02.司令塔と水兵少女

 澄み渡る蒼がどこまでも続いている。蒼穹にはナギサシティの象徴でもある太陽が高く昇り、海原をキラキラと輝かせている。砂浜まで白く眩しいくらいだった。
 私とデンジ君は青空と海が見える砂浜に立って、カメラを向けられている。それだけでも緊張するというのに、私たちが身にまとっている衣装は緊張感に加えて羞恥心をも生む。
 私の衣装は、水兵風のワンピースだ。膝を隠す丈のまっさらなワンピースに、青いラインとスカーフが爽やかで素敵、だと思う。ただ、これを着ているのが私だということが問題だ。こんなに可愛らしい服、スズナちゃんやスモモちゃんのような若い子なら似合うのかもしれないけれど、私は成人しているいい大人だ。童顔の自覚はあるけれど、さすがに……どうなのかしら。

「恥ずかしい……」
「全くだ」

 独り言に同調されるとは思っていなかったから、少し驚いた。デンジ君も同じように思っていたのかしら。
 デンジ君が着ているのは司令塔の服だ。海辺らしく、海軍の指揮を執る提督服が用意されたらしい。全身真っ白な生地の提督服に光る金のボタンや、階級を示す肩章の金がデンジ君の金髪とよく合っている。私とは違って、大人っぽくてすごくかっこよくて、素敵で。
 思わず見惚れていると「暑いので一旦休憩しましょう」という声に、現実へと引き戻された。駆け寄ってきてくれたメイクさんから飲み物を受け取りつつ、私はおずおずと問う。

「ポケメディアにジムリーダーが特集されるのは分かるんですけど、あの、コスプレ? っていうのかしら。撮影でこういう服を着る意味は……」
「あります! チャンピオンはもちろん、ジムリーダーや四天王はその地方の顔ですから! 芸能人と同じ扱いですよ! 芸能人がイベントでいろんな衣装を着たら盛り上がるでしょう? そういうことですね!」
「オレたちにこの服が当てられたのは?」
「編集長の見立てです!」
「そうか……」
「休憩を挟んだら撮影を再開しますね! ごゆっくり!」

 メイクさんは爽やかな笑顔を残して私たちから離れていった。
 ポケメディアというポケモン月刊誌の撮影に、サブジムリーダーとして、しかもデンジ君と一緒に呼ばれるということはとてもありがたいし光栄なことだけれど、やっぱり恥ずかしさが勝る。

「デンジ君はスターって言われるくらいかっこいいしスタイルがいいからともかく、私がこういう服を着ても需要はないと思うのだけど……」
「需要ならここにある。むしろ需要しかない」
「で、デンジ君?」
「おお、わざわざ俺を呼んで写真を撮らせる程度には需要ありまくりだよなぁ」

 デンジ君の肩を組みながらそう言ったのは、オーバ君だ。手には黄色のスマホロトムが握られている。オーバ君のスマホロトムは赤色だから、それはデンジ君のものだ。デンジ君はオーバ君の存在に今気付いたとでも言うように、わざとらしく目を見開いた。

「オーバ、いたのか」
「最初からいただろ!? お前のスマホロトムでずーっとレインの写真を撮ってただろ!? お前が雑誌が出来上がるまで待てねぇって言うから!」
「オーバ君」
「ん?」
「私のスマホロトムでもデンジ君の写真を撮って欲しいな」

 私が水色のスマホロトムを差し出すと、オーバ君は「あー、はいはい。撮りますよっと」と、半ば諦めたような声を出して受け取ってくれた。写真を撮っていてもらうなんて、目からウロコだ。これだったら待ち受け画面にもできるし、デンジ君の素敵な姿がいつでも見られる。
 そのとき、誰かのスマホロトムに着信があった。

「レイン、メールが届いたみたいだぜ」
「あら? 何かしら」

 どうやら私のスマホロトムだったらしい。一旦オーバ君から返してもらって、画面をタップする。すると、そこには見知った顔の少年と四桁の数字が映し出された。

『一週間後、ハイパークラスの公式戦が決まりました』
「ハイパークラスの公式戦?」
「ハイパークラスからは運営側が決めたトレーナー同士でバトルするんだったな」
『相手はランキング50位のコウキ選手です』
「コウキ君!? コウキ君もハイパークラスにいるのね。しかも私と順位があまり変わらないわ」

 コウキ君。マサゴタウンにあるポケモン研究所で助手をしている少年だ。私がシンオウ地方を旅していた頃、何度か行動を共にしたり共闘したりしたことがある。ポケモン博士の助手らしく、ポケモンに関する知識はもちろんのこと、バトルのセンスもコンテストのセンスもある凄腕のトレーナーだ。
 ハイパークラスに昇格して以降、何度かバトルを行った私の順位は現時点で41位だ。順位が下とはいえ、彼と戦うことになるのなら相当の準備をしないと。
 最後に会ったときのコウキ君の手持ちを一匹ずつ思い出していると、ふと視線を感じて顔を上げる。

「ふたりとも、どうしたの?」
「いや、レインも立派なポケモントレーナーなんだなってしみじみ思ったんだよ。な?」
「ああ」
「え? ど、どうして?」
「顔付きがさっきまでと全然違うからな」
「そ、そう……?」

 デンジ君とオーバ君はしみじみと言った様子だ。そんなに、変な顔をしていたのかしら……? 顔の筋肉を解すように、顔を両手で包み揉んでいると、スタッフの声が浜辺に響いた。

「そろそろ撮影を再開しまーす!」
「あ、はい!」
「次はポケモンバトルをしてる感じのものを撮りたいから、ポケモンを出してもらって……」
「ちょっと待て。バトルをしてる『感じ』?」
「そう。実際にバトルをしてもらわなくてもいいから、軽く技を出してもらったりしてそれっぽく撮りたいんだよね」

 撮影に同席しているポケメディアの編集長は「例えば、こんな感じ」とポーズを取りながら説明してくれた。それは有り難いけれど、私たちはプロのモデルとは違う。普通の撮影でも難しいというのに、バトルをしているようになんて、とても高難易度だ。それよりも、どうせなら。

「トレーナーとポケモンの良い絵が撮りたいなら、演技なんてまどろっこしいことをする必要はないだろ」

 私が意見するよりも先に、デンジ君が口に出してくれた。それに同意を示したのはオーバ君だ。

「そーそー! 全力のバトル中こそ、臨場感溢れるいい絵が撮れるってもんだぜ!」
「私も、デンジ君の意見に賛成です。そのほうが自然体でいられそうというか」
「ジムリーダー同士がバトルをするんだ。カメラマンの腕は必要だろうけどな」
「僕はやれますよ!」

 カメラマンは自信満々に頷いた。メイクさんも期待に目を輝かせている。あとは、編集長が首を縦に振るだけだ。
 編集長はしばらく考え込んでいたけれど「よし」と頷き手を叩いた。

「じゃあ、本気のバトルをお願いできるかな?」
「はい。もちろん。ポケモンの指定はありますか?」
「ふたりとも海の衣装だから、みずタイプのポケモンでのバトルをお願いしたい」
「わかりました」
「ふたりとポケモン、それから海とシルベの灯台を入れて欲しい。シャッターチャンスを逃さないように」
「はい!」

 カメラマンがレンズを私たちに向ける。それが合図になって、私とデンジ君はモンスターボールを構える。みずタイプのポケモンなら、デンジ君の手持ちだとあの子しかいない。だったら、私もそれに合わせて全力のバトルをするまでだ。

「行くぞ、ランターン!」
「行くわよ、ランターン!」

 空高く投げられたモンスターボールから出てきた二体のランターンが放った電撃が、真昼のナギサシティの空を貫いた。


* * *


 雰囲気のあるジャズのBGMの隙間を縫うように、私たちは密やかに会話をする。他のお客さんの中には、もしかしたら愛を語らっている人がいるかも知れないから、その邪魔にならないように。
 私とデンジ君の話をカウンター越しに聞いていたマスターは、シェイカーを振りながら喉の奥で笑った。

「なるほど。それで、ふたりとも全力のバトルになったってわけか。お前たちらしいな」
「ああ。それで、今日はお疲れ様ってことでマスターの店に来たんだ」
「お邪魔します」
「おう。ゆっくり飲んでいきな」

 マスターは私たちの前にカクテルをことりと置いた。私の前に差し出されたのは鮮やかなレモンイエローが綺麗なカクテルで、デンジ君の前に差し出されたのは透き通ったアイスブルーのカクテルだ。一杯目はお任せにしたはずなのに、私たちの好みがすっかり見透かされていて、思わず照れ笑いが浮かぶ。
 「お疲れ様」と言って、お互いの色をしたカクテルが入ったグラスを合わせると、高い音が控えめに鳴り響いた。
 話題はすぐに今日の撮影の話になった。スマホロトムを見せ合いながら画面をスライドさせる。デンジ君のスマホロトムに撮られている私の写真は、少し表情が硬かった。

「ふふ。撮影中の私、やっぱり緊張してるわね。デンジ君はさすが」
「ジムリーダーのメディア露出が多くなったのがここ数年とはいえ、レインよりジムリーダー歴が長い分、慣れてはいるからな」

 でも、表情が硬かったのも最初のうちだけだ。あえてカメラから視線を外してふたりで会話をしていて欲しい、と指示を受けたときの写真は自然な表情をしている。それに、ランターンを出してのポケモンバトルの写真は躍動感や臨場感までも伝わってきそうなくらいのできだ。

「やっぱりバトル中のほうがいい表情をしてる」
「ええ。私もそう思うわ。オーバ君って写真を撮るのが上手いのね」
「結局、スタッフが撮影を忘れるくらい真剣なバトルになっちまった。オレたちはどこまでもポケモントレーナーってことだな」

 そう、ポケモントレーナーである私たちに『バトルをしてる風』なんて無理なのだ。トレーナー同士、視線が合ってポケモンを呼び出したら、そこから先は真剣勝負のはじまり。相手が誰であろうと、どんな状況だろうと関係ない。これはきっと、ポケモントレーナーの性とも言える。
 そのとき、私たちの前で人の気配がした。顔をあげると、マスターがグラスを磨きながら私たちを見下ろしていた。

「ん? マスターも見るか?」
「いや、俺は雑誌の発売を楽しみにしておこう。それより、感慨深いと思ってな」
「感慨深い……?」
「ああ。この店ができたばかりの頃、お前たちは十代半ばのガキで、幼馴染三人でカウンターに座ってジュースを飲んでたのにな。今ではバーの時間帯に夫婦で来店して酒を飲むようになっちまった。俺も年をとるわけだ」
「そう、かしら? マスターはいつまでも若々しくて素敵ですよ」
「ははは、ありがとな、レイン。でも、俺を褒めるのも程々にしておけよ? 隣の旦那が妬くからな」
「おい、マスター」
「はっはっは!」

 マスターは逃げるように裏へと戻っていった。マスターが居なくなった瞬間に、ぐっと腰を引いて引き寄せられる。カクテルを飲んで高くなった体温に、さらに体温が重なって、頬が熱を帯びる。

「きゃっ」
「ったく、マスターは……」
「あの、デンジ君……?」
「どうした?」

 わかっているくせに、そうやって聞き返すのは、ずるい。

「あの……その……」
「恥ずかしがることはないさ。周りも同じようなことをしてるんだからな」

 ちらり、とデンジ君の肩越しに他の席を見る。あるテーブルでは男女が見つめ合い、あるテーブルでは男女が肩を寄せ合い、またあるテーブルでは男女がヒソヒソ声で愛を語らっている。
 確かに、みんな目の前の人のことに夢中で、私たちのことは誰も気にしていないに違いない。でも、そうじゃない。夫婦になったとはいえ、至近距離からデンジ君に見つめられたら、恥ずかしくて体が溶けてしまいそうになる。これはきっと、永遠に直らない私の体質だ。

「もうあの服を着てるところが見られないのは残念だな」
「わ、私のことはいいわ……デンジ君の方こそすごく似合ってて、その……かっこよかったわ」
「惚れ直した?」
「……ええ。でも、今日に限ったことじゃないわ。毎日、毎分、毎秒、私はデンジ君のことが好きだなぁって思うもの」
「……」
「デンジ君?」
「レインのストレートな言葉には、ほんと敵わないな」

 手を引かれて、肩を抱き寄せられて、唇が重なる寸前まで顔を近づけられる。こんなの、ほとんど抱きしめられている状態じゃない。

「デンジ君……っ」
「まあ、オレは言葉の代わりに態度で示すけど」

 私が愛情を口にすることを躊躇わないその代わりに、デンジ君は行動に移すことに躊躇がない。私が不安になる隙きなんてないくらい、私に触れて、愛を伝えてくれる。そんなデンジ君に、どうしようもなく私は何度でも恋をしてしまう。
 思考が蕩ける。ここがどこだとか、誰かが見ているかもしれないとか、そんなことどうでも良くなる。目の前にいるデンジ君だけに溺れていたい。そう思って瞼を落とした私の耳に、スマホロトムの着信が聞こえてきた。

『一週間後、ハイパークラスの公式戦が決まりました』
「え? デンジ君も?」
「こんなときに……」

 デンジ君は恨めしそうに唸りつつも、スマホロトムの画面をスライドさせた。そこに映し出されたのは、ひとりの少年だった。その少年には見覚えがあった。

『相手はランキング99位のサトシ選手です』
「サトシ選手?」
「サトシ君って、デンジ君が以前戦った、あの?」

 かつて、デンジ君が輝きを失いつつあったときに目覚める切欠を与えてくれたひとりの少年、サトシ君。現在27位に君臨するデンジ君の、次の対戦相手として選ばれたのは間違いなく彼だった。



2021.08.24

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