野良猫の魔法


まだ陽は高く昇っていない。しかし、その光は燦々と地上に降り注ぎ、アスファルトをじりじりと焼いた。「もう、春も終わりネ」、とイリスはぼやき、冷房のスイッチをやや捻った。

春には桜の花びらで自然のカーテンが作り出されていた並木道も、今やすっかり青々とした葉が茂っている。そこから射す木漏れ日が、暑さの中の微かな涼しさを演出している。
木漏れ日の下を通り、住宅街へと出て、もう少し行けば学園だと言うところで、イリスは道路の左端にうずくまっている学生を発見した。あの制服から見て、堀鐔学園の生徒と言うことは間違いないだろう。学園まであと少しという距離で何をしているのだろうか。
イリスは直感的に、急に暑くなった気温のせいで具合が悪くなったのではないか、と思った。

車を道路の端に寄せて止め、それから降りて生徒の元へと駆け寄る。どうやら女子生徒のようで、しかもイリスと面識のある生徒だった。
確か、亜麻色の丸いボブの髪と、褐色の瞳の持ち主。彼女は、自分の双子の姉が副担任を務めるクラスの生徒だ。

「三条葵さん?」

名前を呼べば、彼女──葵はゆっくりと振り向き、イリスを見上げた。どうやら間違ってはいないようだ。

「おはようございます。イリス先生」
「おはよう、ございマス。どうしたんデスか?気分でも悪い……」

そこまで言い掛けて、イリスは言葉を途切れさせた。あるものが視界に入ってきたからだ。
葵が向かって座る方向には、大きめの段ボール箱が置いてあった。その中には、生まれて数ヶ月も経ってないと思われる子猫が3匹入れられている。『誰か拾ってください』と書かれた紙を見て、どうして葵がこの場にうずくまっていたのか、イリスは瞬時に判断出来た。

「捨て猫、デスか?」
「そうみたいです」
「そう……子猫がたくさん生まれすぎて全ては飼えなくなった……ってトコでしょうね」

白い足袋をはいたような可愛らしい黒猫。一番活発そうな白と黒がまだらの猫。少し気弱そうなグレーの子猫は段ボール箱の隅で怯えたように丸まっている。
飼い主の身勝手で置き去りにされた子猫たちは、これから自分たちがどうなるのか知らないのだろう。このような野良が辿る運命は、たいてい二つのどちらかに決まっている。
一つは新しい飼い主に拾われるか。もう一つは……

「イリス先生。このまま誰もこの子たちを拾わなかったら、この子たち、殺されるんですか?」
「……そうかもしれないわネ」
「捨てられて、そういう結果に辿りつくのは、この子たちだけじゃないって分かってます。この子たちを助けたからって、何も変わらないかもしれません。でも」

葵は、真っ直ぐにイリスを見上げた。

「私はそれでも、目の前に現れたこの子たちだけは助けてあげたいです」

イリスはやれやれと息を吐いた。
この子はどこか自分に似ている。だから分かる。通常はシビアな思考を持っている彼女がこうも必死になるのは、彼女がかなりの猫好きだからだろう、と。
しかし先述したとおり、葵とイリスはどこか似ている。きっとそれは自分もなんだろうとイリスは密かに笑って、葵に背を向けた。

「車に乗りなサイ。このままだと、遅刻ヨ」
「イリス先生っ」
「その段ボールを抱えて、ネ」

葵はいつもの表情を崩し、きょとんと目を開いた。

「学校の中庭。あそこには、他に猫もいるし、人も良く来るカラ、この子たちも安心して、成長出来ると思うわ。あそこの猫たちは、優しいもの」
「!」
「さあ、行きましょう」
「はい」

こうして、この捨て猫たちは無事に堀鐔学園へと迎え入れられたのだ。
これを切っ掛けに中庭で二人がたびたび顔を合わせるようになるのも、「なんだか最近、学校に住み着いた野良猫が増えた気がするのよねー。まあ可愛いから良いんだけど」と、侑子がぼやき始めるのも、少し後の話である。





──END──

- ナノ -