セレストブルーに映る景色



リッカとの生活が始まって一ヶ月以上が過ぎた。一週間ほど前にデンジ君は仕事に復帰したので、日中は私とリッカとポケモン達とで過ごしている。最初はうまく回らなかったスケジュールも、リッカの睡眠や授乳のリズムが整ってからはなんとかやりくり出来るようになった。
日中、私がどうしても手が離せないとき、リッカのことをみてくれるのはリオルだった。オムツ替えや抱っこは少し難しいけれど、少しグズっているくらいなら話しかけてあやしてくれたり、ベビーラックを押して寝かし付けしてくれたりする。
今だって、リッカはリオルが押すベビーラックに揺られながらすやすやと柔らかい寝息をたてていた。思わず口元が緩んでしまう、とても微笑ましい光景。種族は違うけれど、まるで姉妹を見ているような気分だ。

「リオル」
『レインさま。終わったんですか?』
「ええ。リッカを見ていてくれてありがとう。お陰で夕食の下準備は終わったし、余裕があったからお弁当も作っちゃったの。デンジ君にメッセージを送ったから、一緒にナギサジムへ持っていきましょう」
『わーい!お散歩ですね!行きます!』
「そうと決まれば準備しないとね」

身一つであれば最低限で済む持ち物も、赤ちゃんが一緒となるとマザーズバッグがパンパンになるほど用意しなければならない。
出先でのオムツ替えは?吐き戻して服を汚してしまったら?おっぱいを欲しがったらどうやって与える?万が一怪我でもしたら?
思い付く限りのことを想像しながら、マザーズバッグに必要なものを詰め込んでいく。

「オムツポーチよし。着替えよし。ガーゼよし。母子手帳よし。ウェットティッシュよし。ビニール袋よし。授乳ケープよし。おくるみよし。あとは、肝心なお弁当を持って……」
『忘れ物はないですか?』
「たぶん……デンジ君と一緒に何度か家の回りを散歩したことはあるけど、一人でリッカを連れ出すのは初めてだし少し緊張するわ」
『大丈夫です!リオルが一緒ですよ』
「あ、そうね。リオルがいるから心強いわね。じゃあ、行きましょうか」
『はいっ!』

眠っているリッカをベビーカーに乗せて、いざ出陣。大袈裟な表現かもしれないけれど、まだリッカとの外出に慣れておらず緊張してしまう私の心境としては、出陣という言葉がしっくり来る。
カラカラと、ベビーカーの車輪が音をたてて回る。ナギサシティの歩道はソーラーパネルが張られ整備されているから、ベビーカーでも押しやすい。

『リオルもベビーカーを押したいです……』
「ありがとう。でも、前が見えないと危ないから。もう少し身長が伸びたらいいんだけど……ルカリオに進化するとか」
『ルカリオに……』
「ふふっ。例えば、の話よ。ベビーカーを押すためだけに進化しなくていいわ。リオルが今のままがいいならそれでいいの。私は進化してもしなくてもあなたが大好きよ」
『リオルも!レインさまが大好きです!』

リオルがジャンプすると、ネックレスとしてつけているかわらずの石が存在を主張するかのように揺れた。抱き締めると、リッカを抱いたときとは違う温もりを感じる。
最近はリッカに付きっきりで、気持ちに余裕が出来なくて、なかなか抱き締めてあげられなかったけれど、やっぱりスキンシップは必要ね。リオルだって私の子供のような存在だから。

『あ。リッカさまが起きました』
「本当?」
『はい』
「……ふふっ。不思議そうな顔をしているわね。機嫌が悪くはなさそうだし、今のうちに行きましょう」

ここ数年のうちに、ソーラーパネルが張られている歩道橋の脇にエレベーターがついた。確か、工事が始まったのは私達が結婚したくらいだった。
もちろん、提案したのはデンジ君だ。あの時はどうして今さら、と思ったけれど、よく考えれば将来子供が出来たときのことを考えての提案だったのかもしれない。お陰で、ベビーカーでも快適に移動出来る。それに、お年寄りからも好評だ。
私達家族のことだけでなく、ナギサシティの未来までもみて行動しているデンジ君は本当にこの街が好きなんだなと思うし、そんなデンジ君を誇りに思う。

「リオル。リッカは起きてる?」
『はい。やっぱり不思議そうなお顔ですよ』
「そう……この子はこの風をどんな気持ちで感じているのかしらね」

私やデンジ君が愛しているこの太陽の街で、リッカはどんな風に育つのだろう。何を感じて、何を想いながら生きるのだろう。そんなことを考えると、少し感慨深い。

「んっっっ!」
「……え?」

私とリオルの声をかき消すほどの爆音が轟いた。例えるなら、ケチャップの最後の少しを勢いよく出すような……ううん、それより大きい音だ。音源は分かっている。

『あー!リッカさまが!』
「す、すごい音がしたわね……!」
『早くジムに向かいましょう!』
「ええ」

おしりが荒れては大変だと急ぎ足でベビーカーを押してナギサジムにたどり着いた。正面ではなく裏口へと向かうと、私達が来ることを知っているデンジ君がすでに鍵を開けてくれていた。
ひょっこりと顔を出すと、バトルフィールドの端でそわそわしていたデンジ君と目があった。その瞬間に下がる目尻が愛しい……なんて、今は惚れ直している場合ではなくって。

「デンジ君……」
「レイン!リオルも来てくれたんだな」
『はい!』
「リッカも、よく来て……なんか臭うな?」
「実は、来る途中で……」
「ははっ!やらかしたわけか。あっちでオムツ替えてくる」
「ありがとう」

デンジ君は嫌な顔ひとつせずにリッカを抱き上げ、オムツポーチを持って姿を消した。ホッとしているところに、エリートトレーナーの二人が近付いてきた。ショウマ君とナズナちゃんだ。

「レインさん」
「こんにちは」
「ショウマ君、ナズナちゃん。こんにちは。お邪魔しています」
「驚いた。リーダーって自分からああいうことを言うんですね」
「そうね。デンジ君は、もしかしたら私よりもリッカのことをよく気付いてくれるわ」
「へー。イクメンってやつですか」
「ショウマ、今時イクメンなんて言葉は流行らないわよ。そもそも父親が育児をするのは当然でしょう?」
「確かに……」
「リッカ、来たぞー」

デンジ君に抱かれたリッカの目は完全に開いていた。私とデンジ君と同じ青い瞳は、アイスブルーとオーシャンブルーの色を混ぜ合わせたような、セレストブルーだ。その青に、ナギサジムが映っていることが不思議だった。

「可愛いー!髪も青いし、レインさん似ですね!」
「でも、はっきりした目の形とか少しリーダーっぽいかな。本当に可愛いですね」
「そうだろ、そうだろ。というか、レインにそっくりなんだから可愛くないわけがないんだよな。なー?リッカ」
「はいはい。惚気ごちそうさまでした」

頬に熱が集中したのが自分でも分かった。デンジ君は元々、言葉よりも態度で愛情表現をしてくれる人だけれど、リッカが産まれてからというもの言葉で示してくれることも多くなったように感じる。
一度本人に聞いてみたけれど、あまり自覚がなかったらしい。しばらく考え込んだあと「レインとリッカが愛しくてたまらないってことだな、きっと」と言って抱き締めてくれた、あの日のことを私は忘れないと思う。

『レインさま!お弁当です』
「あ、そうだったわ。夕食の下ごしらえのついでにお弁当を作ったの」
「ありがとうな、レイン。リッカを見ながら大変だったろ?」
「ううん。リオルがリッカについていてくれたから」
「そうか。リオル、ありがとう。リオルはリッカのお姉さんだな」
『えへへ』
「それにしても多いな。もしかしてみんなの分もあるのか?」
「ええ。と言っても、みなさんのはおにぎりだけだけど……」
「えー!嬉しい!いただきます!」
「じゃあ、チマリ達を呼んできてくれ。昼休憩にしよう」
「はい」
「レイン達も食っていくだろ?」
「そうね。リッカもお利口にしているし、そうしようかな」

リッカはデンジ君の腕の中でまた眠ってしまった。やっぱり、パパの腕の中はベビーカーよりも安心するみたいだ。

「家からここまでの距離だけど、外に出るとやっぱり気分転換になるわね。また余裕があるときは来てもいい?」
「もちろん。みんな喜ぶし、何よりレイン達の顔を見たらオレのモチベーションが高まる」
「ふふっ。デンジ君ったら」
『レインさまー!はやくー!』
「はいはい。リオルはお腹が空いたのね」
「リッカはベビーカーに寝せるか。泣いたらオレが抱くからレインはゆっくり食べてくれ。どうせ、昼はいつも掻き込むように食ってるんだろ?」
「……はい。その通りです」
「だよな。リッカが泣いたら仕方ないかもしれないけど、こういうときは……」
「んんーっ!」

リッカの力む声がデンジ君の言葉を遮った後に、爆音、再び。赤ちゃんもいうものはどうしてこうも、絶妙なタイミングが分かるのだろう。

『あー!リッカさまがまたー!』
「……こういうときはオレが世話するから、ゆっくり食いな」
「ふふっ。ありがとう、デンジ君」

笑い声が響き渡る正午。久しぶりに大勢で食べるお弁当は、きっと私の心まで満たしてくれるのだ。





2020.2.27


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