味の好きではないと、拒絶されてしまったら?
レインさんとの関係が大事すぎるあまりに行動に移せないでいるデンジさんは、もしかしたらパパよりよっぽど……。
「はあ。こっちの世界のデンジさん、拗らせすぎ」
「それ、今私も思った」
「というか、どうして関係が壊れると思うんですか?」
「どうしてってな……」
「レインさんは今の距離が近すぎるデンジさんを受け入れて、それが自然だと思ってるんだから、それ以上を拒む理由なんてないと思うんですけど」
「それは……」
「キスしちゃえばいいんですよ。さすがのレインさんもわかるでしょ」
「きゃ! ライトったら大胆!」
「キッ!? ……おまえたち、どこでそんなことを覚えたんだ」
「父さんと母さん。息をするみたいによくキスしてるから」
「二人とも私たちが見てないときにしてるつもりだろうけどバレバレ。ね!」
「……なんて夫婦だ」
デンジさんはとうとう頭を抱えてしまった。そんなことを言われても、別の世界のデンジさんなんだから受け入れてほしい。
レインさんは本当に何とも思っていないのかな。デンジさんはこんなにレインさんのことを想っているのに、デンジさんの想いは一片たりとも届いていないのかな。
レインさんのほうを横目で見ると、彼女がいた本棚の前には誰もいなかった。その代わり、もっと奥のほうから微かに話し声が聞こえてきた。
「あれ? レインさんが誰かと話しているみたい」
「この声って……もしかしてゲンさん?」
「本当だ! ゲンさー……」
私とライトが声のほうへ向かおうとすると、頭を大きな手で押さえつけられた。潰れたような声が私たちの口から漏れる。その隙に、デンジさんは私たちの間を通り抜けて声がするほうに向かった。
「デンジさんに押し込まれちゃった……」
「出てくるな、ってことじゃないの? オレたちの姿を見せると説明に困るとかで」
「そっかぁ、残念。この世界のゲンさんも、私たちの世界のゲンさんとほとんど姿が変わらないね。……あ、デンジさんがレインさんとゲンさんの話に割り込んだ」
「……すごい顔をしてるけど、本人に自覚はないんだろうね」
私たちが知るゲンさんは年齢の割にとても若々しくて、おじさんというよりはお兄さんといったほうが馴染むような人だ。そして、今目の前にいるゲンさんも同じ。私たちが知っている姿とほとんど姿かたちが変わっていない。顔立ちが元から整っている人は年を重ねても変わらないというけれど、その通りなのかもしれない。
「ディアルガとパルキアに会う方法を探しているんだね」
「そうなんです。ゲンさん、なにか心当たりはありませんか?」
「……金剛玉と白玉」
「金剛玉……? 白玉……?」
「うん。ディアルガとパルキアが好むとされている石だよ。それを見付けることができたら、もしかしたら会えるかもしれないね」
「……よく知っているな」
「石に詳しい友人がいるんだ」
それから一言二言話してから、デンジさんとレインんさんは私たちのところに戻ってきた。レインさんは嬉しそうに笑っているけれど、デンジさんは仏頂面のままだ。……本当に、わかりやすいと思う。
「聞こえていたか?」
「はい。金剛玉と白玉、ですね」
「ああ。本当なら探してみる価値はありそうだ。今度ヒョウタのところに行ってみよう。何か知っているかもしれないからな」
「ヒョウタさん。クロガネジムのリーダーですね」
そうか。ゲンさんが言っていた石に詳しい友達ってヒョウタさんのことだったんだ。確かに、私たちの世界のゲンさんとヒョウタさんも昔馴染みで仲が良く、いわ使いとはがね使いとしてもよく一緒に修行している仲だと聞く。
図書館の外に出ると、デンジさんはどこかへ電話を始めた。五分ほど経ってから通話を切ると、スマートフォンをパンツのポケットに押し込みながら戻ってきた。
「ヒョウタはちょうどクロガネを留守にしているみたいだ」
「炭鉱に行っている、とかですか?」
「いや、違う。今週はヒョウタが担当だと」
「ああ。あそこにいるのね」
「そうだ。オレたちも行ってみよう」
「二人で納得しないでくださいよ。あそこって、どこ?」
しびれを切らしたライトが急かすと、二人は声を揃えてこう言った。
「バトルタワー」
2022.10.04