04.深海に降る雨

 レインさんはその名前の通り、雨のような人だと思う。雨が地面に染み入って草木を潤すように、優しさと慈しみを絶やさない心優しい人。だけどその反面で、地面に叩きつける雨のような静かな激しさを併せ持っている人。そんなレインさんの反面を、きっとぼくはもうすぐ思い知ることになる。

「今日のバトル、とっても楽しみにしていたわ。お互い全力を出しましょう」
「はい! よろしくお願いします、レインさん」

 そうやって、挨拶を交わしたのは数分前のこと。ぼくたちは今、お互いの姿が見えない場所で、勝負が始まるその時を待っている。

『ポケモンワールドチャンピオンシップス!本日のバトル、一戦目は大湿原と生きる街、ノモセシティの特設ステージで開催されます!マッチングされた選手の入場です!』

 実況の声が聞こえる。ぼくは立ち上がって、ゆっくりとバトルフィールドに向かって歩き始めた。反対側からは同じように、レインさんがこちらに向かって歩いてきている。
 大湿原の真ん中に用意されたバトルフィールドの観客席は、空席ひとつなく埋まっている。さらには、大湿原に生きているポケモンたちも様子を見に集まっているみたいだ。

『本日のハイパークラスバトル!マッチングされたのはこちら!ノモセジムのサブジムリーダー、人呼んで深海に降る雨!現在41位のレイン選手!』

 レインさんの名前が呼ばれると、割れんばかりの歓声がこの場を満たした。
 ジムリーダーやそれに準ずるトレーナーに与えられる通り名。例えば、ノモセジムのマキシさんは『ウォーターストリームマスクマン』だ。自己申請なのか、それともポケモンリーグ関係者が名付けるのかはわからない。でも、レインさんの『深海に降る雨』という通り名は、彼女にとても良く似合っているように感じた。

『対するは現在50位!コンテストでも有名な凄腕トレーナー、マサゴタウンのコウキ選手です!』

 ぼくの名前が呼ばれた途端に、一度落ち着いた歓声がまた弾ける。
 紹介にあったとおり、ぼくはポケモンコンテストが好きだ。ポケモンの魅力を引き出して、磨いた技を審査員や観客にアピールする。そうして浴びる歓声は、とても心が満たされて次も頑張らなくてはという気持ちになるのだ。
 でも、バトルのときに観客の反応は考えない。考えるのは自分のポケモンのことと、目の前にいるバトル相手のことだけだ。

『では、両者同時にポケモンを出してください。3・2・1・GO!』

 ドローンロトムの合図と同時に、ぼくとレインさんは同時にモンスターボールへと手をかける。

「ミロカロス、お願い!」
「ドクロッグ! 頼むよ!」

 レインさんが出したのは、ミロカロス、確か、シンオウ地方を旅していたときから手持ちにいる古株だ。
 レインさんはみず使いだ。それをぼくが知っていて、なおかつ対策してくると予想しているはずなのに、あえてみず単体タイプのミロカロスを出してくるなんて。ミロカロスの実力を信頼しているという証なのだろう。

『バトルスタート!』

 ドローンロトムがバトル開始を告げた瞬間、ぼくもレインさんも同時に指示を出す。

「ドクロッグ、ダストシュート!」
「ミロカロス、れいとうビーム!」
『両者攻撃技からのスタート! 早くも激しい戦いになりそうだー!』

 意外だ、と思った。レインさんは確か、自分のポケモンを有利に、そして安全に戦わせるために保守技をかけた後に攻撃を仕掛ける戦法だったはず。それを読んで、ふいうちを出すことを避けたのに。
 もしかすると、ドクロッグを出したぼくの考えをここまで読んで、保守技を避けたのかもしれない。だとしたら、以前戦ったときと同じように戦ったら、勝てない。
 ドクロッグが投げつける不純物を、ミロカロスが凍らせて落とし切ると同時に、ぼくは次なる攻撃を仕掛ける。

「どくづきだ!」
「くろいきりで目眩まして!」

 ミロカロスがくろいきりを吐く、その前に、毒に染まった腕をミロカロスに叩き込む。ミロカロスの巨体は吹き飛んでしまったが、なんとか踏ん張って倒れることなく立っている。

『コウキ選手のドクロッグ! ミロカロスの巨体を揺るがしたー!』
「さすが、コウキ君のドクロッグ。育てられているわね」
「レインさんのミロカロスこそ。でも、運が向いたのはぼくの方でしたね」

 ミロカロスの顔色が青くなっている。どうやら追加効果の毒状態にさせることに成功したらしい。これで、有利に戦えることができるはず。
 でも、レインさんは揺らがなかった。

『おっと! これは毒状態! ミロカロスの体力は少しずつ蝕まれていきます!』
「毒状態、ね……せめて猛毒状態ならミロカロスを破ることができたかもしれないわね」
「? ドクロッグ、どくづきを連発するんだ!」
「避けて! ミロカロス」

 毒状態にも関わらず、ミロカロスは巨大をうねらせながら攻撃を避ける。しかし、避けきれなかったドクロッグの毒の拳が、ミロカロスを確実に追い詰めていく。
 そう思ったのに、想像していたようにダメージを与えられていない。その理由に気付いたのは、ミロカロスの特性を思い出してからだった。

「まさか、不思議な鱗……!」
「そう。防御も特防も高い、私のミロカロスの守りを破れるかしら? ミロカロス、じこさいせい!」
『不思議な鱗を持ったレイン選手のミロカロス、体力を回復してさらに防御力は高まったままです!』

 ミロカロスの体を光が包み込み、体力が回復する。
 やっぱり、レインさんはレインさんだ。自分のポケモンがなるべく傷つかないような、そんな戦い方を好む。
 ミロカロスは攻撃を避けた勢いで、長い尾をドクロッグに叩きつけて吹き飛ばし、距離を取った。毒状態とは思えない身のこなしだ。

「れいとうビーム!」
「躱すんだ!」

 今度は立場が逆転した。冷気を帯びた光線をドクロッグが避けている間に、この守りを破る方法を考える。やっぱり、電気技で一気に畳み掛けるしかないと思った。
 ぼくが別のモンスターボールに手をかけようとしたその時、ぽつりと、鼻先に水滴が落ちてきた。雨だ。

『おーっと! 大湿原に雨が降ってきた! これはみず使いのレイン選手の地の利になるかー!?』

 大降りの雨ではなく、小雨だ。しかし、それは確実にドクロッグの肌を潤していく。先ほど受けた傷に染み入るように。レインさんはハッと目を見開いた。

「やっぱり、かんそうはだだったのね」
「はい。みずタイプの技を出してこないと思ったら、やっぱり予測していたんですね」

 ぼくのドクロッグの特性はかんそうはだ。炎技のダメージを受けやすくなる代わりに、雨のときに少しずつ体力を回復して、みずタイプの攻撃を無効化した上で回復することができる。
 これは、もう少しこのまま戦ってみても良いかもしれない。そう思ったとき、レインさんがモンスターボールに手をかけた。

「戻って、ミロカロス」
「!」
「次は貴方よ、ルンパッパ!」
『レイン選手、ここでポケモンを交代だー! 二体目はルンパッパです!』

 出てきたのはルンパッパ。ぼくが初めて見るレインさんの手持ちだ。確か、特性のひとつがあめうけざらと言ってドクロッグのかんそうはだと似た性質だったはず。
 雨を味方にしようとしているのだろうか。でも、弱点の毒タイプを突けるドクロッグ相手に、わざわざ交代してくるだろうか。レインさんのルンパッパは雨の中で陽気に踊っている。

「しねんのずつき!」
「ルンッパー!」
「!」

 速い。避けろ、とも、まもるを指示する暇もなかった。陽気に踊っていたルンパッパは指示された途端に目付きを変えると、まるで瞬間移動したような速さでルンパッパはドクロッグの目の前まで距離を詰めて、思念の力を込めた頭突きを叩き込んできた。
 ドクロッグが怯んだ拍子に、容赦なく次の技を指示する。

「そのまま決めるわ!かみなりパンチ!」

 雷を集めた拳が、四倍ダメージを受けたばかりのドクロッグに叩き込まれる。その雷に、あの人の姿を思い浮かべた。レインさんの傍にいつもいる、シンオウ最強のジムリーダーだ。きっと、このでんき技もあの人から鍛え上げられたのだろう。

『ドクロッグ、戦闘不能』
『雨の中、特性すいすいが発動したレイン選手のルンパッパ! 素早い動きでドクロッグに攻撃の隙きを与えません!』
「なるほど、すいすいか……ドクロッグ、ありがとう。ゆっくり休んで」

 ドクロッグをボールに戻して、次のポケモンを考える。
 雨はいつ止むかわからない。ドクロッグが倒れた今、雨の中ではレインさんのほうが完全に有利だ。
 できたら、もう少し温存しておきたかったけど。

「出番だよ! レントラー!」
『コウキ選手の二番手はレントラーだー!』
「レントラーね……ルンパッパ! だくりゅう!」
「こうそくいどうで逃げ切るんだ!」

 ルンパッパが生み出した淀んだ水が、レントラーに迫る。かんそうはだ持ちのドクロッグ相手には出せなかったみずタイプの技を、最初から惜しみなく使ってくる。雨という恵みを受けた状態のみず技を食らってしまってはひとたまりもない。でも、素早さ勝負ならぼくのレントラーも負けていない。

『コウキ選手のレントラー、こうそくいどうを続けて素早さを上げてくる! これはすいすいが発動しているルンパッパといい勝負になりそうです!』
「レントラー、懐に入り込んでばかぢから!」
「ガルァッ!」
「っ、ルンパッパ! まもる!」

 やっぱり、レインさんはポケモンの守りを固める技を覚えさせていた。
 レントラーが全身全霊の力で仕掛けた攻撃を、ルンパッパは守りきった。それが狙いだ。守りを解除したばかりのそこに、必ず命中する高火力の技を叩き込む。

「かみなり!」

 真っ黒な雲から落とされた雷撃が、ルンパッパを穿つ。弱点をつくことはできなかったから、かろうじて戦闘不能は免れたみたいだ。でも、レントラーの雷を受けたルンパッパは、立っているのがやっとな状態のはず。

『雨の中で必中のかみなりがルンパッパを直撃! 効果抜群ではありませんが、これは効いている!』
「っ、戻って。ルンパッパ」

 レインさんはまたしてもポケモンを引っ込めた。
 この状態でミロカロスを出してくるとは考えにくい。だとしたら、出してくるのはでんき技対策のランターンか、トリトドンだろうか。

「次は貴方よ! ロトム!」
「ロトム!?」
『レイン選手、早くも三番目のポケモンを出してきた! ウォッシュフォルムのロトム、通称ウォッシュロトムです!』

 ルンパッパに続いて、初めて見るレインさんの手持ちだ。みずとでんきタイプの複合ポケモンだから、ランターンと似た役割だろう。
 でも、最たる違いはその特性だ。見て分かる通り、ロトムは宙に浮いている。特性はふゆうだ。通常の戦いで弱点のじめん技を叩き込むことはできない。だから、実質的な弱点はくさタイプだけだ。ある意味ではランターンよりも厄介な相手かもしれない。
 そのとき、光がフィールドに差し込んできた。雨が止んだのだ。

『おーっと! 雨が上がりました!』
「ロトム、おにび!」
「ロトー!」
「レントラー、かわすんだ!」

 高速移動を積んだレントラーの素早さは誰にも止めめられない。おにびをかわすことくらい、簡単だ。

「ロトム! 地面に向かってハイドロポンプ!」
「え!?」

 どうして、レントラーではなく地面に。そう考える間もなく、雨で湿った地面がさらに水浸しになる。バトルフィールドが水で濡れているというよりは、水が薄く張られたような状態だ。
 そうなって、ようやく気付いた。レントラーの動きが悪くなっているのだ。

『コウキ選手のレントラー、水に足を取られてしまい減速しています!』
「もう一度おにび!」
「レントラー!」

 青白い不気味な炎がレントラーを、捉えた。炎に焼かれたレントラーは火傷状態に陥ってしまった。これでは少しずつ体力が削られてしまう上に、物理攻撃が強みのレントラーの技の威力も落ちてしまう。特殊技で攻めるしか、ない。

「レントラー、10まんボルト!」
「10まんボルトなら毎日見ているわ。ロトム、かわして!」

 ロトムは空中で踊るように身を翻しながら、レントラーの電撃を避ける。さすがだ。きっと、レインさんはみずタイプの次にでんきタイプの技のことをよく知っている。みずタイプの弱点という意味でも、あの人のエキスパートタイプだという意味でも。それがポケモンにもよく伝えられ、鍛え上げられている、

「畳み掛けるわ! たたりめ!」
「ロットー!!」
「レントラー!」
『おにびからのたたりめ、決まったー! これは大ダメージです!』

 たたりめ。それはポケモンが状態異常のときに威力が倍になる技だ。レントラーの体力は一気に削られてしまった。それに加えて今は火傷状態だ。このままだとすぐに倒されてしまう。
 ここは、少しでもダメージを与えて次に繋ぐ。

「レントラー! ボルトチェンジ!」
「ガルッッッ!!」

 レントラーは電撃を放つと、ぼくのところに戻ってきてモンスターボールの中に収まった。そして、かわりに出されるのがぼくの三体目。

『コウキ選手のレントラー、ボルトチェンジを使って三体目のガブリアスにバトンタッチしました! しかし、レイン選手のポケモンはまだ一体も倒せていません! どう戦うかー!?』
「ガブリアス! まずはステルスロックだ!」
「ガアァァッ!」

 バトルフィールドの地面が割れて、無数の岩が浮かび上がる。今度は、こちらがうまく戦える場を作る。

「がんせきふうじだ!」
「ロトム! ハイドロポンプで吹き飛ばして!」

 ガブリアスは浮いている岩を掴み、ロトムに投げつけて攻撃する。それをロトムはハイドロポンプで撃ち落としていくけれど、ミロカロスのれいとうビームのときとは技の命中率が違う。
 思ったとおり、あるタイミングでロトムはハイドロポンプを外した。そこにがんせきふうじが容赦なく叩き込まれる。

「ロトム!」
「ガブリアス! ロトムを押さえつけたままじしんだ!」

 特性ふゆうも、地に触れてさえいればじめん技の格好の餌食だ。ガブリアスのじしんが直撃したロトムは、目を回して倒れてしまった。

『ロトム、戦闘不能』
「ロトム……頑張ってくれてありがとう」
『ガブリアスの強力なじしんが炸裂! コウキ選手、レイン選手の手持ちを一体削りました! さあ、レイン選手はミロカロスとルンパッパのどちらを出すのかー!?』

 今、ダメージを受けているのはルンパッパのほうだ。ステルスロックが張られている状態で出したら、あとなにか一撃でも加えたらきっと倒れてしまうだろう。
 だとしたら、レインさんが出すのはきっと。

「ガブリアス、戻って! もう一度頑張るよ、レントラー!」
「ルンパッパ、お願い!」

 そのときのぼくは、マメパトが豆鉄砲でも食ったような顔をしていたことだろう。レインさんがミロカロスを出してくると予想して、同時にガブリアスとレントラーを交代させたというのに、出てきたのはルンパッパだったのだ。

『コウキ選手もポケモンを交代! レントラーとルンパッパ、どちらも先の戦いで体力は残り少しです! そして、ルンパッパはステルスロックのダメージを受けているーっ!』
「っ、ミロカロスで来ると思いました」
「ええ。そう思って、ルンパッパを出したわ。ミロカロスだとレントラーの電撃で大ダメージを受けちゃうもの」
「……小細工なしに技をぶつけましょうか」
「ええ。私もそう思っていたわ」

 どんな技を受けたとしても、お互いあと一撃で倒れてしまうだろう。だからこそ、あえて真正面からぶつかってやる。

「レントラー!10まんボルト!」
「ルンパッパ!リーフストーム!」

 目が眩むような強い電撃と、鋭い葉を巻き込んだ嵐が、バトルフィールドの真ん中でぶつかり合う。強力な技同士は相殺されることなく、大きなエネルギーを生んで爆発した。それに巻き込まれたレントラーも、そしてルンパッパも、目を回して倒れてしまった。
 これで、残るポケモンは一体だけだ。それなのに、こんなにも、震えるくらい楽しいのはなぜだろう。きっと、相手がレインさんだからだ。

『レントラー、ルンパッパ、共に戦闘不能!』
『これはわからなくなってきました! コウキ選手とレイン選手、残すところポケモンは一体ずつです!』
「ルンパッパ、戻って。良く頑張ったわ」
「戻れ、レントラー。大丈夫。きみの頑張りは次に繋げる」

 目の前の雨を見つめる。優しくも、激しい雨を。
 この人に勝ちたいと、心の底からそう思った。

「これが最後だよ! ガブリアス!」
「ミロカロス、もう一度輝いて!」

 ぼくのガブリアスが、レインさんのミロカロスの守りを上回るのか。それとも、レインさんのミロカロスが守り切るのか。
 きっと、どちらが勝って、そしてどちらが負けたとしても、勝負の後にぼくたちは笑い合って握手を交わしているのだろう。だって、こんなにも楽しく激しいバトルなのだから。
 そんな予感を胸に抱きながら、ぼくは声高らかに技を叫んだ。



2021.09.13

PREV INDEX NEXT


- ナノ -