満開はすぐそこに


※この小説は私ではなく【天使のオルゴール】の砦河椛様の作品であり、許可を頂いてこちらに飾らせていただきました。





桜もまだ満開とまでは開かない、あれは3月の上旬のこと。
堀鐔学園高等部の廊下を歩くのは、桃色の髪の美女だった。
スーツに身を包み、靴音を鳴らさないよう注意しながら、夕暮れの校舎を進む。
前、後ろ、とせわしなく首を動かし、彼女――レンは困ったように眉を下げた。


(Where is this music?)


彼女は探していたのだ。

先ほど知り合ったファイという化学教師と化学準備室で談笑していたところ、内線で理事長である壱原侑子に呼び出された彼。
ちょっと行ってくるね、と彼が出て行った部屋にはこれ以上ない程の静寂に包まれた。
化学準備室の窓から見える、もうじきに満開になるであろう桜を眺めていると、ふと、レンは顔を上げた。
何かが僅かに空気を揺らしたのだ。
元歌手で、新年度からこの学びやで音楽教師になる耳の良い彼女は反射的にがらりと廊下への扉を開けた。
しかし、扉を開けた音にかき消されて、それはすぐに消えてしまう。
暫し動きを止めて待っていると、それは再び響き始めた。


(Piano……and violin?)


音楽に生きる人の性なのか、音を探して化学準備室を抜け、そのままさまようように廊下を進み、現在。
音の出所を探して、レンは辺りを見回した。
音は近くなってきている。
しかし、焦らせるように曲は盛り上がりをみせ、そろそろ終わってしまいそうだ。
良く知るその曲。
まさか日本でこんなに早く聞くことになるなんて。


「moonbow……」


レンはその曲名を呟いた。
彼女の気に入りの曲。しかし、春には少し似合わないようなその旋律を、誰が、桜の香りに絡めてこんなにも甘く切なく奏でるのか。

レンは廊下の突き当たり右側にある扉の前で止まった。
表札には音符のマークが踊る。
ここが、新年度からレンの職場となる教室であるらしい。
そして、音はこの扉の奥から響いていた。


「まちがい、ない……」


中には日本人がいるのだろうと、深く息をついて、日本語を口に出し、頭を回転させる。
防音のために二重になっている扉の一つ目を開けた時、ピアノの音で曲が終わった。
レンは少し躊躇いながら、あと一枚の扉をノックした。少し鈍い音が、まるで自分の心臓を打っているかのように、響く。
初めて堀鐔学園を見上げた時の高揚感と緊張感を、再びレンは味わった。


「はい」


疑問を滲ませたような声が返事として返され、レンは恐る恐るといった様子で扉を開いた。
直後、目に飛び込んだ銀髪に、目を見開く。レンを見つめる金の双眸。
その容姿は予想した日本人の容姿とはかけ離れていて。
そして、ヴァイオリンを持つ彼女と、ピアノの前に座る彼女は、何が違うのかと聞きたくなるほどによく似た双子だった。
今のように髪型を変えていなければ、まず間違いなくわからない。


「……えっと……?」


ピアノの前に座る、髪をハーフアップにした女生徒――雅は首を傾けて、突然現れた桃色の美女を見た。


「I'm sorry! I wasn't going to disturb!」

「あ、Stop! Stop please.」


焦って英語で、ごめんなさい、邪魔をするつもりはなかったと言うレンに、雅は待ったをかけた。
レンははた、と動きを止め、頭が少し冷えると、思わず英語を話してしまった自分にまた焦る。
口を覆ってわたわたと慌て始めたレンに、雅の双子の片割れ――柚那はヴァイオリンを置いて、タッチパネルを手に取った。


【Can I ask your name?(お名前を伺っても良いですか?)】


そう書いて、柚那はレンに歩み寄り、タッチパネルを見せた。
筆記体で書かれたその文字に、レンは疑問を持ちながら応えを口にする。


「ごめんな、さい。わたし、の、なまえ、レン、です。あなた、たちは?」


ピアノの蓋をおろし、駆け寄った雅がにこりと笑った。


「私は八月朔日雅です。こっちは双子の姉の柚那です。日本語、大丈夫ですか?」

「ゆっくりなら、だいじょうぶ、です。柚那、ちゃん、と、雅、ちゃん、ね。えっと、柚那、ちゃんは……」

【I don't have voice.(私は声を出すことが出来ません)I usually use conversation by writing or dactylology.(大抵筆談や手話を使っています)】

「あ、ごめん、なさい……」


聞いてはいけなかったかもしれないとレンが眉尻を下げると柚那は笑みを浮かべたまま軽く首を横に振った。
気にしないでください、と言うような微笑。
慣れています、と言うような苦笑。


「レンさんが気にすると柚那も気にしますから、慣れてください」

「あ、はい」

【I'm sorry.(すみません)】


苦笑を浮かべて言う柚那に、レンは笑みを浮かべた。


「いいえ。柚那ちゃんと、雅ちゃん、こうとうぶ、の、せいと?」


着ているものは間違いなく私服だが、学園内どこかの生徒であることは間違いないはずだ。
外見もそれなりに大人びているし、レンに対する応え方にも、そこかしこに成長している人格が見える。
此処にいるというのならば、高等部と考えてまず間違いないだろう。
しかし、柚那と雅が目を見合わせると雅はいいえ、と口にした。


「違うんです。4月から入学します。今日は侑子さんに呼ばれてて……」

「ゆうこさん……、Ms.Ichiharaの、こと?」


先程挨拶を交わしたあの妖艶な美女。


雰囲気が不思議な人だったが、それでもいざという時には頼りがいのありそうな女性だった。理事長と呼ぶにふさわしい。
入学前に彼女に呼ばれるなんて、この二人は何者だろうかと考えてしまうが、間違いなく音楽においては他よりも光るものがある。
他の面においても、優秀な生徒なのだろう。

雅ははい。と笑うと、そういえば、といった調子で首を傾げた。


「レンさんは、どうしてここに?」

「わたし、4がつから、ここで、おんがく、おしえます」

「あ、すみません!先生だったんですね」


思わずといった様子で口を押さえた雅にいいえ、と笑ってレンが視線を落とすと、やはり、あの文字が。


「やっぱり、moonbow」

「え?」

【Do you know this song?(ご存知なんですか?)】


きょとんとした二人に、レンは花が咲くように笑った。


「だいすきな、きょく、です」


嗚呼やはり、音の中に生きる彼女は音に囲まれて輝きを増す。
今までどこか緊張した面持ちだったレンが初めて見せた満面の笑みに、柚那と雅は安心したように笑みを深めた。


「ふたりとも、とても、じょうず。もういっかい、ききたい」

「えっ?」


2人は驚いたように目を見開き、雅は素っ頓狂な声を上げて、柚那と目を見合わせる。
へにゃ、と笑うと、わずかに顔を赤らめた。


「なんだかそうお願いされちゃうと、恥ずかしいね」


照れた笑みを浮かべた柚那が頷く。


「わたし、うたいたい。いっしょに。えいごのかし、だけど」

「……レン先生が歌ってくださるなら、」


やろうか?と雅が柚那に合図すると、二人はレンの手を引いてピアノのそばへと誘った。
柚那がタッチパネルを置いてヴァイオリンを構え、雅はピアノの前に腰掛けてその蓋を開ける。

三人は目を見合わせると、息を吸い込んだ。





 

「レンレンせんせーい!!」


一方そのころ、ファイは廊下の中央で新米教師の名を叫んでいた。
途方に暮れたように、響く自分の声に空しさを感じながら、ファイは数分前までレンがそうしていたとも知らず、首を前後にせわしなく動かす。


(もー、どこ行っちゃったのかなー)


この学園は狭くない。
まだ案内していない場所だって山のようにあるのだ。
校内放送で呼び出せばいいのだが、それではまるでデパートの迷子案内である。


「レンレンせんせーい!」


久しぶりに、困った色を全開にしながら、ファイは廊下を進んだ。
そして、それは微かに耳に入り始める。


「歌だ……」


ピアノと、ヴァイオリンと、澄んだ声。
歌詞の分からないそれは三重奏のように、絡み合っては空気を揺らす。

ファイの足は自然とその場所に向いた。
まるで導かれるように、根拠はないが確信を持って。
進んだ視線の先には開け放たれたドア。そこは、音楽室。
ファイは無意識に足音を鳴らさないように緊張しながら、音楽室を覗き込んだ。

ピアノとヴァイオリンが奏でる絶妙なハーモニー。切なくなるような甘い声。
愛しい人をその眼差しの向こうに見るかのように、レンの手は不規則に空をさまよい、音に没頭する彼女はファイが見てきた何よりも純粋で綺麗だった。
ヴァイオリンを奏でる柚那と、ピアノを奏でる雅も、レンの感性と才能に引かれるように、けれど決して後れをとらず、手を動かしては艶やかに、磨かれた真珠のような音を響かせる。
すべてが調和を持って、
空気が、煌めいて見えた。

いつしか曲は終わりを迎え、ピアノの最後の一音が響いた時、ファイはやっと拍手を贈ることができたのだった。


「!」

「ファイさん!」


驚きに目を丸くしたレンと声を上げた雅。柚那だけはどうやらファイの様子に気づいていたらしく、にこりと笑ってわずかに頭を下げた。


「すごかったよ3人ともー」

「あ、あの、ファイ、せんせい、わたし……」


今更思い出したらしいレンはあわあわと焦りながら申し訳なさそうに眉尻を下げた。
ファイはそんな彼女に、大丈夫ーおかげでいいもの聞かせてもらえたし、と笑みを向けた。
それを見たレンがはにかんで笑うと、ファイの口元が無意識にゆるむ。


「え、と、もどりま、しょう。柚那ちゃん、雅ちゃん、ありがとう。またね」

「はい、また」

【Good-by(さようなら)】


ばいばい、と手を振って音楽室を出ていくレンを見送ると、雅は楽譜をまとめ始めた。
柚那はわずかに口角を上げると、雅を振り返った。
雅はその様子に気づいて、どうしたの?と視線で尋ねる。


【あの2人、きっと面白いことになる】

「面白いこと?」


何のことだか理解しかねて、雅は首を傾げた。
しかし柚那はそれ以上は語らず、そそくさとヴァイオリンを片付け始める。

新年度、あの2人が付き合い始めたという報告を聞いて、雅が「このことだったの!?」と柚那を揺さぶるのはまた、別のお話。





end

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