異変の正体



その海域は、明らかに他とは異質だった。悪臭が漂い、海水は濁ったように毒々しい色をしていて、水面にコポリコポリと気泡が浮かんでいる。
レンはミロカロスにリフレッシュを命じてみたが、そこから毒素が消えることはなかった。
幸い、その周辺には砂が盛り上がっている浅瀬が所々にあったので、小狼達はポケモンをモンスターボールに戻して、周囲の様子を伺った。

「これは……!」
「すごい臭い……」
「どうしてここの海だけこんな色をしてるんだろ」
「人為的なものじゃないみたいだねー」
「だとしたら、ポケモンか?」
「ああ。これは……ポケモンの技の“毒々”だ」

デンジが顔をしかめながら言った。『毒々』と言えば、その技名の通り毒タイプのポケモンが使うもので、相手に大量の毒を浴びせて体力を奪っていくという技だ。

「しかし、ここまで大量の猛毒は見たことがない。例え、この海域に住むメノクラゲやドククラゲが一斉に猛毒を放ったとしても、これほどまでは……レイン?」
「なんだか……このあたりにすごく強い波導を感じるの……強すぎて……その力に酔ってしまいそうな……」
「大丈夫か?」
「ええ。ありがとう」

レインは何とか両足で浅瀬に立ってはいるが、具合が悪そうに顔色は青ざめている。
力に酔うと言うことは、彼女自身がそれを感知する力を持っていて、なおかつそれと自分の力に大差があるときだ。
彼女には波導と言う不思議な力があると、デンジは言った。しかし、その力は未だ未成熟か、またはこの海域に広がる力よりは小さいということになる。
レンがファイに耳打ちした。「たぶん、レインちゃんが酔うって言ってるのは、サクラちゃんの羽根のことと思う。私もこのあたりから強い力を感じるし」「レインちゃんの波導っていう力より、サクラちゃんの羽根の力の方が大きいみたいだねー」
レインを支えながら、デンジが海のある一点を凝視した。

「……なんだあれは」
「「「「「!」」」」」

小狼達は目を見開いた。浅瀬がぽつぽつと浮かぶ海域の中心に、巨大な渦が現れたのだ。海水を飲み込むようにぐるりぐるりと渦巻くそれは、どんどん直径を広めて荒波を立たせていく。
直後、渦の中心から大きな水柱が吹き上げた。
大量の水がバシャバシャと小狼達にも降り注ぐ。ずぶ濡れになってしまったが、そんなことに気を取られているわけにはいかない事態が発生した。
渦が消えた代わりに、水柱と共にそこから現れたのは。

「あれは!」
「え、えぇー!?」
「でけぇ!?」
「うーわー」
「気持ち悪い!なにあれー!?」

出現したのはクラゲのようなポケモン、ドククラゲだった。赤い色をした水晶体、体の前後にある鋭い毒針、おののく触手の数はもはや数えきれないほどだが一般には八十本あると言われている。
海を移動していれば必ずと言っていいほど出現するポケモンだが、目の前に出現したそれは規格外の大きさだった。通常、ドククラゲの体長は1.6mほどだと言われているが、現れたドククラゲの体長はぱっと見ただけでも十m近くある。水面下にある体まで含めることを考えると、このドククラゲ、自然に成長したとは考えがたいサイズだ。
ドククラゲを見慣れているはずのデンジとレインでさえも驚愕している。

「デンジ君。あれって、ドククラゲ、よね?」
「ああ。しかし、でかいな……でかいってもんじゃないな。自然にあそこまで大きくなるものなのか……?」
「強い波導、あのドククラゲから感じるの……」

あのドククラゲが強い波導を放っていると、レインは言った。そしてまた、レンと、サクラのバッグの中に隠れているモコナも、ある力を感じ取っていた。

「レンさん。まさか」
「うん。あのドククラゲ、サクラちゃんの羽根を持ってるわ」
「だから、あんなにバカでかく成長したのか」
「あー。見えるねぇ。あの赤い水晶体の中」

ドククラゲの頭部にある水晶体のうちの一つに、サクラの羽根が閉じこめてある。あれが栄養分となり、ドククラゲの成長を促進させ、とてつもない身体能力を付けさせたのだ。
レインは小狼に問いかける。

「シャオラン君。ドククラゲが持っている羽根を取り戻すことが、貴方のやるべきこと?」
「はい」
「デンジ君」
「ああ。ドククラゲの生体を乱した原因があの羽根で、それにより力を持て余したドククラゲが海に毒素をまき散らし、海のポケモン達が殺気立っているのなら、いったんドククラゲを倒してあの羽根を取り出してやるしかないな」
「はい!」
「でもさ、あんなにおっきなポケモン相手に、普通のポケモンの攻撃が通用するの?」
「問題ない」

レンの疑問を聞いたデンジが、不敵に笑んだ。小狼はその笑みに、数日前に見たチマリの笑みを重ねた。
戦うことに喜びを感じ、バトル前から相手を圧倒させる、そんな笑い方をする二人は良く似ている。否、チマリがデンジに似ているのだ。
ジムリーダーであるデンジの背中を追いかけて、チマリはあれだけの強さを身につけた。それならば、ジムリーダーである、彼自身の強さは。

「水タイプのポケモン相手のバトルならオレの専売特許だ」

バチリ。デンジのランターンが、一瞬だけライトを煌めかせた次の瞬間。高電圧が宙を走り、ドククラゲに直撃した。
水タイプのドククラゲに、電気技は効果抜群。ドククラゲは鳴き声を上げてその場に倒れた。またしても水しぶきが辺りを濡らした。

「デンジさん……すごい……」
「小狼君。サクラちゃんの羽根を今のうちに」
「あ、はい!」
「いや、まだだ」

デンジが舌打ちをした次の瞬間、ドククラゲは触手を激しく蠢かしながら起きあがった。周りを威嚇するように海面を叩き、水を飛ばして身を守る。
顔を手で覆い隠しながら、レインは叫んだ。

「みなさんもポケモンを出してください!このドククラゲ、私達を攻撃してくるつもりです!」
「りょうかーい。ラプラスー」
「ミロカロス、出てきて!」
「お願い、チェリム!」
「黒鋼さんもバンギラスを!水タイプには弱いポケモンだけど、ヒョウタ君に鍛えられているから、普通のバンギラスより耐性がついているはずです!」
「ああ。バンギラス!」

ファイとレンとサクラと黒鋼が、それぞれのポケモンを浅瀬や海に放つ傍ら、小狼はウインディが入ったモンスターボールを見下ろして、迷っていた。
ウインディは炎タイプのポケモンであり、海のど真ん中で戦うには肉体的にも精神的にも辛いものがあるだろう。数日前までは戦闘経験すらなかったこの子を、サクラの羽根を養分として育った巨大ドククラゲの相手とさせて良いものか、と。
そのとき、小狼の手の中でカタカタとモンスターボールが揺れた。

「ウインディ」

ボール越しに見つめ合う。小狼は、ウインディの瞳の中に炎を見つけた。戦わせてくれ。そう言われているような気がしたのだ。
小狼は覚悟を決めてモンスターボールを上空に投げ上げた。

「ウインディ!頼むよ!」

苦手なはずの水辺に飛び出しても、苦手な水タイプのポケモンを目の前にしても、ウインディは怯まなかった。軽やかに浅瀬へと着地して高らかに吠えた次の瞬間、八十本の毒の触手が彼らに襲いかかった。


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