もうひとつの12月25日


堀鐔学園合同クリスマスパーティーが終了し、イリスはユゥイの車で帰路についていた。暖房が利いた車内の中、控えめの音量で流しているBGMはイリスの好きなクラシック。
話題に上るのは、勿論ファイの公開プロポーズのことだった。

「よかったねぇ。問題、一気に解決して」
「まあ、レンが断るわけナイって思ってましたケド。これで、少しは大人しくなって……」
「いや、レンさんはレンさんのままで、ファイもそのままだと思うよ」
「……デス、ね」
「どんな子供が産まれてくるか楽しみだね」
「それはそうと、ユゥイさん」
「ん?」
「どこに向かってるんデスか?ここ、山、デスけど」
「まあまあ、もう少しだから」

イリスは車が走り出したその時から、気にはしていたのだ。ユゥイが運転する車は、職員宿舎を通り過ぎて郊外へと向かっている。だんだん建物の数が減っていき、とうとう車が山道を走りだした時、イリスは先ほどの台詞を口にした。ユゥイは明確な答えを口にしないまま、車を山頂へと走らせる。

木々に挟まれデコボコした闇道。抜けた先には、小さな展望台があった。
誰もいない駐車場に車を停止させ、サイドブレーキをかける。フロントガラスの向こう側いっぱいに広がるのは、キラキラと輝き彩られた街だった。
宝石箱の中身を零したような夜景に、イリスも思わず息をのんだ。

「……キレイ」
「でしょう?せっかく誕生日なんだし、やっぱり雰囲気あるところでプレゼント渡したくてさ」
「プレゼント?」
「うん。イリスさん、貰い慣れてるとは思うけどね」
「……そうデスね。たいていのものは、もらったコト、ありますカラ、よほどのものじゃないと、驚きませんよ」
「そんなに睨まないでよ。はい、これ。誕生日おめでとう」

ユゥイが取り出したのは一枚の封筒だった。中身が何も予想出来ないプレゼント、イリスは一瞬だけ眉を寄せ、中身を取り出した。
そして目を見開いた。アクセサリー類、時計、バッグ、靴、パソコンなど、あらゆるものをもらってきたイリスでも、初めて受け取るものだったからだ。

「イタリアへの往復チケット?あ、ホテルの宿泊券も」
「イリスさん、海外好きでしょう?学校も冬休みに入ったし、行ってくると良いよ」
「……本当にいいんデスか?」
「うん。25歳の誕生日プレゼント」
「……有り難うございマス。でも」
「ん?」
「イタリアってことは、ユゥイさんも、一緒に来るんでしょう?」
「バレた?」
「バレバレ、デス」
「ボクと一緒はイヤ?」
「ベツに」
「じゃあ、決まりだね」

しっかりしているというか、なんともちゃっかり者である。どうせイヤだといっても無理矢理ついてくるのであろうし、海外の文化に関心があるイリスにとってイタリア旅行自体は本当にもらって嬉しいものだったので、抵抗も反論もなく口を閉じた。
前回イタリアを訪れたのは学生時代に留学していた時のこと。どちらかというと勉強に夢中で、ゆっくり観光出来る時間は少なかった。
今回は観光スポットを回り、現地の文化により深く触れながら、ゆっくり休暇を過ごすのも悪くはない。

そういえば、イタリア留学中に世話になった恩師──アシュラは義母の友人であり、隣に座るユゥイの義父であったのだから世間は狭いというべきか、否、あの時から何かの縁があったというべきか。
イタリアに行く、ユゥイにとっては帰ることになるのならば、アシュラに連絡をしないことにはいかないだろう。果たして今の二人の関係をどう説明すべきか、イリスは一瞬頭の隅で悩んだが、今考えてもどうにもならないと止めた。

フロントガラスに軽く雪が積もってきた。イルミネーションに染まる街に、舞い散る雪。
余計な説明など必要なく、ただ綺麗とだけ思えた。

「ホントに、キレイ」
「イリスさん、こういう高いところは大丈夫なんだね」
「ちゃんとした足場があるし、手すりに近づかなければ、ヘイキ」
「観覧車は?異様に怖がってたけど」
「アレは、ハコが引っかけてある、ダケじゃない。風で揺れるし」
「本当に意外だったよ。イリスさんが高所恐怖症だったなんて。あの時はごめんね」
「説得力ありまセン。固まるワタシを見て、笑ってたのは、どこのダレ?」
「ボクでーす」
「……ホントに、初めて逢ったトキは、こんなに意地悪い性格で、諦めが悪いなんて、思わなかった」
「ボクだって初めて逢ったときは、こんなにシビアで気が強い人だとは思ってなかったよ」
「お互いサマ」

クスリ、イリスは笑った。
彼女のユゥイに対する接し方は、出逢った当初はもっと柔らかいものだった。しかし、共に過ごす時間が増えるにつれて、イリスは冷めた雰囲気を出すようになったし、一緒にいて沈黙することも少なくはない。時には突き放されるような態度だってとられることもある。かといって、嫌われているのかと問われれば実はそうでもない。
ユゥイは知っている。イリスは親しくなった人にほど本来の自分、つまりは冷めた性格やシビアな印象を見せるようになるのだということを。柔らかい印象は人間関係を円滑にするための虚像であり、仕事上の付き合いやその場限りの付き合いだけでの彼女の姿である。冷めたイリスの姿が見られるということは、その人が彼女に信頼されていたり心を開かれていたりと、そういったことを意味する。
だから、イリスの柔らかい第一印象と本来のシビアな性格にギャップを感じる者はいても、本性を知ったからといって離れていく者はいない。本性を見せても良いと、イリスが判断した者だからだ。ある意味賢く器用で、ある意味不器用なのだ、彼女は。
そんなことを考えながら、今度はユゥイが口を開いた。

「初めて逢ってから2年、再会してもうすぐ1年になろうとしてるのに、まだ靡いてくれないよね」
「何度も、言ってるじゃない。ワタシ、恋愛は、信じないって」
「でも、なんだかんだでデートの約束をしたら来てくれるから。何回振られても、いつか靡いてくれるかなって」
「ユゥイさん、いつからMになったんデスか?」
「うーん。ボクは自他共に認めるSのつもりだけどね。イリスさんの前じゃ上手くいかないな」

ははっ、と笑ったあとにまた沈黙が雪と共に降ってくる。
誰だっていつかは心変わりをする、一人の人を永遠に想い続けるなど不可能。それがイリスの持論だった。

イリスがこんな虚無的な考えに至るにはそれなりの経験があった。
昔はイリスだってごくふつうの恋愛をしていた。自分から好きになった人もいた。しかし、別れた恋人が次にレンのことを好きになったり、レンに振られた人がイリスのことを好きだと言うようになり、そういったケースが増えるに従い彼女の中にどんどん不信感が積もっていった。
単に男運がなかったのかもしれない。どうであれ、こういった経験を通してイリスは本気の恋愛を避けるようになった。
毎日毎週相手が変わるような、お手頃な関係がちょうど良い。惚れさせた者が勝ち、惚れてしまっては負け。
いくら虚しいと思われようと、イリスにとってはそれが束縛もされずにちょうど良い恋愛スタイルとなった。

だから、何度も何度もぶつかってくるユゥイのアプローチを鬱陶しく思うこともあった。
しかし、こうして彼が隣にいることに慣れきってしまった自分がいることに気付く度、イリスは内心戸惑うこともあった。勿論そんなこと、微塵にも外に出したことはない。

「……こんな山奥に連れてこられて」
「うん?」
「ワタシが、あまりにも靡かないから、とうとう殺されるんじゃないかと、思いマシた」
「あはは。さすがに、そこまで病んではないよ。その一歩手前かもしれないけど」
「笑えないデス」
「9割くらい本気だけど」
「ほとんどじゃないデスか」
「イリスさん」
「なに?」
「本当に、ボク、もうそろそろおかしくなりそうなんだけど」
「……」
「君が他の男と逢う度に、気が狂いそうになる。こういう曖昧な関係を提案したのはボクだし、束縛する権利はないって分かってる。でも、もう限界だよ」
「……」
「どうしたら信じてくれる?どうしたらボクだけのものになってくれる?」

ユゥイは全てを知っている。イリスが逢っている男が自分だけではないことも、彼女の恋愛スタイルも恋愛に対する不信感の理由も。
校医の星史郎とイリスが夜の街を歩いている現場を目撃したとき、内心のショックは凄まじかった。それらをひっくるめて知っている上で、それでも彼女の傍にいたいと、恋人関係とも浮気関係ともとれるような曖昧な関係を望んでいた。
しかし、どうやらそれにも終止符を打つときが来たようだ。

イリスは考え込むように目を伏せたあと、そっと開いた。

「ユゥイさん、ワタシのこと愛してる?」
「何を今更。当たり前じゃない」
「だったら、ワタシに愛される、覚悟はアル?」
「……イリスさん?」
「言葉だけで成り立つ関係なら、ワタシは欲しくない。信じない」

だから、と。イリスは強い眼差しで、はっきりと言いきった。

「結婚するなら、アナタだけのものになってあげる」

予想外すぎる言葉だった。目を見開きつつ、ユゥイはイリスの性格を考えた上でのこの言葉の意味を理解した。
口だけの付き合いならば簡単に別れられる。飽きたら次へ、気持ちがなくなったら次へ、過去のイリスの経験のようになる。
しかし、結婚するとなるといくつものしがらみが出来る。嫌いになったから、心変わりをしたから、そんなことで別れることは出来ない。不倫や離婚などをすれば法的罰が下されるときもある。勿論、イリスだって今までのようにふらふらしていられなくなる。
その点を念頭に置いた上での選択だ。否、イリスは心のどこかで誰か一人だけを想い続けられるとても一途な恋愛に憧れていたのかもしれない。
少し憧れとは違うけれど、これが彼女なりの愛の形。

『私に愛される覚悟はあるか』
その意味をくみ取ったユゥイは、ゆっくりと口を開いた。

「……本気で言ってるんだよね?」
「こんなコト、冗談で言いません」
「そうだね……はぁ。本当にボクはとんでもない人を好きになっちゃったよ。いろんなことすっ飛ばして結婚なんて」
「それは、どうも」
「プロポーズだって男からするのがセオリーなのに……」
「文句ばかり、言ってナイで。どうするんデスか?」
「……分かった」

サイドブレーキを解除して、ライトをつける。車は再び走り出し、山道を降りて街へと続く道を辿り始めた。

「今度はどこに行くんデス?」
「区役所」
「え?」
「君を愛するボクの覚悟、見せてあげるよ」

イリスの愛を重いというなら、ユゥイの愛も軽いとは言えない。何度拒絶されても、あしらわれても、体当たりし続けたユゥイの想いの重さも負けず劣らずだ。
天秤に掛けてちょうど釣り合う重さにある二人。すなわち、意外と相性が悪くはないのかもしれないということだ。

そして数十分後、時間外受付から婚姻届の紙を受け取って区役所から出てくる二人の姿があった。





──END──

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