7色の音にのせて


本年度の教師歓迎会が無事に終了し、夜の街に散り散りと帰って行く先輩教師を見送りながら、堀鐔学園新任教師のイリスはそっと一息ついた。
新任教師の歓迎会とは言いながら、新しく入ってきた者たちは上司に酒をついで回ったり料理が切れないように注文したり、一般企業の新入社員と同じように広い座敷をあっちへこっちへと駆け回ることになった。
マンモス校である堀鐔学園は、生徒の数に比例して教師も多く層も厚い。勤務数年目の若手でありながらも運動部総括顧問に任命されるなど、若くして実力を持った教師も多数在籍しているが、最近は薄れつつあるものの年功序列が抜けきらないのが日本の社会だ。
よって、勤務歴が1〜3年目ほどの教師は暗黙のルールに従い総出で世話係となる。外国人教師からすれば実に面倒で不可解な習わしだが、郷に入っては郷に従えである。歓迎会、と言うより世話会もようやく終了した。

さあ帰ろうとイリスが踵を返したところで、何者かによって両腕をがっちりとホールドされた。ニヤニヤと何か企んだように笑う、レンと侑子だ。
あれよあれよと言ううちに引きずるように連行されて、着いたのは小さな隠れ家的な居酒屋だった。
ああ二次会か、とイリスは直感した。また先ほどのように忙しく動き回らなければならないのだろうかと考えると、気が滅入る。
しかし、通されたのは5〜6人が定員と思われる個室で、男性陣が黒鋼とファイとユゥイ、そして女性陣が先ほどの3人という顔ぶれだった。
合コンのようにテーブルを挟んで、男女が向かい合うように腰を下ろす。畳に襖という和の造りだが、掘り炬燵式になっていて足を思い切り伸ばすことが出来た。

イ「二次会にしては、少人数、デスね」
侑「貴方達まだ若いから、世話ばっかりでそんなに飲めてないでしょう?ここでは気にしなくて良いわよ」
レ「やった!さすが侑子先生!」
侑「あたし、ああいう堅苦しいの嫌いなのよねー。あの店も誰が予約したのかしら。うちには外国人教師が多いのに、畳の客室なんて」
レ「ずっと足が痛かったから、こういう部屋だと嬉しいです」
フ「ねー。えーっと、なに頼もっかなー」
侑「あ、ダメダメ。みんな1杯目は生中よ。これは譲らないわ」
レ「生中……」
黒「練習だと思って飲んでみろよ」
レ「んー……頑張る」
ユ「イリスさんもビールで大丈夫?」
イ「はい。お酒は、たいてい、飲めマス。じゃあ、ワタシが、注文……」
レ「いいよ!イリスの歓迎会なんだから座ってて。私がやるから!すたっふぅー!とりなまぁー!」
イ「……何ですか。アレ?」
フ「レンレンが今ハマってる芸人、comedianね。そのギャグだってー」
侑「あの子、ちょっと時代がずれてない?」
黒「確かに」
イ「『とりなま』は?」
ユ「とりあえず生ビール中、の略らしいよ。ボクも最近知った」
イ「日本人って、ヘンなの」
黒「つか、あいつ飲む前からテンション高いな」

周りに気を遣わずに飲むことが出来て嬉しいのか、もしくは前の店で多少は酒を口にしていたからか。おそらく両者とも当てはまるに違いない。店員を呼び出したレンは、メニュー表をじっと見ながら上機嫌に注文しだした。
生中を筆頭に、砂肝、鳥皮、四つ身、豚バラ、烏賊ゲソ、ピリ辛ウィンナー、たこのぶつ切り、卵焼き、生春巻き、トマトスライス、枝豆、シーザーサラダ、もつ鍋、エトセトラ……「とりあえずその辺にしとけ」と黒鋼からストップがかかるまで、レンは次から次にペラペラと注文を続けた。
上機嫌のまま席に着いたレンを横目で見るイリスの目は点になっている。

イ「なにが、出てくるか、全然、わからナイ」
レ「私も最初そうだったよ。でも、先生同士の飲み会も多いし、この辺美味しい居酒屋さんとかバーが多いからすぐ覚えるって……あ、きたきた」

当然のごとく一番に運ばれてきたのは生中かける6つ。全員の手にジョッキが行き渡ったことを確認した侑子はそれを掲げて「イリス先生!ようこそ堀鐔学園へ!かんぱーい!」と音頭をとった。
カチャンとガラス同士がぶつかる音が響く中、注文した料理も次々に運ばれて来た。自分の取り皿の上に乗った焼き鳥の盛り合わせを見て、イリスは心なしか目を輝かせているようだった。

イ「日本の、料理、ヤキトリ?食べるの、初めてデス」
ユ「ボクも、この学園に来たとき四月一日君に作ってもらったけど、すごく美味しかったよ」

割り箸を綺麗にパチンと割り、それを器用に使いこなしながら、肉を串から外し皿の上に出して、口へと運んだ。

イ「ん……お肉にタレが良く染み込んでいて、美味しいデス」

イリスはにこりと満足そうに笑って見せ、それを見たユゥイもにこにこと頬を弛めた。
そんな彼らの隣では「ビール美味しくにゃい」「ちょっとー、レンレン酔うの早いんじゃない?」「カシスオレンジが良いのぉ」「ビールの方が酔いにくいから、オレとしてはビールを飲んで欲しいんだけど」「や!すたっふぅー!」……と、レンが早くも壊れ気味である。
反対隣では「おい……なにをそんなに大量に頼もうとしてるんだよ」「まあまあ。レン先生。この紙に書いてあるお酒も頼んでちょうだい。あと、グラス7つ」というやりとりが黒鋼と侑子との間で繰り広げられた後「らじゃ!」と紙を受け取り敬礼したレンは、呂律が回らない口調で店員に追加の酒を注文した。
姉の醜態に思わず溜息が出る。

イ「いつも、こんな感じ、なんですか?」
ユ「あはは。そうだね。ボクも最初はビックリしたよ。ここまで教師同士が仲が良い学校も珍しいよね」
イ「ええ」
侑「はい!ちゅうもーく!」

視線を侑子へとやる。彼女の前のテーブルには7つのグラスが横一列に並べられている。それぞれに色の違う酒が入っていて、七色の階段のようだった。

侑「今日もやるわよー!飲み会恒例!ドレミファ一気ー!」
イ「ドレミファ、イッキ?」
侑「ルールは簡単。歌にあわせて一つずつグラスを飲み干していく一気よー!だんだんアルコールが濃くなっていくから要注意!さあ、最初のチャレンジャーは!?」
レ「はいはいはぁい!」
フ「レンレンはダメー。いつも2杯目くらいで潰れるでしょー。オレやるー」
侑「じゃあ、トップバッターはファイ先生!歌は今回特別ゲストに歌ってもらいまーす!」

その時、侑子のバッグの中から二つの影が飛び出してきた。

ソ「ぷぅ!」
ラ「モコナたち、とうじょーう!」
黒「こいつらかよ!つか、生徒をこんな時間まで!」
侑「モコナ達だからノープロフレムよ」
ソ「じゃあ、歌うよ!」
ラ「ファイ先生、準備は良いか?」
フ「はーい。みんな、合いの手よろしくー」
レ「ドレミファ一気ー!すりーつーわん!ごー!」

「ドーはドーナツのドー、レーはレモンのレー、ミーはみんなのミー、ファーはファイトのファー」とモコナ達が歌えば、ファイはドレミのフレーズに合わせて一つずつグラスを飲み干していった。「さあ飲みましょう〜」とモコナ達が締めくくれば、ファイは飲み下した最後のグラスをぷはぁっと盛大にテーブルに叩きつけた。

フ「クリアー」
レ「いえーいっ!」
侑「なかなかやるわね。今日は強いお酒を選んだのに」
黒「おい」
侑「大丈夫よー。弱い人には飲ませないから。もっとも、この場にいる人はレン先生をのぞいてみんなザル以上だから大丈夫でしょ」
イ「日本、おもしろい、飲み方、あるんデスね」
侑「うふふ。やってみる?」
イ「ハイ」

よくぞ言ったわ!と言わんばかりに満足そうに笑った侑子は、空いたグラスに再度酒をついでいく。作り上げられた7色とイリスを交互に見比べ、ユゥイは大丈夫かと視線で問いかけた。「これでも、結構、強いんデスよ。レンとは違って」とイリスは不敵に笑んでみせると、最初のグラスに手をかけた。

ラ「イリス先生のドレミファ一気!」
ソ「さん!にー!いち!スタート!」
ラ「ドーはドーナツのドー」
ソ「レーはレモンのレー」

まるで水でも飲み下すかのように、イリスはグラスの中身を胃へと収めていった。しかし半分を過ぎた頃、表情に変化が訪れてくる。飲むペースこそ落ちなかったが、最後のグラスを飲み干したイリスの表情は苦虫を噛み潰したかのようなそれだった。
場を盛大に盛り上げることに貢献したイリスだったが、口直しにとレンからカシスオレンジを取り上げてそれをも飲み下し、細い眉を最大限まで寄せてみせた。

侑「イリス先生、すごいじゃない!」
イ「キツ……平然と、飲んだ、ファイさん、何者?」
フ「あははー。オレ、ザルって言うかワクだしー。でもさすがにちょっとホワホワするー。楽しいねぇ」
レ「たのしーね!」
イ「侑子先生。最後の、何ですか?」
侑「ウォツカ」
黒「そんなん最後に持ってくんなよ……」
侑「あーら。怖じ気付いたのかしら黒鋼先生?」
黒「ふっ……誰に言ってやがる」

その体は水分ではなく酒で構成されていると噂されるほどの酒好きで有名な黒鋼である。自分にクリア出来ないはずがないと、黒鋼の表情は余裕綽々だった。
三度一気の準備がされる中、イリスはウォツカのダメージを癒すためにユゥイが頼んでくれたウーロン茶に口を付けた。「大丈夫?」とユゥイが隣の席に腰を下ろせば、イリスはその肩にこてんともたれ掛かった。硬直したユゥイを熱が籠もった瞳で見上げ、唇が意味ありげに弧を描く。
「黒鋼先生のドレミファ一気!さんにーいち!はい!」と、三度一気コールが個室に響いた。前二人のときよりも心なしか歌うスピードが速いが気がするが、黒鋼は難なくその速度について行く。
しかし、ソエルが「ファーは」と歌ったそのとき、ファイが「ファイのファー!」とグラスの底を持ち上げてみせた。もちろん、中身は勢いよく流れ落ち、黒鋼の顔面めがけてシャワーのごとく降ってくる。
その場は何かが爆発したかと思うほどの爆笑に包まれ、イリスとユゥイですら思わず吹き出してしまった。悪戯に成功したような表情で逃げるファイと、殺人鬼のごとき形相で彼を追う黒鋼を目で追いかけながら、イリスは肩を震わせながら笑いを耐えた。

イ「楽しい、学園、デスね」
ユ「そう思ってもらえたなら本当によかったよ」
イ「ホリツバ学園、今日も平和?」
ユ「もちろん」

黒鋼の怒号とその他メンバーの笑い声が渦巻く中、カチャりと二人がグラスを傾けた音が小さく響いた。





──END──

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