キッチンから見える眺めが好き。大好きな料理をしながら、大好きな人がくつろいでいる姿を、キッチンカウンター越しに見ることができるから。
コトコトと沸騰しかけた鍋の火を止める。鍋の蓋を開けて、お玉でカレーを掬って味見皿に少しだけ垂らして、その味を確かめる。
うん。少しピリッと辛くて、デンジ君好みの味だ。
「うっわー! すっげーうまそー!」
「ピッカー!」
「ふふ。出来上がったから盛り付けるわね。もう少し待ってて」
蓋を開けて開放された香りに誘われたのか、サトシ君がカウンターキッチン越しに鍋の中身を覗き込んできた。
今、我が家にいるのはサトシ君だけじゃない。ゴウ君とコウキ君も一緒だ。三人は我が家のリビングで、今日のバトルを興奮気味に振り返っているところだったけど、そろそろお腹が空腹を訴えているみたいだ。
野菜たっぷりのグリーンサラダと、あらびきヴルストをのせたカレーをお皿に盛り付けると、それをコウキ君がテーブルへと運んでくれた。「お客さんなのに悪いわ」と言うと「作ってもらったんだからこれくらい」と、にこやかに言われたので好意に甘えることにした。
「簡単にできるものでごめんね。でも、たくさん作ったからどんどん食べて」
「ありがとうございます、レインさん」
「「いっただきまーす!」」
席について、手を合わせたサトシ君とゴウ君は、気持ちがいいくらい大きく口を開けて、カレーを運んだ。ふたりは目の前で星が弾けたかのように、瞳をキラキラと輝かせた。
「うまいっ!」
「店で売ってるやつみたいだ!」
「ほんとだ。すごく美味しいです」
「今日はガラル地方のレシピでカレーを作ってみたの。お口にあってよかった」
「レインの料理なんだから、美味いのは当然だな」
「デンジ君」
デンジ君がリビングに戻ってきて、ふうと息をつきながらいつもの席に座った。デンジ君は三人が泊まる部屋を整えて来てくれたのだ。
「デンジさん、泊めてくださってありがとうございます」
「俺、ビックリしました! デンジさんとレインさんが結婚してたなんて!」
私とデンジ君の左手を見ながら、サトシ君はオーバーリアクション気味に言った。
私たちの左手の、細かく言うと薬指には、ナギサの海のように穏やかな波の形をしたプラチナリングが控えめに輝いている。それは、私たちが夫婦である証だった。
デンジ君とサトシ君のバトル後に「よかったら泊まっていくか?」とデンジ君が提案したことをきっかけに、サトシ君に私たちの関係を改めて知らせてしまうことになってしまった。シンオウに拠点を置いているコウキ君は私とデンジ君が結婚したことをすでに知っていたし、ゴウ君とははじめましてだったから、結婚の事実に驚いたのはサトシ君だけだったのだ。以前、彼がシンオウを旅していた頃に出逢ったときは、私たちはまだそんな関係じゃなかったから。
「こんな美味い料理を毎日食べられるなんて、デンジさんいいな〜!」
「そうだろう」
「で、デンジ君ったら……」
私が作る料理なんて大したことないのに、でも、そんな風にデンジ君から誇らしげに言われると、自信が湧いてきてしまうのだから不思議だ。
デンジ君もサトシ君たちと同じように、カレーにかぶりつく。「ん、今日も美味い」と、ずっと一緒にいるのに毎日欠かさず『美味しい』を伝えてくれることがこんなにも嬉しい。
「サトシ君とコウキはワールドポケモンチャンピオンシップスに挑戦。ゴウ君は全てのポケモンに逢うことを目指して旅してるんだったな」
「はい!」
「いろんな地方に行ったよな! カントー、ジョウト、ホウエン、イッシュにカロスにアローラにガラル!」
「なるほど。その旅で培った強さに、オレは負けたのか」
話題はやっぱり、今日のバトルについてだ。午前中はコウキ君と私のバトルが、午後からはデンジ君とサトシ君のバトルがあったのだから、話題が尽きることはなかった。
「次にバトルするときまでに1000まんボルトを克服してみせる。次も同じようにはいかないぜ?」
「へへっ! じゃあ、俺たちももっともっと強くならないとな! ピカチュウ!」
「ピカチュ!」
デンジ君とサトシ君は拳を軽くぶつけ合って、再戦を誓った。男同士の友情、という感じでなんだか羨ましい。
ふと、目の前の視線に気付いた。コウキ君がソワソワしながら、私の方を見ていたのだ。
「私たちもまたいつか必ず戦いましょうね」
「! もちろんです!」
「レインとコウキのバトル、オレは中継で見ていたよ。ルンパッパのかみなりパンチは満点だった」
「本当? でも、引き分けになっちゃったの。デンジ君、今度アドバイスをくれる?」
「ああ。もちろん」
「ありがとう」
ルンパッパのかみなりパンチは、デンジ君のエレキブルから特訓を受けた技だ。デンジ君本人から合格点をもらえて嬉しいし、かみなりパンチでコウキ君のポケモンを一体倒したことは事実だけれど、総合的には引き分けてしまったことに変わりない。
詰めが悪かったところは? 判断を間違えたところはあるのかしら? 自分ではわからないことろに対して客観的にアドバイスをもらえるのはすごく有り難いことだし、私とデンジ君の間でバトルを評価し合うのは普通だ。
でも、周りから見たら少し違和感を感じるところがあったみたいだ。
「なんか、デンジさん。バトルのときと全然顔付きが違うよな」
「バトル中は圧倒される感じだったけど、今は、なんだろう……すごく大切なものを見る目だ」
サトシ君とゴウ君がそう話しているのが聞こえたけれど、私にはよくわからなかった。だって、今が特別とかそういうことは全く無くて、私を見るデンジ君の目はいつもこうだからだ。
* * *
それぞれシャワーを浴びて。歯磨きをして。パジャマに着替えて。おやすみなさいと言って三人を寝室に案内したあと、私も寝る支度を済ませて、もう一度三人が泊まっている部屋の前を訪れた。少しだけ扉を開けると、細い光の線が部屋の中に落ちる。
三人がぐっすり眠っていることを確認すると、音を立てないように扉をそっと締めて、デンジ君が待っている私たちの寝室へと向かった。窓から入ってくる風が、デンジ君の髪を揺らしている。
デンジ君は私が戻ってきたことに気付くと、そっと微笑んで手招いた。素直に近寄ると、ごく自然に腕の中におさめられる。
「三人とも寝たか?」
「ええ」
「レイン」
「デンジ君……っ」
後ろから包み込むように抱きしめられて、手を絡め合って、目を見つめ合いながら、寝る前にお話をするのが好き。たまに、髪に落とされるキスがくすぐったいやら、恥ずかしいやらで、身を捩らせる。すると、気を良くしたデンジ君はすぐに頬や指先にもキスを降らせる。
「急に三人も泊めることになって悪かったな。大人数の夕食作るの、大変だっただろう?」
「う、ううん! お料理は好きだから全然気にしないで! 私もみんなのお話を聞けてすごく楽しかったわ」
私がドキドキしているとわかっているのに、なんでもないように話題を振ってくるのだからズルい。私は結婚しても変わらずに、デンジ君のひとつひとつの仕草や言葉にドキドキしっぱなしなのに。
「みんな、自分の足で色んなところに行って、強さを磨いているのね」
何気なく返した言葉は、思いの外、私たちの中に水紋を作るようにじんわりと広がっていった。
サトシ君やゴウ君は、様々な地方に行っていろんなポケモンたちに出逢い、強さや知識を磨いているという。それを、私もデンジ君も、ほんの少しだけ羨ましいと思ってしまっているのだ。
私たちはジムを守る者。挑んでくるトレーナーを待ち受ける者。昔のように、気軽にはシンオウを出られない。
ふと、視界の隅に柔らかい光が灯った。私もデンジ君も、ほぼ毎日見ていると言っても良い、その光は。
「シルベの灯台……」
シルベの灯台。太陽に照らされた街、ナギサシティの象徴とするその灯台は、太陽が見えなくなった夜にその代わりとなってナギサシティの街と海を照らしてくれる。
「オレたちはジムリーダーという職業柄、昔みたいに自由気ままに旅することはできない。でも」
海をそのまま閉じ込めたようなデンジ君のコバルトブルーの瞳が、シルベの灯台を映す。
デンジ君はなにか考え事をするときや、落ち込むことがあったときに、よくシルベの灯台を訪れている。そして、展望台から灯台の光に照らされた海を眺めながら、気持ちや考えを整理するのが好きだという。
「あの灯台が、この街で強さを磨き続けるオレたちを照らしてくれる」
「そうね。シルベの灯台はいつも私たちを見守って、ときに導いてくれた。今までも、そしてこれからも」
その名前の通り、シルベの灯台はこれからも私たちの『導』になるのだ。これからも強さを追い続ける私たちは、きっとまた壁にぶつかるときが来る。そんな未来があっても、きっと、シルベの灯台は変わらずそこに在る。そこで私たちを見下ろし、優しく照らしてくれるはずだ。
そのとき、ベッドのサイドテーブルに置いていた私とデンジ君のスマホロトムが、同時に音を立てた。
『『一週間後、ハイパークラスの公式戦が決まりました』』
「なんだ?」
「デンジ君のスマホロトムと私のスマホロトムに、同時に着信が?」
『『相手は……』』
そして同時に、ポケモンワールドチャンピオンシップスハイパークラスの、次の対戦相手の名前を告げたのだった。
2021.09.25
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