Roses Are Red


──職員宿舎ユゥイ&イリス宅──

目の前に広がる、赤。鼻をくすぐる甘ったるい香り。
イリスは数回目を瞬かせた。帰宅して、ドアを開けるなり薔薇の花束を差し出されるなど、いくら彼女でも予想していない。
既に花束はイリスの腕にわたっていたので、もう片手だけを使ってパンプスの留め具を器用に外す。そして、花束を両手で抱え直すことでようやくユゥイの顔が見られた。
ニコニコと目を細めて、つまりはいつも通りの表情でユゥイはイリスを迎えた。

「お帰り」
「ただいま、デス」
「今日は少し早かったね。買い物、楽しかった?」
「……まぁ」
「よかったね」
「ユゥイさん」
「ん?」
「このバラ」
「今日はバレンタインだからね。アメリカじゃ男性が好きな女性に薔薇やチョコを贈るんでしょう?」

日本のバレンタインデーと言えば、恋人だったり夫だったり、はたまた片思いの相手や友人だったりと、女性が自分の好きな男性へとチョコレートを渡す日だと認識されている。
しかし、アメリカでは少々違うのだ。プレゼントを贈るのは男性から女性へという形が多く、プレゼントはチョコレートよりも薔薇が人気だという。
チョコレートを見るだけでも鳥肌を立たせるイリスが、ましてやそれを口にするなど到底難しく。よって、ユゥイの選択肢は必然的に一つに絞られて、薔薇の花束を贈ることにしたのだった。
品の良いゴールドのネイルで飾られている指先をそっと持ち上げ、ユゥイは悪戯に口付けた。

「ということで、女王様のために薔薇の花束を献上させていただきました」
「……なんか、ツッコみどころあるケド……ありがと、ござい、マス」
「どういたしまして。ディナーも豪華だから、席について待ってて」

ユゥイは再びカウンターの向こうへと戻っていく。
バッグと紙袋を脇に置き、イリスは薔薇の香りを吸いこんだ。甘いけど、でも甘すぎない、上品な香りだ。
皿やフォーク、ワインなどがすでに用意されているテーブルを見る。どうせなら、この薔薇も花瓶に生けてディナーに飾ろう。
フローリングの床下収納、奥底に眠っていた花瓶を取り出した。白くて丸みを帯びたシンプルなデザインのそれは、どんな花にもよく合い、自らは主張することなく花の存在を引き立てる。
布巾で軽く周りを拭いて、蛇口を捻り水を入れる。それをテーブルの真ん中に置いて、最後に薔薇の花束を挿した。

「キレイ」
「ね。じゃあ、準備も出来たし食べようか」
「待って」
「?」
「イタリアでは、バレンタインは、愛し合う者同士の日、なんでしょう?だから……日本流、プレゼント」

イリスは、フローリングに置いていた紙袋を持ちあげ、ユゥイに渡した。今日の彼女の戦利品、洋服やアクセサリーなどだとばかり思っていたユゥイは、首をかしげつつも中身を取り出した。
正方形の、赤い色をした、箱。表面は所々ハート形にくり抜かれて、そこだけは白だった。箱に絡むリボンに挟まっているのは『Happy Saint Valentine's Day』というメッセージカード。
数秒間ユゥイは固まってしまった。日本流と前置きしたくらいだからおそらく、中身はチョコレートなのだろう。まさか、あのイリスからチョコレートをもらえるとは微塵にも思っていなかったのだ。というよりも、イリスからプレゼントをもらうという行為自体が、初めてだった。
その箱をユゥイがあまりにも凝視し続けるから、イリスはなにやら勘違いしたらしい。私の料理は信用出来ないのかと、むっとした声を出した。

「一つ一つ、レンに教わりながら、作ったカラ、たぶん、大丈夫。ちゃんと、味見して、もらったし。レン、倒れなかったカラ」
「……今日、買い物に行くって言ってたのに……違ったんだ」
「ん……ユゥイさん」
「ん?」
「今まで、言ったコト、なかった、ケド」

次の瞬間、目の前では桃色の睫毛が揺れていて、唇には柔らかく温かい感触が押し当てられていた。
イリスからユゥイにキスをすること自体は珍しいことではない。しかしその中で、たいていは薄紅色の瞳の奥に艶めいた妖しい光が揺れてばかりだった。それは、ユゥイに限定せずに『男』を対象としたキスだった。挑発するものであったり、誘惑するものであったり、相手に潜む劣情を引きずり出すような、そんなキスばかりだった。
こうして、本当に触れるだけの、相手を愛おしむようなイリスのキスは、初めてに等しかった。

そして再び開かれた薄紅が真っ直ぐに蒼を見つめて「Ti amo」と囁いたから、喉の奥がこそばゆいほどに熱くなる。泣き出してしまいそうな、でも締まりのないニヤついた表情を見られたくなくて、やっとの思いで「I love you,too」と呟くと、ユゥイは彼女を強く抱きすくめた。





──END──

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