海の愛し子



 照り付ける日差しが少しだけ強く感じられるようになったある日のこと。外を散歩していると、立体歩道橋を真ん中あたりまで進んだところで、リッカが海のほうに向かって体を乗り出した。デンジ君は慌てた様子でリッカを抱き直すと、歩道橋の手すりに寄って海がよく見えるようにしてあげた。

「リッカ、どうした?」
「あ〜」
「海が気になるのかしら。少し寄り道してみる?」
「ああ。そうだな」

 ナギサシティが太陽に愛された海辺の街とはいえ、シンオウという北国の低い気温と海辺特有の風の強さから、夏以外の季節に海辺に近付くと寒さを感じることが多い。秋の始まり頃に生まれたリッカが浜辺に降りるのは、実は初めてのことだった。
 階段を降りて北の浜辺へと向かう。靴裏が砂浜を踏むジャリッ、ジャリッという聞き慣れない音にリッカは目を丸くしている。

「う?あう〜」
「海よ、リッカ。お家からも見えるでしょう?」
「……」

 リッカは硬直したまま、デンジ君の服をぎゅっと掴んで親指を咥えている。多少、緊張しているみたい。デンジ君が安心させるように耳元に唇を寄せて囁く。

「よしよし。こわくないからな、リッカ」
「あー……」
「今日は少し海が荒れてるから、波の音が大きくてビックリしているのかもしれないな」
「そうね。あ、シャワーズ!」

 私達が歩く少し先をデンジ君のサンダースと仲良く進んでいたシャワーズは、海に向かって駆け出してその勢いのまま海の中へと飛び込んだ。すると、ランターンをはじめジーランスやラプラス、トリトドンやミロカロスがシャワーズのもとに寄ってきて、みんなで仲良く泳ぎ始めた。私のポケモンたちは普段から海に放っているけれど、水陸両方で生活できるシャワーズはいつも私の傍にいてくれる。それでも、水ポケモンとして海で思い切り泳ぐことは彼女にとってとても幸せなことみたいだ。

「みんなと遊びたかったみたい」
「もう少ししてから帰るか」
「ええ」

 サンダースが座ってシャワーズを見守っているところ、波打ち際ギリギリまで進んで止まる。寄せては返す波の音。風が頬を撫でる感覚。太陽が降り注いで煌めく海面。相変わらず泳げないしダイビングだってランターン以外とするのは怖いけれど、それでもやっぱり、何度見ても、何度来ても、私にとって大好きな海だ。

「あっ!あ!あ〜!」
「え?リッカも行くの?」
「お?シャワーズに感化されたな?海はいいぞ。パパとママが出逢った場所だ」

 そうだ。ナギサの海は私とデンジ君が出逢った場所。いくつもの運命からデンジ君が私を連れ出してくれた場所だ。だから、私はこの海が好き。この海で救われ、この海の音を聞きながら育ち、この海に見守られながら愛を誓った。私達の物語はこの海と共にあるから。

「ラプラス!よかったら乗せてくれるか?」

 デンジ君が声をかけると、ラプラスはすぐに浜辺まで泳いで来てくれた。リッカを抱えたまま自分が先にラプラスの背に乗り、私の手を取って引き上げてくれる。
 私たちが甲羅の凹凸の間に座ると、ラプラスはそっと浜辺を離れて沖へと向かう。デンジ君はリッカが落ちないように膝の間にしっかりと抱きかかえながら、海を見せている。

「ほら。海だぞー」
「……」
「……固まっちゃった。大丈夫かしら?」
「……あ〜」

 リッカを怖がらせないように、ゆっくり、ゆっくりとラプラスは進む。すると。

「ほら」

 デンジ君はリッカを持ち上げて、小さな足先を海水に浸したのだ。

「!」
「気持ちいいだろ?もう少ししたら水着に着替えて海水浴もいい季節になってくるよな」
「あぁ〜っっっ!!!」
「うわ、暴れるな落ちる!」

 足をバタつかせて抵抗するリッカを改めて胸に抱きなおしたデンジ君は、甲羅の一番高いところまで戻り「焦った」と息を吐く。

「ふふ。少しビックリしたみたいね」
「悪かったよリッカ。そう怒るなよ」
「あっ!あぁぁぁ!」
「シャワー」

 シャワーズは海面から顔を出すと、空に向かって弱い威力の水鉄砲を飛ばした。太陽の光を受けて虹がかかり、落ちてくる水が雨のように海へと還る。その光景をセレストブルーの瞳に映したリッカは、顔を梅干しみたいにクシャクシャにして笑いながら手を叩く。

「きゃぁ〜っ!」
「水鉄砲は好きみたいね。泳いでるみんなにも興味津々だし。ふふ、将来は水使いかしら?」
「どうだろうなー?海は好きでもレインみたいに泳げない水使いもいたりするからなー?」
「い、いじわる……!」
「はは!悪い悪い。でも、リッカもオレたちみたいに海が好きになってくれたら嬉しいよな」
「ええ……そうね」

 身近過ぎるあまりにもしかしたら『好き』という概念を抱くことすらないかもしれない。そのくらいナギサシティと海は切っても切り離すことが出来ない関係だ。
 それでもきっと、リッカの思い出の中には、海という存在が寄り添うように残る。楽しいときも、悲しいときも、海はリッカを見守ってくれるのだ。



2021.01.05


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