ノットスイートラバーズ


冬の寒さが始まり、暖かい布団から出るのを躊躇う朝がやってきた。課外などで普通の生徒より早めの登校をしている生徒たちは、指定のコートを着込んで体をなるべく縮こまらせるようにして、早く暖房の利いた室内に入ろうと急ぎ足で歩いている。
そんな生徒たちに紛れて、イリスも朝の並木を通勤していた。今日は早朝から職員会議がある日だ。黒いコートをさっと羽織り、差し色であるマフラーを緩く巻いて、高いヒールのブーツをコツコツ鳴らして颯爽と歩く。
ピリッとした冬の引き締まる空気は、彼女の真っ直ぐな背筋と凛とした横顔を周りの景色から際立てた。アメリカに住んでいた彼女にとって、日本の冬の寒さは大したことがない。校舎に入ると同時に、イリスはマフラーとコートを脱いで職員室へと向かった。

──職員室──

「おはようございマス」
「あ。イリスおはよ!」
「イリス先生、おはよー」
「おはようございマス。レン、ファイ先生」
「ねぇ、見て見て」

レンは嬉々とした様子で、イリスにあるものを広げてみせた。レースで飾られた可愛らしい表紙の、少し分厚い本は、たくさんの写真が至るページに貼られている。
それは、いわゆるアルバムだった。中身の写真はこの双子が幼いときのものばかりで、今とさほど変わらない様子のレンと今よりもやや表情のあるイリスが一緒にいるものが多い。
これらの写真からわかるとおり、幼い頃は今にも増して見分けがし辛い双子だったようだ。双子の宿命とも言える、揃いの服を着せられているから余計にである。
しかし、親がそうするのかイリスの髪はこの頃から巻かれていたし、身につける小物の色はレンが暖色でイリスが寒色であることが多いようだ。そういった親の計らいにより、双子は辛うじて区別されていたらしい。
「懐かしいなー」「本当に二人ともそっくりだねぇ「」と、ほのぼのと昔を懐かしむ姉とその恋人とは対照的に、イリスの表情はそれと反したものへと変わっていく。

「……レン」
「なに?」
「ドコから引っ張り出してきたの。コレ」
「本棚を整理してたら出てきたの。イリスにも見せようと思って。本当に懐かしー」
「没収」
「えー!?なんでー!」
「レンだけなら良いケド、ワタシの写真まで出すのは本当にヤメテ。小さいコロの写真なんて、本当に見たくナイ」
「なんでなんでー?可愛いお洋服たくさん着てるのに」
「だから、イヤなの」
「えー!返してよー!」

取り上げられたアルバムを取り返そうとレンは必死になっているが、イリスは飄々と避わしていく。ピーピーと喚きながら走り回るレンは幼い子供のようで、イリスの険しい表情はその場に焼却炉でもあればすぐさまアルバムを投げ入れてしまいそうなほどだ。二人のこの温度差も、ある意味見物である。
「朝から平和だねー」と、ファイ先生もその追いかけっこを止める気配はない。その笑顔はむしろ、もっとやれと言わんばかりのものだ。

「返してよー!大切な思い出なのにー!」
「一生涯、誰にも見せないって、誓うなら、返す」
「……ムリー!」
「レンって、本当に、正直者。嘘でも、ウンって、言えばいいのに」
「レンレン先生の性格上、無理でしょー。そこがいいんだけどさー」
「ファイ先生。さりげなく、ノロケるの、ヤメテ、くだサイ」
「あははー」
「というか、レンを、止めてくだサイ」
「いやー。彼女と、彼女と同じ顔の子がじゃれ合ってるのって目に優しーんだよねー。というわけで、続けて続けてー」
(……ダメ、この人。何かおかしい。さすがあの人の双子の兄……)
「返して返して返してーっ!」
「っ」

無謀にもレンがタックルをかましたときだった。イリスは持ち前の腕力と脚力で、なんとかレンを受け止めて転ばずに済んだものの、アルバムがバサリと床に落下してしまった。その表紙に、カバーから抜け出してしまった一枚の写真が、床にそって遠くへひらりと滑っていく。
コツ、と上品な革製の靴に当たって止まる。靴の持ち主の細長い指が、優雅な動きでそれを拾い上げる。
その人物に気付いたのは騒ぎを傍観していたファイのみで、レンとイリスの仲裁をしながら「おはよー」と声をかけていた。騒ぎの源である双子は、まだ気付かない。

「……レン」
「うわぁぁ、イリスの目が本気だぁ……本気で怒ってる」
「当たりマエ……」
「これ、レン先生とイリス先生?」

ピシリ、イリスが固まり、首だけをギギギと背後に向けた。それを良いこと「今だ!」とレンはアルバムを拾い上げてそそくさと席に戻り、ファイとまたアルバムをめくっている。
イリスはそれを再び取り上げるどころではなかった。目の前で写真を凝視しているユゥイに、自分の過去を見られてしまったショックの方が勝っていた。黒鋼などならまだマシだったものを、よりにもよって『あの』ユゥイに、と。

「これ、青い服を着ている方がイリス先生?」
「……」
「笑ってる。可愛いね」
「……」
「これ、貰っても良い?」
「ダメ」
「即答かぁ」
「ゼッタイに、ダメ」
「だって、イリス先生が花柄でふりふりの服着てるのって珍しいし。それ以前に、スカートだし」
「だから、イヤなんデス」

イリスはユゥイの手から写真を取り上げようと引っ張ったが、それは長い指に挟まれたままで彼女の手に渡ることはなかった。ぐぐっ、と力を入れて引いてみても写真はぴくりとも動かない。
相手が年上だとか上司だとかそういった柵を取り除いて、鋭い目で睨みあげる。案の定、ユゥイはいつものように緩やかな笑みを持って、イリスを見下ろしていた。

「返して、くだサイ」
「ボクのお願いを聞いてくれたら返すよ」
「……何デスか?」
「今度、ワンピースを着てボクと出かけてくれたら、この写真返してあげる」

このサディスト、とイリスは内心毒づいた。彼女がスカートを嫌っていることは、彼女と交流がある者にとって周知であるはずだ。
それを知っていてのこの台詞。爽やかな笑みとは裏腹に、その中身は誰よりも真っ黒である。
出逢ったばかりのころは、裏表のない穏やかな人だとばかり思っていたのに、人間というものは厄介だ。表面をいくつもの仮面で覆えば、中身はいくらだって偽ることが出来る。
しかし、いくら隠していても本性というものは不意に現れるもので、それを見せる対象は特別な誰かである可能性が高い。例えば家族、例えば友人、例えば恋人。自分がユゥイの、その対象者であることにイリスはまだ気付いておらず、苦虫を噛み潰したように細い眉を寄せた。

「……」
「どうする?」
「……ワンピース、フォーマルなものしか持ってないんですケド」
「じゃあ、普段着用を一緒に選びに行こうか。レースを着ろとか、そんな意地悪は言わないから大丈夫。ちゃんとイリス先生の好みに合うデザインを選ぶよ」
「ワタシに選択権はないんデスね……はぁ」
「その溜息は、受け入れてくれたってことでいいのかな?」
「もう、お好きに、ドウゾ」
「じゃあ、今度の土曜日にね」
「写真」
「約束を破られないように、当日まで預かっておくよ」

写真を自分の手帳にパタンと挟み、ユゥイは自分の席へと向かっていった。その背中をもう一度睨みつけて、イリスは深々と溜息を吐いた。
他人のペースに乗せられるなんて、不本意だし心外だ。これは不可抗力だと自分を納得させて、ユゥイが選んだワンピースを着るしかない。それはもはや、半分は諦めに近い溜息だった。
しかし、それではあまりにも理不尽すぎるので、隣の席であり事の原因であるレンの頬を思いっきり抓った。「いひゃいー」と言う彼女の何とも間抜けな声に苦笑しながら、もうすぐ理事長が来る時間だと、ファイは向かい側の自分の席に戻り、隣の席のユゥイに耳打ちした。

「スカートを履いたイリス先生とデートしたい、って素直に言えばいいのにー」
「素直に言ったところで、頷いてくれる相手じゃないからね」
「珍しく余裕ないねぇ。いつもなら相手を翻弄する側なのに、されるなんて」
「本当に、ボクらしくないと思うよ。情けなくなるばかりだ。でも」

惚れた弱みかな、と言って笑うユゥイの表情は、一緒に生きてきたファイでさえも知らないものだった。
飄々とした表情で振り回して、自分のペースに乗せているように見せかける。しかし実際、振り回されているのは、相手のペースに惑わされているのは、彼女ではなくむしろ彼のほう。
彼が、自分と同じように好きな相手のペースに完全に振り回される日もそう遠くはないだろう、とファイはユゥイに気付かれないように目を細めた。





──END──

- ナノ -