降り積もる白い詩



「うわぁー!」

白銀の世界の真ん中で、リッカは驚嘆の声をあげた。セレストブルーの瞳は舞い散る雪に負けないくらいキラキラと輝いている。
驚いているのはリッカの隣にいるイーブイも同じだった。物珍しそうに辺りをキョロキョロしたり、雪の匂いを嗅いで鼻先を埋めてみたり、好奇心を満たすために忙しそうだった。
たくさんの雪の中で遊んでみたいと、そうリクエストしたのはリッカだった。シンオウ地方は全体的に豪雪地帯であり、雪が降り積もることは珍しくない。しかし、彼女が住んでいるナギサシティにももちろん雪は降るのだが、スキーやソリ滑りが出来るほどの積雪量ではない。ということで、この日は家族四人とポケモン達でキッサキシティへと遊びに来ているのだ。
キッサキシティ郊外にあるロッジを借りて、母親であるレインとまだ幼いリッカの弟はその周囲で雪遊びをすることにした。やんちゃ盛りのリッカの相手は父親であるデンジの担当だ。初めて見る大量の雪に興奮を隠せないリッカはデンジの手を引き、雪の中を走り回ったり、雪玉を作って投げてみたり、ソリに乗ってデンジに引いてもらったりとはしゃぎ放題だった。

「パパー!はやくー!こっちよー!」
「リッカ、ちょっと休憩を……」
「やー!イーブイ、さきにいこう!」
「ちょ、待っ、あー。サンダース、頼む。ついていってやってくれ。オレも追いかけるから」

リッカのイーブイである我が子の遊びに付き合っていたサンダースはこくりと頷いた。主人のスタミナのなさは重々承知している。そろそろ出番が来るだろうなと思っていたところだった。まだまだ遊び足りないリッカとイーブイの傍に寄り添い、離れないように着いていく。万が一雪の中で迷子にでもなったら大変だ。
しばらく進むと、リッカはピタリと足を止めた。空中で何かがキラキラと輝く不思議な景色に出逢ったからだ。

「イーブイ!サンダース!みて!とってもきれい!」
(うわぁ。ほんとうだね。ね?パパ)
(うん。ダイヤモンドダストって言うんだって。キッサキシティ周辺でたまに見ることが出来るんだって、スズナちゃんが話してたのを聞いたことがあるよ)
「スズナおねえちゃんが?」
(そうなんだー)
「きれいねぇ…」

口の端から白い息を漏らしながら、リッカはその美しい光景に見入ってしまった。
リッカには母親であるレインから受け継いだ波導使いの素質がある。レインのように波導を読んだり、傷を癒したりといったことは出来ないが、イーブイやサンダースの言葉を理解している通り、ポケモンと意思疏通を図ることは出来る。まだ成長段階の能力だった。
リッカが惚けている傍らで、何かに気付いたイーブイが彼女の服の裾を引っ張った。

(リッカちゃん)
「なぁに?イーブイ、どうしたの?」
(あそこにいるポケモン、こっちを見てるよ)

イーブイが鼻先で示す先には、ユキカブリがいた。雪影に半身を隠しながら、リッカ達の様子を伺っている。

「こんにちは!このへんにすんでるポケモンなの?いっしょにあそぼう!」

そう言って、リッカが手を差し伸べると、ユキカブリはパアッと表情を明るくさせてその手を取った。ちょうどその時、彼女自身も背後からガシリと肩を掴まれた。

「リッカー……」
「パパ!」
「やっと追い付いた。サンダースがいたからよかったものを、先にスタスタ行ったらダメだろう」
「ごめんなさい。でもね、おともだちができたのよ」
「ん?ああ、野生のユキカブリか。友達になったんだな」
「そうよ!ねー?」

笑い合うリッカとユキカブリを見て、デンジはふと思い出した。
リッカが生まれたあの日は、確か季節外れの雪が降っていた。それこそ、特性が雪降らしのポケモンでも傍を通ったと言わなければ説明がつかないくらい、晴れ渡る青空から雪が降ってきた光景は不思議で神秘的だったのだ。
そして、今目の前にいるユキカブリの特性は恐らく雪降らしだ。この出逢いは偶然なのか、何なのか。運命や偶然とも言える何かを、デンジは感じていた。

それからは、ユキカブリを入れたイーブイとサンダース、デンジとリッカで遊んだ。ユキカブリはやはりこの辺に住んでいるのか、リッカが雪が深い場所に行こうとすると危ないと制したり、疲れたら休憩が出来る岩影を知っていたので、デンジとしても助かる存在だった。
キャッキャと雪を蹴りあげながらリッカが進んでいると、ふと寒さが深くなった気がした。思わずブルリと震え上がる。リッカの目の前にある岩は、他の岩とは違い冷気を放っていた。

「パパー」
「ん?どうしたんだ?」
「このきれいないわ、なんだろう」

それは、氷で覆われた岩だった。まるで、触れるもの全てを凍らせてしまいそうな程の冷気がそこから漂っている。
不思議そうに近付こうとするイーブイの首根っこをサンダースが咥え、そっと引き留めた。サンダースの行動の意図が分からず、リッカとイーブイは首を傾げた。そんな彼女達と視線を合わせながら、デンジは諭すように口を開く。

「リッカ、イーブイ。確か、この石はイーブイが氷タイプのポケモンに進化するための切欠になるものなんだ。触れてしまえばもう今の姿には戻れない」
「もう、イーブイにはあえなくなるの?」
「いや。それは違う。姿形は変わっても、イーブイが、今までリッカと一緒に過ごした存在であることに変わりはない……分かるか?」
「うん……なんとなく」
「……昔はレインもポケモンの進化を怖がっていたことがあるんだ」
「ママが?」
「ああ。でも、レインはイーブイがシャワーズへと進化したことを切欠に、水タイプのポケモンと共に歩むことを決めた」
「……」
「もし、おまえ達が進化を望むのなら、オレ達は止めないさ」

デンジがそこまで説明すると、サンダースはイーブイを離した。ここから先は、リッカとイーブイが決めることだ。
ポケモンが進化をする。それは今ある姿、タイプから全く別の生き物へと変わってしまうことだ。トレーナーや、或いは進化するポケモンそのものが戸惑いを抱えてしまうことも多い。現に、リッカの母親であるレインもかつてはそうだったのだから。
進化をするか、否か。リッカとイーブイは意志を確かめ合うように見つめあった。イーブイがこくりと頷くと、リッカはにこりと笑った。

体を寄せるようにして、氷で覆われた岩にイーブイが触れた瞬間、濃い青の光がその場に満ちた。体毛は長い茶色から短い水色へとなり、首回りを覆っていたふわふわの毛はなくなった。代わりに、菱形に尖った耳元からは人間でいうもみ上げのような青い毛が垂れ下がった。
グレイシアへと進化したリッカのパートナーは、その新しい力を見せつけるように、氷のつぶてを作って頭上で弾けさせた。それはダイヤモンドダストに負けないくらい輝き、リッカ達の頭上に柔らかく降り注いだ。

「イーブイ……!ううん!スズナおねえちゃんとおなじポケモン!」
「グレイシアだ。おめでとう」
「わー!すごい!きれい!しんかおめでとうグレイシア!」

リッカがグレイシアに抱きつくと、今までとは違ってその体温は低かった。体格だって一回り以上に大きくなった。しかし、嬉しそうなグレイシアの笑顔は進化前の名残があって、彼女自身は何も変わっていないということをリッカに伝えた。

「リッカもしんかするー!」
「はは、人間が触ってもどうにもならない……」

全く、子供の発想は面白い。デンジはそう考えるだけだった。否、デンジじゃなくても同じように考え傍観したことだろう。
まさか、氷で覆われた岩にリッカが触れた瞬間、グレイシアの時と同じように眩い光が彼女を包み込むことになるなんて、誰が想像ついただろうか。

「リッカ!」

雪の上に倒れたリッカを抱き起こす。手袋の上からでも分かるくらい、体がとても冷たかった。

「リッカ!リッカ!」
「……」
「くそっ、何が起きたんだ……!?サンダース、グレイシア。急いでロッジに戻ろう。まずはリッカの体を暖めないと……!」

デンジはリッカを横抱きにして抱え上げると、来た道を引き返し始めた。リッカを心配したユキカブリが、デンジの先を歩き道を作ってくれたので、慣れない深い雪道も来たときよりも早く歩くことが出来た。狼狽えるグレイシアはサンダースに宥められながら、その後ろをついて歩いた。

遠くまで遊びに出てしまっていたことをデンジが後悔し始めたとき、ようやく雪の中にロッジが見え始めた。窓から漏れる暖かい光。早くあの中にリッカを。その思いだけで冷えきった足を動かす。
両手が塞がっているデンジに代わって、ユキカブリがドアを叩いてくれた。木製のドアがゆっくり開くと、中から暖かい空気が溢れ出て、レインが顔を覗かせた。

「レイン!」
「お帰りなさい。遠くまで行っていたの?あの子はさっきお昼寝……」
「リッカが……!」

デンジの腕に抱かれている我が子を見て、レインは目を見開いた。急いで彼らを室内に招き入れ、寝室へと通す。暖炉に薪をくべて部屋を暖かくしようとすると、リッカを横たえたベッドに寄り添うグレイシアの姿に気付いた。

「グレイシアに進化したのね。暖かさが辛かったらボールに戻っていてもいいから……」

グレイシアはブンブンと首を横に振った。パートナーのことが心配でたまらないと、波導を読まなくても伝わってくる。
レインは微笑んで頷くと、次にもう一匹、ベッドに寄り添っているポケモン、ユキカブリに話しかける。

「リッカの新しいお友達かしら?心配してついてきてくれたのね。ありがとう」
「レイン」

デンジが隣の部屋からレインを手招いた。グレイシア達に更なる心配をかけないように、という配慮だろう。レインは寝室を出て、熱を逃がさないようにドアを閉めた。何かあれば、グレイシア達が教えてくれるだろう。
デンジはというと、スマートフォンを片手に狼狽えている。普段の彼からは想像しにくい姿だ。それだけ、娘の身を案じているのだろう。

「とりあえず、キッサキの病院に電話するか?いや、と言ってもなんて説明したらいいんだ?氷で覆われた岩に触れて倒れた、なんて……」
「氷で覆われた岩?」
「ああ。イーブイがグレイシアに進化するための、あの岩だ」
「……」

目を閉じて考え込むレインを見て、デンジは少しだけ頭を冷やした。
どうも、レインの様子がおかしい。こういう非常事態の時、いつも慌てふためくのはレインの方で、デンジの方が冷静になれと諭すことが多い。しかし、今日のレインは妙に落ち着いている。まるで、リッカが倒れた原因が推測出来ているかのように。

「あのね、気になったことがあるの」
「何がだ?」
「リッカの波導が……なんというか……変質しているみたいなの」
「変質?」
「ええ。うまく言えないんだけど、ポケモンが進化した時みたいというか……その子がその子であることに変わりはないのだけど、タイプが変わってしまったというか……」
「ママ……パパ……」

不安げな声に振り向く。グレイシアとユキカブリと一緒にわリッカが寝室をから出てきたのだ。急いで駆け寄り、デンジはリッカを抱き締めた。

「目が覚めたのね」
「リッカ、寒くないか?どこも痛くないか?オレがついていたのにごめんな」
「リッカはだいじょうぶ……でもね、あのね……みんなのこえがわからなくなっちゃった。なんでだろう」
「!」

シュンとして落ち込んでいるリッカを見る限り、嘘をついているようには見えなかった。ポケモンの声が分からない。それは即ち、波導が今までのように働いていないということだ。

「でもね、みて。グレイシアとおなじことができるようになったの!」

目を輝かせて、水を受けるように両の掌を合わせる。すると、そこに冷気が集まり、リッカの掌に雪の華が形作られた。それは、波導を扱うことが出来るレインですら驚愕するような、魔法のような美しい力だった。

「レイン……!波導が変質したって、まさか」
「ええ。まだ、リッカは幼いわ。だから、波導の性質も不安定だった。だから、イーブイが石に影響されて進化するように、リッカも石の力で波導の性質が変化してしまった……ということも、あり得るのかもしれないわ」
「そうか……」
「一応、今度ゲンさんに相談してみるわね……もしそうだとしたら、リッカは私達が扱うような波導は使えなくなったかもしれないけど、でも、本人は大丈夫そうだし、嬉しそうでよかった」

グレイシアとユキカブリと一緒に、リッカは室内に雪を降らせてはしゃぎ回っている。ステップを踏んでいた足をくるりと止めて、デンジとレインを見上げ屈託のない笑顔を見せた。

「ねえ!リッカ、きめた!」
「なぁに?」
「リッカね、こおりタイプのポケモンたちとなかよくなりたい!パパはでんきタイプ、ママはみずタイプのポケモンたちとなかがいいでしょ?だから、リッカはこおりタイプのグレイシアやユキカブリたちとなかよくなって、いつかスズナちゃんみたいなポケモントレーナーになりたいの!」
「そう!素敵ね!リッカが頑張ったらきっと、立派な氷使いになれるわ」
「ああ。目標が出来るのはいいことだけど、そこはパパかママじゃないんだな」

少し残念そうにデンジは笑ったが、心の中ではリッカの成長を噛み締めていた。リッカの初めてのポケモンにイーブイを贈った理由。それは、数ある進化の可能性を秘めたイーブイのように、彼女自身も好きな道を選び、歩んで欲しいと願ったからだ。
リッカがこれからグレイシア達と共に歩む道には、新雪を踏み足跡をつけるように、彼らの軌跡が残るのだろう。






2020.1.13 title:サンタナインの街角で


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