5.12月25日にドッキドキ!


雪が落ちる度に、外灯の作る影がちらつく。その下のベンチに二人で腰掛け、ファイは舞い散る雪を見上げ、レンは舞い散る雪を見下ろし、沈黙に身を委ねている。
時計塔は午後23時50分を回った。もうすぐ、12月24日も終わりだ。

コチ、時計の針がまた一分進んだとき、ファイが口を開いた。白い息が宙に溶け込んで消える。

フ「オレさぁ、結婚願望なかったんだ」
レ「……うん」
フ「両親の顔も分からないうちから捨てられて、親がどういうものなのか分からないんだ。だから、自分が親になる自信なんて全然なかったし」
レ「……」
フ「だから……オレ」
レ「……ファイ、私と、別れる?」
フ「え?」
レ「それとも、おろせって、言う?私と、ファイの、赤、ちゃん」
フ「レンレン」

ぽすっ、レンの頭はファイの胸へと収まった。下半身と上半身が捻れた状態で抱きしめられ、ほんの少しだけ、苦しい。
すれ違っていた二人を寄り添い合わせるように、雪は止む気配もなく優しく降り続き、静かに二人を包み込んだ。

フ「あのさ、オレ、全部過去形で言ったつもりなんだけど」
レ「……あ」
フ「考えなんて、人との出逢いでいくらでも変わるんだよ。オレを変えてくれたのは、レンレンだった。ただそれだけ。オレと、レンレンと、それから」

少しだけ体を離されて、ファイは視線を下ろした。レンの右手は、意識的なのか無意識なのか、彼女の腹部に添えられている。まだ、膨らむ気配も見せないそこ、ずっと奥にある揺りかごには、本当に小さい命が確かに息づいている。
レンと同じように、ファイも自分の右手をそこへと軽く押し当てて、愛おしむように撫でた。

フ「このお腹の中にいる子と、3人でなら幸せになれるって確信があるんだ」
レ「ファイ、じゃあ」
フ「そうそう。ポケットに手、入れてみてー」
レ「え?」
フ「ほら、早く早く」
レ「う、うん?」

男物のコートの長めの袖を軽くまくり、両手を上手く使える状態にして、レンは言われたとおりにポケットに手を入れた。右側には何もない、温い空気を掴むだけだ。しかし、左側は、違った。
指先に触れた堅く冷たい感触に、目を見開く。手全体で握りしめると、恐る恐る取り出して掌の上で広げた。指輪、だ。プラチナのリングに、宝石の輝きはダイヤモンドとピンクダイヤモンド。ただの指輪でないことは、見て明らかだ。
しかし、レンの思考回路はショートする寸前まで追い込まれていて、あらゆる物事を順番に正しく考えられる状態ではなかった。

レ「……嘘」
フ「本当ですー」
レ「だって、指輪とか、全然、今まで、くれたこと、なかったし」
フ「というか、今まで誰にもあげたことなかったんだよー。初めてのことで、黒様やユゥイに相談しまくってたんだからー」
レ「……え?」
フ「言っとくけど、レンレンが妊娠してるって気付く前から、この日にプロポーズしようってことは決めてたんだからねー」
レ「プ、ロ、ポー、ズ?」
フ「ああ……そっか」

「まだちゃんと言ってなかったね」と、ファイは少しだけ笑ったあと、表情を強ばらせた。そのあとすぐに抱きしめられて、表情は見えなくなってしまったが、先ほどの表情は緊張とは無縁でいつも真剣さに欠けるファイが初めて見せたものだった。
かちり、時計塔の針が重なって午後24時、午前0時を告げる鐘が響いた。

フ「Ti Amo」

鐘の音に紛れて、耳元で囁かれた異国の言葉。聞いたことがある。確か、イタリア語で『君を愛してる』という意味を持つ言葉だと。
ゆっくりと体を離された。肩に置かれている大きな手と、薄い唇が、微かに震えている。しかし、レンを見つめる蒼い瞳は、言葉を紡ぎ出す声は、揺らぐことなく真っ直ぐだった。

フ「レン。オレと結婚してください」

嗚呼、魔法にかけられた瞬間というのは、こういう状態をいうのだろうか。じわりじわりと、そしてゆっくり、体中を暖かい気持ちが伝わっていくような、そんな感じ。
雪が溶けたあととは違う雫が、レンの頬を濡らしていく。悲しい訳じゃないのに、上手く声が出ない。鼻をつんと刺激され、喉の奥で熱い何かが引っかかり、しゃくりあげることしか出来ない。泣いているのか笑っているのか、今の自分は相当不細工だろうなと思っても、綺麗に泣いたり笑ったりする余裕などない。
イエスともノーとも言わないレンに、頭上から声が降ってくる。もう全てを理解したというように、ファイの声はいつもの色に戻っていた。

フ「いいのー?ダメなのー?」
レ「ふっ、え、ファイ……っ」
フ「ダメなら、この指輪はいらないかー」
レ「いる!結婚する!ファイ大好き!」

泣きはらした目で、赤く染まった鼻で、でもそれらを隠そうとはせずに、レンはしっかりとファイの目を見つめて叫んだ。答えなど、とうの昔に決まっているのだから、悩む必要などありはしないのだ。
これから先ずっと一緒にいたいと想える相手に出逢って、その人との間に新しい命を見つけられた時から、レンにとって辿りたい道は一つしかなかったのだから。

ファイは優しく微笑み、取り上げた指輪をするりとレンの左薬指にはめて、またしっかりと抱きしめた。この柔らかい髪も、仄かな甘い香りも、頭の先から爪先までを全力で愛したいと想える人に出逢えたことが、ファイにとって一番の奇跡。それによって抱くことが出来た想いこそが、ファイにとって一番の永遠になるのだ。

侑『ファイ先生!プロポーズ成功おめでとー!!』
レ「!?」

キーン、鼓膜を震わす声が反響する。甘ったるい角砂糖を全力で潰すような、例えるならそんな感じ。最高潮まで達していたムードは、侑子の館内放送により無惨にも砕かれた。レンの感動の涙が引っ込んでしまうのも無理はない。

四『うあああおめでとうございますーっ!』
レ「え……」
侑『会場のスクリーンで様子を見てたみんなも、ハラハラしたり号泣したり大忙しだったわー!』
フ「いやー、本当に良かったぁ。万が一フられでもしたらどうしようかとー」
侑『まったまたぁ!失敗する気なかったくせにー!』
ラ『ファイ先生、かっこよかったぞ!』
ソ『モコナ感動しちゃったー』
レ「……ファイ、まさか」
フ「うん。今までの下り、ぜーんぶ会場のみんなに筒抜けー」
レ「っ……!!!」

ベンチの背にうなだれるレンの心境は、穴があれば隠れたい、むしろ自ら掘ってでも隠れたい、といった感じだろうか。
しかし、この盛大なドッキリに今更怒る気もしなかった。校内放送を使って二人の出逢いやプライベートを暴露されたりしているうちに、変な耐性が出来たのかもしれない。
それ以上に、「ファイ先生レン先生おめでとー!」「お二人ともお幸せにー!」といった中から聞こえてくる声は、二人を祝福しているものばかりだった。
恥ずかしい以上に、今は、どうしようもなく嬉しかった。

侑『これはあたしからのお祝いよー!』
フ「!」
レ「!」

雪が舞う夜空に、大輪の花が次々に咲き誇る。さすが堀鐔学園の理事長、花火を打ち上げるとは、やることがいちいち派手だ。しかし、それによって二人のムードは元に戻っていた。
次々にリズムよく打ち上げられる花火に照らされながら、自然に寄り添いあい、レンはファイの肩に頭を乗せて、ファイは腕を伸ばしレンの肩を抱いた。

フ「パーティー終わったら籍入れにいこうねー」
レ「早っ」
フ「ダメー?」
レ「……ううん。最高の誕生日プレゼント」

12月25日、クリスマスでありレンの誕生日でもある日。その日にもう一つ、大切な記念日が増えそうだ。
ファイの顔が近づいてきたので、レンは反射的に目を閉じた。この瞬間も会場のスクリーンに映し出されている、という思考も脳裏を過ぎったが、ここまで来たらどうでも良い。
雪が頬に触れる感触と、花火の音を聞きながら、視界を閉ざして、見せつけるように夢中でキスを交わした。





──END──

- ナノ -