たっぷりの愛情を煮込む



 ことこと、ことこと。幸せまで一緒に丁寧に煮込まれているような優しい音がする。仄かに立つ湯気の向こう側にいるレインの表情もまた、緩やかで、穏やかで。初めてオレの家に来て料理を作ってくれたときからずっと、オレはこの光景が大好きなのだ。
 火を止めて鍋を傾けると、レインが愛情を込めて作った粥がトロリと落ちてすり皿におさまる。リッカをレインに渡して、次はオレの番だ。
 生まれて初めてリッカが口にする食べ物。もう離乳食を始める時期が来たのだと成長を噛み締めながら、丁寧にすり潰す。

「どのくらい潰せばいいんだ?このくらいでいいか?」
「見せて」

 すり皿の中身を覗き込んだレインは粥の潰れ具合を目視確認すると、すり棒をかき混ぜるよう数回回して触感を確かめる。そして、申し訳なさそうに苦笑するのだ。

「うーん、もう少し頑張って欲しい、かしら。トロトロした液体に近い状態が理想なのだけど……」
「そんなにか!?」
「大変でしょうけど、頑張って。パパ」

 レインがリッカの手を持ってふりふりと可愛らしく振るものだから、右手の疲れなんて吹っ飛んで、またすり潰し作業を再開する。
 離乳食作りなんて初めてのはずだが、どうもそんな気がしないのはなぜだろう。昔、それこそオレが子供の頃に同じようなことをやったことがある気がする。
 粥をスリスリと潰しながら思い返していると、ふと、ライチュウが物珍しそうにすり皿の中身を覗き込んできた。そこで、頭の中で糸が結びついたのだ。

「そうだ。ライチュウだ」
「チュウ?」
「懐かしいな。ライチュウ、おまえがピチューだった頃も似たようなことをしたんだぞ」
「ライラーイ?」
「覚えてないか?卵から孵ったばかりの頃はミルクだったけど、初めてポケモンフーズをあげたときはお湯で柔らかくして、少し潰してから食わせてたんだよ」
「……チャア?」

 首を右へ左へと傾げるあたり、どうやら覚えていないらしい。少しだけ寂しいと感じるのは、オレの我儘だろうか。

「なんだか少しだけ寂しいな。こうやって、どんどん大きくなっていっちゃうのね」
「だな。だから、オレ達がちゃんと覚えていよう。リッカは忘れるかも知れないけど、いつかこうだったなって思い出を語れるように」
「ええ。そうね」

 ライチュウと同じように、きっと、リッカも初めて食べ物を口にしたときのことなんて忘れてしまうだろう。オレとレインだけが覚えていて、あのときはああだったねと、思い出の中に取り残されるのだ。
 だから、リッカが初めて口にしたものも、その時の表情も、全部忘れないようにしたい。いつか、リッカがオレ達の元を離れたとき、きっと、レインと二人で優しい思い出を懐古する日が来るのだから。

「さあ、もういいだろ」
「ええ。じゃあ、どうする?デンジ君があげてみてくれる?」
「いいのか?」
「ええ。リッカにしてあげる色んな初めてはデンジ君がしてあげて欲しいの」
「そっか。じゃあ、行くぞ?リッカ」

 小さな、小さなスプーンにすり潰した粥をのせて、レインに抱かれたリッカの口元まで運び、下唇をちょいちょいとつつく。生後4ヶ月を過ぎた頃から、白湯を飲ませてスプーンの練習をしていたせいか、リッカはすんなりと口を開き、パクリと閉じた。

「おっ、食った!」
「本当だわ!」
「でも、出てきた」
「あ」

 白湯とは違った味と食感を不思議に思ったのだろうか。閉じた口を驚いたように開けたリッカの顎に、涎と粥がダラリと伝う。それをもう一度スプーンですくい上げ、口の中へと運ぶと、今度はコクリと飲み下した。

「ふふっ。不思議そうな顔」
「つーか、顔。ベトベトだぞ?リッカ」

 たった小さじ1。たったそれだけの量を口にしただけなのに、こんなに時間をかけて、こんなに顔を汚してしまうのだから、赤ちゃんも、それに付き合う大人も大変だと思う。それでも、あと半年もすれば大人と似たようなものを食べているのだから子供の成長は早いとつくづく思う。だから、目と記憶にしっかりと焼き付けておきたい。

「これから食べる練習をして、色んなものを食べて大きくなりましょうね」

 今このときも幸せだけれど、きっと、三人で食卓を囲み談笑しながら同じ物を食べる未来だって、負けないくらい幸せなのだ。





2020.9.28


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