03その指先で触れて

 ポケモンワールドチャンピオンシップス。ハイパークラスの次のバトルの相手がコウキ君に決まったのが、つい昨日のこと。
 現在50位というコウキ君の順位から、ある程度ハイパークラスで勝負を重ねていると踏んだ私は、ハイパークラスから全国放送されるバトルの録画を遡っていると、思った通り、ニ週間前の公式戦の記録が残っていた。
 ハイパークラスになると、手持ちのポケモン六匹の中から三匹を選び、覚えている技の中から四つに絞って戦わせることになる。前回のバトルでのコウキ君の手持ちは、ゴウカザル、レントラー、フーディンだ。
 偶然なのか、コウキ君の手持ちはシンオウ地方を旅していた頃と変わっていない。でも、だからといって新しいポケモンがいないとも限らない。私がみずタイプ使いであるということはとっくに知られている。それなら、必ずその対策を練ってくるはず。
 テトラポットに座ってスマホロトムから目を離さない私の肩に、ずっしりと重みが乗った。リオルだ。

『レインさまの次の相手はコウキさまなんですね』
「リオル。ええ、そうなの」
『誰をバトルに出すんですか?』
「……そうね」

 スマホロトムから視線を上げて、海を見る。ナギサシティに浮かぶ眩しい太陽の光を反射させる蒼海では、私の手持ちのポケモンたちが思い思いに過ごしている。シャワーズとリオル以外の私のポケモンたちは、みんな泳ぐことが大好きだからほとんどの時間を海で過ごすのだ。彼らに視線を向けながら、思考する。
 マキシさんがノモセジムを留守にしている間にチャレンジャーが訪れた場合、私が代わりにジム戦の相手をすることがある。私が公式戦の手持ちとして登録しているのが、ラプラス、トリトドン、そしてシャワーズだ。ジム戦という公式戦なら、チャレンジャーは私がこの三匹を繰り出してくると知って戦いを挑んでくることが多い。
 でも、ワールドポケモンチャンピオンシップスは公式戦ではあっても、レベルの制限も手持ちの制限もない。ジムリーダーだとしてもジム戦に登録しているポケモン以外でも戦えるし、ポケモンの交代だって許可されている。戦略は無限に広がっているのだ。その中で、どう戦うか。誰を出すのか。考えている今このときから、すでに戦いは始まっているのかもしれない。

「レイン」
「あ、デンジ君」
『デンジさまー!』

 海から顔を上げる。そこには、ナギサシティの蒼穹と太陽、そしてシルベの灯台を背にして、私を見下ろしているデンジ君がいた。デンジ君のことが大好きなリオルが一目散に抱きつくと、デンジ君はしっかりとリオルを抱きとめて私の隣に腰を下ろした。

「今度の公式戦に向けてメンバーを考えているのか?」
「ええ。どの子をバトルに出そうかしら……と思って」
「オレたちジムリーダーは公式戦の手持ちが公にされてるからな。対策は一般トレーナー相手より取りやすいだろう。だからこそ」

 デンジ君は海に目を向けた。シャワーズ、ランターン、ジーランス、トリトドン、ミロカロス、ラプラス、ルンパッパ、スワンナ、ブルンゲル。私が今までに出逢って仲間になってくれたポケモンたちがみんな、そこにいる。

「ジム戦では使わないポケモンを出して相手をあっと言わせることもできる」
「ええ。そうね」

 それから、もう一匹。このスマホの中に入っているポケモンのこともしっかりと頭に入れて、頭の中でシュミレートする。
 私はデンジ君がくれた雨の名前を持つ、みず使いだ。そう考えたら、やっぱりその名前に恥じないようなバトルをしたい。そう思った。

「レイン。少し手合わせをしないか?」
「もちろんよ。よかったら、デンジ君のレントラーと戦いたいのだけど」
「……なるほどな」

 私のスマホロトムに視線を落としたデンジ君は、納得のいった様子だった。ちょうど今、コウキ君のレントラーが放った10まんボルトが相手のポケモンに命中したところだったのだ。
 私が知っているコウキ君の手持ちの中で、唯一みずタイプに有利をとることができるのはレントラーだ。ほぼ確実に、三匹の中の一匹にしてくるはず。だとしたら、戦いに慣れておくに越したことはない。

「わかった。レントラーを出そう」
「ありがとう、デンジ君。デンジ君も対策とか練っているの?」
「相手のサトシ君は今回、オレがハイパークラスでの初戦らしい。だから、ワールドポケモンチャンピオンシップス公式戦のデータがないんだ。どんな手持ちで来るかはわからない」
「! そうだったのね」
「だから、新しいコンボをいくつか試すつもりだ。相手がどんなポケモンを出してこようと、オレたちのスピードと火力、そしてこのコンボで勝ち抜いてやる」
『リオルも見ていてもいいですか?』
「ああ。危なくないようにじっとしているんだぞ?」
「はーい」

 リオルは元気よく返事をすると、少し離れた位置のテトラポットの上に座り直した。
 デンジ君がボールを投げ上げると、宣言通りレントラーが飛び出してきた。バチリバチリと電気火花を飛ばして、戦意高揚としているレントラーはその眼光の鋭さで真っ直ぐに私を貫いている。
 デンジ君がサトシ君とどう戦うかは別として、コウキ君のレントラーが純粋に電気技のみで私と戦うとは思わないほうがいい、と思う。コウキ君がレントラーを出してくるだろうと私が予測しているように、コウキ君もきっとその読みを予測しているはずだから。
 みず使いらしいバトルで、みずタイプの対策をしてくる相手と戦うために。私は脳裏に描いたポケモンの名前を呼んだ。


* * *


 特訓を終えたポケモンたちをポケモンセンターに預けて、私たちも家路についた。一日の疲れはその日のうちにとってこそ、次の日もいいトレーニングやバトルができるというものだから。

「シャワーズ、おいで。マッサージをしましょうか」

 お風呂上がりに私が手招くと、シャワーズは目を輝かせながら上機嫌で寄ってきて、ソファーの定位置で伏せをした。
 伸ばされた後ろ足をとって、肉球を親指の腹で力を込めて押す。そのまま、体重のかかりやすい後ろ足を足の先から付け根までリンパを流すように撫でる。首は両手で挟み込んで、円を描くようにマッサージする。顔を覗き込んでみると、シャワーズは目を細めてリラックスした状態だった。
 マッサージを続けていると、リビングのドアが開いてデンジ君が戻ってきた。

「デンジ君。お風呂、早かったのね」
「ああ。今日はシャワーだけにしといた。元々長風呂するタイプでもないしな」
「そう? 湯船に浸かったら疲れが取れると思うけれど」
「そうだな……レインと一緒に入ったら長く入っていられるんだけどな」

 デンジ君は首にかけたタオルでガシガシと髪を拭きながら、ニヤリと笑った。お風呂から上がって、冷め始めていた体温がみるみるうちに上昇していく。
 デンジ君と一緒に長風呂なんて、そんなの、ドキドキして私の体がもつわけがない。それに、どんなことをされるか、そんなの分かりきったことなので、想像しただけでも恥ずかしい。

「レイン、顔真っ赤だな」
「だ、だって」
「何を想像したんだろうな?」
「! い、イジワル……!」
「ははっ。悪い悪い。なぁ、シャワーズの次はオレをマッサージしてくれよ」
「ええ。もちろん……あら? シャワーズ?」

 気がついたら、シャワーズはその場から忽然と姿を消していた。デンジ君は私の隣に腰を下ろして、ごく自然に私の体を抱き寄せる。ふわり。香る同じシャンプーの香りに、胸が跳ねる。

「シャワーズならさっき満足そうに喉を鳴らしながら出ていったぞ。サンダースのところに行ったんだろうな」
「そ、そう」
「空気が読めるいい子だな、シャワーズは」
「っ……あ、あの、えっと」
「じゃあ、よろしく」

 デンジ君と向き合うように体を反転させられた私は、その足の間にちょこんとおさまったまま、デンジ君の手を取った。
 あまり外に出ないせいか、太陽の街と言われるナギサシティに生まれたにも関わらず、デンジ君の手は色が白く、しなやかで綺麗だ。でも、女性的な手の造形ではない。工具を扱う指は少し太く、関節がしっかりしている。指の腹にも固くなっているところが何箇所もある。爪は指の先と同じくらいの長さに綺麗に切り揃えられている。
 思わずその手に見惚れていると、声を押し殺すような笑い声が聞こえてきた。私がデンジ君の指の先まで惚れ込んでいることは、とっくにバレバレみたいだ。
 頬が熱に染まるのを誤魔化すように、私はハンドクリームを手に取った。柑橘系の爽やかな香りが好きだと以前デンジ君が言っていたから、香りでもリラックスしてもらえたらいいなと思ったのだ。
 手のひらを上にして、親指の付け根の膨らんでいるところをもみほぐして。指の付け根から指の先までを少しずつずらしながらギュッギュッと握っていって。グーにした手で手の甲をマッサージして。指の間の水かき部分をぎゅっと挟んで。最後に手のひら全体を揉みほぐす。

「あ〜……いい感じだな……」
「本当? よかった」
「マッサージ、うまくなったよな。レイン」
「ふふっ。ポケモンたちやデンジ君をたくさんマッサージしてきた成果かしら」
「レインのマッサージのお陰で、機械いじりをする割には綺麗な手だと自分でも思うよ」
「ええ。デンジ君の手、綺麗で大きくて大好き」

 この手が私の頭を撫でてくれて。私と手を繋いでくれて。私のことを守ってくれて。私と一緒に戦ってくれて。そして、夜はこの手が私を……
 ここまで考えて、顔から湯気が出るくらいに頬が熱くなる感覚がわかった。それをデンジ君が見逃すはずもなく、するりと腰に腕を回して逃げないように抱きしめられる。

「で、デンジ君……! これだとマッサージができないわ」
「もう充分癒やされたから大丈夫だ。明日も全力でバトルできる」
「そ、そう。よかったわ。じゃあ、少し離して……」
「今度はオレがレインを気持ちよくしてやるよ」

 ……ずるい。こんな風に、耳元で甘い声で囁かれて、その手で頬を撫でられたら、私は頷く以外の選択肢を無くしてしまう。

「今日のバトルの疲れを癒やすマッサージだったのに」
「オレたちはトレーナーではあるけど、夫婦でもあるんだから、自然な流れだろ?」

 クスクスと笑いながら抱き合って、唇に触れる。こうしてスキンシップを重ねる時間が、なによりもリラックスできる甘いひとときなのだ。



2021.09.06

PREV INDEX NEXT


- ナノ -