小さなパティシエール



バレンタインデー。乙女達による戦いの日である今日この日だが、デンジにとっては乙女の戦争というより自分自身との戦いの日だった。ナギサジムに届く、プレゼントが一杯に入った段ボール箱の山をいかにして捌き、いかにして消費するか。そのための労力は計り知れない。それほどの量のプレゼントが毎年届くのだ。
シンオウ地方最強のジムリーダーという肩書きと顔面偏差値の高さが災いし、ジムリーダーに就任して以来、幸か不幸かバレンタインデーのプレゼントが途絶えたことはない。今年も例年に漏れず何十個という量の段ボールが届いたが、これでもデンジが独身だった頃よりは減ったほうだ。
さらに、贈られてくるものの中には明らかに物騒なものや衛生的によろしくなさそうなものが入った、歪んだ感情が込められたプレゼントも多かったので、受け取りNG事項も設けられた。食品であれば手作りやナマモノはNGで封を開けていない既製品のみ受けとることにした。その他、よく分からない箱や手紙はレントラーの透視能力によりGOサインが出れば開封する。
これらはデンジへのプレゼントに限らず、ジムトレーナーやポケモンたちへのプレゼントも同様に選別される。よって、その大変さからバレンタインデーは自分自身との戦い、になるのだ。

「疲れた……やっと長い一日が終わったな……」
「ガルル……」
「今日はありがとうな、レントラー。目が疲れただろ?今日はゆっくり休んでくれよ」
「ガルッ」

プレゼントの選別に半日を費やしたデンジは、疲労困憊といった様子で家路についていた。隣を歩くレントラーも然り。いつもは鋭い眼光を宿す目が半分くらいしか開いていない。プレゼントの選別なんて業務外の仕事もいいところだが、これは残業手当を申請しても文句は言われないだろう、いや言わせない、とデンジは心に強く決めた。
家のドアを開くと、暖かい空気と甘い香りがふわりとデンジを包み込んだ。デンジの妻であるレインもノモセジムで働いており、その営業時間はナギサジムと変わらないはずだが、二人の子供であるリッカがまだ小さいため、レインは時短勤務を使っている。そのため、仕事を早めに切り上げたレインはリッカを保育園まで迎えに行き、夕食の支度をこなしているのだ。
タッタッタッ、と家の奥から足音が聞こえてくる。デンジが玄関のドアを閉めたのと、リッカが玄関に飛び出してきたのは同時だった。

「パパー!」
「ただいま、リッカ。うらっ!」
「きゃー!」

抱きついてきたリッカを抱き上げて、高い高いしてやる。この笑顔を見ると、一日の疲れが吹き飛んでしまうから不思議だった。きっと、親にならなければ知らなかった感情だ。
デンジはリッカをもう一度抱き締め、リビングへと向かった。そこには、もう一人の愛しい存在がいた。デンジの帰宅に気付くと、レインはパアッと顔を輝かせる。結婚して何年たっても変わらない、自身に向けられる愛情への愛しさに頬が緩む。デンジはレインを抱き寄せて、額にキスを落とした。

「デンジ君、おかえりなさい」
「ただいま、レイン」
「今日、バレンタインだから大変だったでしょう?」
「ああ。でも、今日は何も食べてきてないから安心してくれ。バレンタインディナーの分はバッチリ空けてる」
「ふふっ。よかった。今年はね、リッカも食べられるようにハートのハンバーグをメインに作ったの」

ハートのハンバーグがメイン、とレインは言ったが、テーブルの上にはデンジにとってメインと呼べそうな手の込んだものばかりが並んでいた。
白いハート模様でくるまれたオムライス。付け合わせのニンジングラッセもハート型だ。ポテトサラダのハムはリボンのようにして留めてある。ミルクスープに浮かんでいるニンジンもハート型にくりぬかれている。
普段から食事には気を遣っているレインだが、こういうイベント事になるとさらに気合いが入るらしい。料理が自身の趣味であることも大きいが、なんでもリッカに料理の中でも季節を感じて欲しい、ということだった。いわゆる食育の一貫である。
テーブルの上を見渡して、デンジは首を傾げた。家に入ったときに甘い香りがしたと思ったのだが、その匂いのもとになるようなものは並んでいない。
ふと、一つの視線に気付き、デンジも目線をそちらに向けた。ニコニコと笑顔を浮かべているリッカは、後ろ手に何かを隠し持っているようだった。

「パパ!いつもありがとう!だいすき!」

そう言ってリッカから手渡されたのは、透明な巾着袋にリボンでラッピングされたチョコチップクッキーだった。突然のことでキョトンとしたままデンジがそれを受けとると、リッカはさらに一枚の紙を差し出した。それには、デンジと思わしき顔がクレヨンで描かれていた。

「……これ、リッカが?」
「そうよー!」
「ママが夜ご飯を作っている間に、クッキーを焼いてくれたのよね」
「そうよー!まぜまぜして、まーるくして、ならべたのー!」
「似顔絵は保育園で描いたんですって」
「っ……」

クッキーはいびつな形だった。厚いところがあるし、もしかしたら半焼けかもしれない。でも、それはリッカが自分の力で一生懸命に作ってくれたからだ。だから、レインもあえて手直しをしていないのだろう。
絵だって、少し前まで描き殴りだったのに、いつの間にか目や鼻らしきものが描けるようになっていた。髪は黄色で、目は青。デンジの特徴をきちんと捉えているし、その傍らには彼のポケモン達だろうか。黄色や青い塊がグルグルと描き殴られている。さすがにポケモン達を描くのは難しいか、とデンジは小さく笑った。
微かに潤んでしまった目を誤魔化すために、リッカをぎゅうぎゅうに抱き締める。

「ありがとう、リッカ。パパもリッカが大好きだぞ」
「きゃー!」
「クッキー、美味しそうに作ってくれたんだな。絵だってパパの特徴を掴んでてすごい……」
「パパー」
「ん?」
「はやくたべよう」

デンジの手からチョコチップクッキーをむしりとったリッカの行動に、デンジとレインは顔を見合わせてクスクスと笑う。バレンタインというものをよく理解していない子供からすると、目の前に好物があるならば誰のものとか関係なく、食べたくなるのは当然だ。

「食べるのはいいけど、ママが作ってくれたご飯を食べてからな。そのあとで一緒に食べよう」
「うん!はやくおててあらってきて!」
「はいはい」
「ふふっ」
「レインもありがとうな」

これだけのディナーを作りながら、リッカがクッキーを作る様子を見守っていたのだから、それはそれは大変だっただろう。だから、ありがとう、と。
デンジはレインをもう一度抱き寄せて、頬にキスを落とした。そのまま耳元に唇を滑らせて。

「リッカが作ってくれたクッキーだけじゃなくて、目の前のデザートもあとからちゃんといただくからな」

その言葉の意味が分かってしまい、レインは赤面しつつこくりと頷いた。今年のバレンタインも甘く温かいひとときを過ごせそうだと、デンジは小さな菓子職人に連れられて洗面所に向かいながら幸せに頬を緩ませるのだった。





2020.1.24


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