眠り姫の微笑み



 前髪を流して眉間を撫でながら目尻を下げる。右手の親指を咥えてチュッチュと吸っていた口元は徐々に動きを止めて、左耳を触っていた左手もパタリとベッドの上に落ちた。

「おやすみなさい」

 そう言って額にキスを落として、寝室を静かに後にする。リビングに戻ると、機械の配線を弄っていたデンジ君が顔を上げた。

「リッカ、寝たか?」
「ええ。今度こそ、寝たと思うわ」
「そっか。お疲れ。ポケモンたちももう寝たし、今日はエイルが出てるポケモンミュージカル映画がテレビでやる日だから見ようぜ」
「あ!そうだったわね。楽しみ……」
「あぁぁぁ〜!!」

 壁何枚も隔たれた向こう側にいるはずなのにはっきりと聞こえてくるほどの、リッカの泣き声がリビングまで届いた。顔を見合わると、デンジ君は眉を下げて困ったように笑った。
 最近、リッカはどうも寝付きが悪いのだ。今までは、常夜灯がついた薄暗い部屋で授乳を済ませ、ベビーベッドに寝転ばせたら、コロコロ寝返りしたり指を吸ったりして入眠していたけれど、最近は寝入るまでに何度も起きる。しっかりと眠るまでに2時間近くかかる日もあるから、さすがにそんな日は、少し疲れてしまうのだ。
 デンジ君と二人で寝室の扉を開くと、耳元で泣き叫ぼれているような大きさの泣き声が室内に響いていた。リッカは腹ばいになって向きを変え、私達が入ってきた入り口を見ていた。

「やっぱり起きてる……」
「最近寝付きが良くないな?どうした?リッカ、ぶっ!」

 デンジ君が両脇に手を差し込んで抱き上げてやると、リッカは身を捩らせて抵抗して私の方に体を乗り出してくる。困った子だわ、と苦笑しつつ受け入れて背中を擦る。ママを求められることは嬉しいし幸せだけれど、少し疲れてしまうのも事実だった。

「よしよし」
「眠い時はほんとにママじゃないとダメだよな……」
「ふふっ。ええ。でも、最近こういうことが増えてきたわね。眠たいのに眠れないのかしら。今まではベッドに寝かせたら指を咥えて寝ていたのに」

 私が抱っこすると、リッカはスンスンとすすり上げながら私の肩に頭を預けた。頭に汗をかいているほど温かいから、遊び足りないとかお腹が空いているのではなくて、眠いことは眠いのだと思う。赤ちゃんは眠くなると頭や手足ががポカポカ熱くなるのだ。

「なぁ、レイン」
「なぁに?」
「リッカさ、いつも部屋の入り口の方を見て泣いてるよな?」
「ええ。言われてみたらそうね」
「もしかして、レインが傍にいないことがわかって寂しいんじゃないか?」

 デンジ君の指摘に目を瞬く。そういえば、今までもそうだった。しっかりと寝入るまでにリッカが泣くとき、寝室に戻ってきたらリッカはいつも寝室の入り口の方を見て泣いていた。寝室の入り口と枕の位置は逆方向だというのに。
 もしかしたら、そこから私が、ママが出ていったということを理解していて、追いかけようとしたのかもしれない。置いていかないで。ひとりは寂しいよ。デンジ君が言うとおり、喋れないなりにそう訴えていたのかもしれない。

「もしデンジ君の言うとおりなら、一緒に眠ったら解決する……のかしら?」
「試してみるか?」

 デンジ君の問いに静かに頷き、リッカを抱いたままベッドに横になる。その右側にリッカを横たえて眉間の間を撫でてやると、そのさらに隣にデンジ君が横になった。いわゆる、親子3人川の字というものだ。
 見慣れない景色にリッカははじめキョロキョロして落ち着かない様子だったけど、泣きはしなかった。いつものように、右の親指を咥え、左手で左耳を触り、自分なりの入眠方法で眠ろうとしている。そして、だんだん目がとろんとしてきて、親指を吸う力が弱くなり、手の動きがゆっくりになっていく。

「親子三人で川の字ってなんか良いよな」
「ふふっ。そうね。今まではリッカを潰しちゃわないか怖くて別に寝ていたけど……そっか。パパとママは一緒なのに自分だけ別なんて嫌よね」

 リッカが夜に何度も起きていた頃は、仕事があるデンジ君を起こさないようにと私とリッカは別室で寝ていたけれど、最近は夜中は一度しか起きなくなったのでみんな同じ寝室で眠るようにしたのだ。私とデンジ君が一緒で、リッカはベビーベッド。自分だけ柵で隔たれたベッドにぽつんと寝かされて、夜中暗い部屋で目が覚めて、きっと、リッカは寂しかったんだわ。

「あ〜……」

 気の抜けた声を吐き出したのを最後に、リッカの動きはパタリと止まった。かわりに規則正しい柔らかな寝息が聞こえてくる。

「寝ちゃった」
「ベビーベッドも御役御免かもしれないな」
「ええ。でも、リッカが不安にならずにぐっすり眠れるなら、これから3人で寝ましょうか」
「ああ……レインを抱き締めながら眠れないのは少し残念だけどな」

 ああ、それは確かに、少し寂しいかもしれない。同意の意味を込めて小さく笑うと、リッカのお腹に添えていた右手にデンジ君の手が重ねられた。安心しきった表情で眠るリッカも、小さく笑ったような気がした。





2020.10.30


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