ビター&スイート


──職員宿舎──

鍵の開く音が、部屋の主達の帰宅を告げた。ファイは鍵を開けた後、紳士的にもドアを片手で押さえ、レンを先に中に入れた。それなのに、レンはなにやら仏頂面だ。玄関脇にある明かりをつけると、ファイを振り返りもせずにつかつかとリビングに入っていく。
入り口脇にかけられたリモコンを手にし、暖房を起動させる。むっとした風が、室内を巡る。レンは両手に下げていた大きな紙袋を卓上に置き、自分のバッグをその隣に置いた。
彼女の不機嫌さは態度にも現れていて、ソファーにどさりと乱暴に腰掛けた。続いてファイもリビングに入ると、彼も両手に持っていた紙袋を卓上に置いた。
マフラーとコートを脱ぎながら、へにゃんと笑う。

「今日も一日楽しかったねぇ」
「……」
「小狼君とさくらちゃん、最終的に上手くいったみたいだしー」
「……」
「レンレン、なぁに拗ねてるのー?」
「別にっ」
「そんな訳ないでしょー。レンレンほどわかりやすい人はいないんだから」

レンの様子を伺うように、ファイが隣に座った。すると、レンはぷいっと顔を背けると、立ち上がってコートとジャケットを脱ぎだした。
彼女はいつもそうだ。喜怒哀楽は正直に顔に出すし、それ故に嘘がつけない。特に今回は、自分が怒っている理由をファイに知って欲しいように、態度が明白だった。
レンの気持ちを知ってか知らずか、ファイがソファーの背越しに彼女を振り向いた。

「で?」
「で?って?」
「だからー、バレンタインチョコ。オレ、まだ貰ってないよー」
「私から貰わなくても、沢山貰ってるじゃない。恋人にまで持って帰るのを手伝わせるくらい」
「あー、ヤキモチ焼いてたんだぁ。かわいー」

そう、結局はなんだかんだでファイも生徒達からチョコレートを貰っていた。それが、二人が持ち帰っていた紙袋の中身なのだから。
紙袋から溢れ出んばかりのチョコが、全部で紙袋4袋分。義理が大概だとは思うが、その容姿と性格故にファイに好意を寄せる生徒も少なくないとレンは聞いていた。

恋人が居ると知りながら渡す女子生徒達もそうだが、ファイもファイだ。一人一人に笑顔を返し、チョコを受け取っていたのだから。
義理でも本命でも、関係ない。モテる恋人を持つ宿命ともいえど、レンは苛々を抑える事が出来なかった。

ヤキモチ焼きだなぁ、とファイはしばらく笑って、自分とファイが脱いだ服をハンガーに掛けるレンを見つめていた。しかし当然ながら、彼女の苛々は増すばかりだ。
ファイはソファーの背に頬杖をつくと、自分に向けられた不機嫌な背中を穏やかに見つめた。

「そりゃあみんなの気持ちがこもってるから、受け取らなかったら悪いでしょー。でも、オレは食べないよ」
「へ?」
「オレが貰ったのはレンレンにあげるー。オレは本命からのチョコが一つだけ食べられれば、幸せだもんー」
「……みんなにチョコの感想を聞かれたらどうするの?」
「美味しかったって言って、にっこり笑えば大丈夫でしょー」
「……真っ黒教師」

間抜けな声から、訝しげな声から、最後の笑いを含んだ声を出したレンの機嫌は、少し和らいだようだった。相変わらずファイに背を向けているものの、声のトーンと髪をかけている耳の赤さが、そうだと伝えている。
ファイの愛情表現がストレートなのに対して、レンの場合はどこか分かりにくい。しかし、ファイはきちんと理解している。レンは照れているだけで、甘える時は甘えてくるし、言葉として形にしてくれる時もあるのだ。

レンは自分のバッグの中から、小さなサイズの紙袋を取り出した。さらに、中からラッピングされた正方形の箱を取り出すと、紙袋を卓上に置く。
ファイの隣に腰を下ろし、少し照れたような笑顔で、それを差し出す。

「はい。ハッピーバレンタイン」
「有り難う、レンレン。手作りー?」
「もちろん。ここでは、ファイがいて作れなかったから学校の調理実習室を借りて、ね」
「食べていいー?」
「どうぞ」

ラッピングを解いていく度に、心臓が高揚するのをファイは感じた。いい大人が、バレンタインのチョコ一つでこんな気持ちになれるなんて、重症だ。内心苦笑して、ファイはふたを開けた。
中はさらに小さい正方形で仕切られていて、その仕切りの中には宝石のようなチョコ達がきらきら輝いているその中の、何も飾られていないチョコを一つ掴むと、ファイは口を開けて一気に頬張った。

「ん、美味しいー。お酒も入ってるよねー?」
「うん。ちょっと大人めにしてみました」
「いいねー。オレ、こういう味好きだよー」
「良かった」

ホッとしたようにレンは笑うと「紅茶いれるね」と、カウンターで仕切られているキッチンへ立った。「ありがとー」と言いながら、ファイは粉砂糖がふるってあるチョコへと手を伸ばす。
二粒目を口内で溶かして幸せを噛みしめながら、ファイは徐にレンからのチョコが入っていた紙袋に手を伸ばした。

(あれ?中にまだ何かある……手紙?)

紙袋の底には、淡いピンク色の封筒が入っていた。宛先には『ファイへ』と、女性らしい丸みを帯びた綺麗な字で書かれている。
思わず、封筒とレンを見比べた。カウンターの向こうにいる彼女はお湯を沸かしているようで、ファイの視線に気付かない。
ファイは綺麗に封を切り、中身から一枚の便箋を取り出した。

『初めてのバレンタインチョコ、受け取ってくれてありがとう。来年も再来年も、これからずっと毎年チョコを贈らせてね。ファイ、大好きです』

『レンより』と最後に締めくくられたそれは、間違いなくレンがファイに書いたものだった。
短い文章を、何度も何度も繰り返し読む。同時に、頬が弛んでどうしようもなくなる。
ファイは手紙を持ったまま立ち上がり、コンロの前に立っているレンを後ろから抱きしめた。

「わっ。ファイ?」
「オレも大好き」
「……手紙、読んだの?」
「うん」
「……そっか」
「ねぇ」
「なに?」
「オレ、幸せすぎてどうしよう」
「……幸せのままで、いていいよ」

そう言った後、レンはゆっくりとファイを見上げた。ピンク色の頬と、穏やかな笑みが、ファイの眼前に広がる。自分より頭一個半ほど小さい彼女の唇に、ファイは何の迷いもなくキスをした。
啄むように繰り返されるキスは、段々と深いものに変わる。行為の途中、ファイはレンの体を自分に向かせ、頭を抱え込むように引き寄せた。レンも、ファイの体温と、チョコの甘みが残るキスに、酔いしれていた。
カタカタと、やかんの蓋が揺れる。中身が吹き零れないよう、ファイは片手で栓を閉めた。
その後もキスを繰り返し、しばらく経ってようやく二人は唇を離した。余韻に浸り、お互いを抱きしめ合う。

「チョコの他に、もう一つ食べたいものがあるんだけどなぁ」
「え?なにを?」
「……レン」

耳元で囁かれた渇いた声に、心臓が大きく鳴った。渾名ではなく本名で呼ばれる時、それがどんな時なのかレンは既に知っている。
期待と、少しの羞恥を込めてファイを上目遣いに見る。熱と、欲情が込められた瞳で見つめ返される。

「レンを食べたい」

普段より低く囁かれ、くらくらと酔いしれる。彼が自分にだけ見せる顔だと思うと、背筋に甘い痺れが走った。
「……どうぞ」と、レンは顔を赤らめて少し俯き気味に、聞こえるか聞こえないくらいの声で呟いて。ファイの口角が、上がった。

ここがキッチンだとか、関係なかった。ファイのしなやかな指先が、レンのブラウスのリボンをするりと解いた時。それが、チョコレート以上に甘い夜の、始まりの合図。





──END──

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