4.バレンタインデーにドッキドキ!


──登校道──

とうとう、バレンタイン当日を迎えてしまった。昨日に引き続き、今日もマフラーのいらない穏やかな気候だ。モコナコンビが登校していると、目の前に影を背負った小狼がずるずると歩いている。二人は目を合わせて頷くと、ぴょんぴょん跳ねながら小狼の両肩に飛び乗った。

ソ「小狼、おはよう!」
ラ「おはよ!」
小「おはよう……」
ソ「元気ないね」
小「今日は2月14日だから……日本の女の子達が陰謀で戦う日なんだろう?」

はぁーーっ、と幸せを全部逃がしてしまうように、小狼は大きな溜息を吐いた。昨晩は眠れなかったのか、目の下にはうっすらと隈が出来ている。ここまで信じ込んでしまっているとは、不憫過ぎて仕方がない。

ソ「信じてるね」
ラ「信じてるな」
小「だから……」
ソ「あっ!女の子だ!」

小狼よりもいち早く先に、モコナコンビがその存在に気付いた。彼の背後から、女の子の二人組が小走りで駆けてきているのだ。二人とも少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめて、片手には小さな紙袋を下げている。

ラ「何か持ってるな」
ソ「こっち、来るよ!」
ラ「あっちからも!」
ソ「そっちも!」
小「うわぁあーー!!」

気がつけば、四方八方から女の子達の軍団が、小狼めがけて駆け寄ってきている。我先にと言わんばかりに、互いを威嚇し合う女の子達もいる。
背水の陣に立っている小狼は、ただ顔をひきつらせて叫ぶしかなかった。







──B組──

四「あっ。小狼、おはよう!」
百「よう」
四「って、なんだその格好!?どっかで派手に転んだのか!?」
小「はあっ……はぁ……」

やっとこさ教室に辿り着いた小狼の格好は、誰もがツッコまずにはいられないほど悲惨だった。シャツはズボンから完全に出てしまっていて、ネクタイは結んだ形跡がなくただ首にかけてあるだけの状態だ。髪の毛はかき混ぜられたように乱れ、顔にはぶつかったような痕がある。呼吸もこれでもかというほど乱れていて、小狼は状況を説明する事すら困難だった。

小「登校中に、女の子達が!」
ソ「いっぱい来たの!」
ラ「チョコ持ってな!」
四「バレンタインデーだもんなー」
百「おまえは貰ったのか?」
四「うるせーよ!」

それはもう、四月一日の怒声は迅速だった。答えを聞くまでもなく、貰っていないのだろう。
そんな百目鬼と四月一日のやりとりも、今の小狼には聞こえていないようだった。

小「はぁっ……なんだか……っ……みんな……はぁ……突進してきて……他の学校の子もいて……はっ……避けるのに精一杯で……はぁ、はぁ……まさに、命懸けって感じだった……」
四「は?なんで避けるんだ?」
百「本当に信じてる……」
小「っ……あのチョコが武器なら、やっぱり、なにか、仕掛けがあるのかな……?食べたら、大変な事になるとか……」
四「……小狼?」
小「はぁ、はぁっ……日本の女の子って……凄いんだな……」

そう言う小狼の表情は本気で、半ば尊敬の意を示しているようだった。互いを押し退けてでも小狼に近付こうとしていた女の子達の形相は、それはもう修羅のようだったのだから。まさに、小狼は戦場にいるような疑似体験をしたのだった。
四月一日だけが、何の事やら話が分からず首を傾げるばかりで。そんな時、教室の戸が開いた。

ひ「おはよう」
四「ひまわりちゃーん!」

四月一日の変わりようを見て分かるとおり、入ってきたのはC組のひまわりだった。手には、白い紙袋が提げられている。この日ばかりは、男としてそこにばかり目がいってしまう。

百「よう」
ソ「おはよう!」
ラ「おはよー!」
ひ「小狼君、もう来てる?」
小「はぁ……あ……うん!」
ひ「さくらちゃん」

ひょっこりと、ひまわりの後ろに隠れていたさくらが顔を出した。彼女もひまわりと同じく、紙袋を後ろ手に提げている。顔は真っ赤で、小狼と話がしたいようなのだが、なかなか目を見る事が出来ない。
ひまわりが、頑張って、と呟くとさくらはようやく顔を上げた。少しだけ躊躇った後、消え入りそうな声で口を開く。

さ「あ……あの……ちょっといいかな?」
小「うん。まだ始業まで時間あるし」
さ「じゃ、じゃあ……ちょっと時間貰ってもいい?」
小「いいよ」
ラ「小狼、鞄預かっててやる」
小「有り難う」
ソ「いってらっしゃーい!」

ソエル達に見送られ、小狼とさくらは教室を後にした。バレンタインデーに一度は見る、王道とも言える告白パターン。モコナコンビは楽しそうに身を寄せ合い、うふふと笑った。

ソ「さくら、渡すんだね」
ラ「だな」
ひ「そうだ!四月一日君」
四「はっ!はいー!」
ひ「これ、貰ってくれる?」
四「こっ!こここここっ!これは!チョッ!チョチョ!」
ひ「チョコレート」
四「!」

四月一日が今日、この瞬間をどれほど待ち望んでいたか、彼の言葉にならない驚喜で分かる。素早くそれを受け取ると、何度も見て確認した。これは間違いなく、ひまわりから貰ったチョコレートだ、と。

四「貰いますー!いやっ、戴かせて下さい!」
ひ「はい。百目鬼君にも」
百「どうも」
四「っーーー!?」
ひ「モコナちゃん達にも、はい」
ソ「うわーい!」
ラ「わーい!」
四「……は、ははははは……ひまわりちゃんって優しいなぁ……」

四月一日は痛感していた。自分だけがひまわりからチョコレートを受け取れる日は、なかなか来そうにはない、と。というか、本当に来るのかさえも分からない。
今はただ、みんなと同じ義理チョコで我慢して、来年こそは……と拳を握る四月一日だった。







──体育館裏──

さくらが小狼を連れ出した先は、体育館裏だった。告白と言えば、王道とも言える場所だ。
今日は幸い、どの部活も朝練を行っていないようで、とても静かだった。その雰囲気がさらに、さくらの緊張を駆り立てる。

さ「授業前に……ごめんね」
小「いや。でも、どうしたのか?」
さ「あっ……あのね。今日、バレンタインデーでしょ?」
小「う……うん!」
さ「チョコ、作ったの。桃也兄さんに邪魔されたんだけど、お友達の雪兎さんも手伝ってくれて」
小「……」

バレンタインデーという単語を聞き、小狼の表情が明らかに強ばる。さくらはゴソゴソと紙袋の中身を探っていて、彼の異変に気づかない。
紙袋の中からは、可愛らしいリボンでラッピングされた、長方形の箱が出てきた。それを両手に持ち、さくらはおずおずと顔を上げ、小狼に向かって差し出した。

さ「小狼君……貰って……くれる?」
小「……!」

顔を上げてみて、さくらはようやく小狼の異変に気付いた。眉間の皺は深く、目を鋭く尖らせて、表情が硬い。さらに、彼は黙り込んだままで何も言葉を話さないのだ。
それを、さくらは誤解してしまった。涙目になった事を悟られぬよう、俯いた。

さ「……あ……あの……迷惑だったら……」
小「迷惑じゃない……有り難う」
さ「小狼君……!」

自分の手からチョコレートが離れていった時、さくらはようやく顔を上げて笑顔を見せた。小狼は、チョコレートを凝視したまま何やら考え込んでいる様子。チョコレートを渡した側からすると、返事を考えてくれていると思うのが妥当だ。だから、さくらは逸る気持ちを抑えて小狼を見つめた。

小「…………」
さ「…………」

沈黙の後、小狼は顔を上げた。決意を宿した凛とした瞳に、さくらの鼓動は大きく打った。

小「……だから……おれも戦う!」
さ「……え?」

彼の口から出た言葉はさくらが予想だにしなかった言葉で、思わず出た間抜けな声と共にさくらは目を点にして首を傾げた。小狼はチョコレートを片手に、さらに片手で堅く拳を作って、決意を言い放つ。

小「命懸けの戦いに、一人で行かせるなんて出来ない!おれも一緒に、バレンタインデーを戦うよ!レン先生みたいに、おれはさくらさんを守る!」
さ「……えっ!?」
小「色んな所を旅している間に、武術も習ったし。中でも、星史郎さんっていう人から教わった武術は、実践的だったんだ。戦いが2月14日限定なら、何とかなるかもしれない」
さ「……うーん……小狼君?」

どうも話が噛み合わない。さくらの緊張も、今やどこかへ流れ去ってしまった。小狼は、どうやって敵と戦うか、武器はチョコレートだけでいいのか、などさくらに意見をぶつけている。どのタイミング口を開くべきか、さくらは様子を伺っていた。

そんな二人の様子を、体育教官室の窓から覗き見ている、四人の先生達の姿があった。侑子先生に至っては、望遠鏡までもを持ち出している始末だ。

侑「微笑ましいわねぇ」
黒「望遠鏡で覗き見するな!悪趣味だ!」
侑「覗き見じゃないわ。見守ってるのよ」

そうは言うが、侑子先生の目つきは見守っているとはお世辞にも言い難く、明らかに二人の動向を楽しんでいた。
はい、と侑子先生が望遠鏡を渡すと、続いてはファイ先生がそれを覗き込んだ。そこに映っている限りでは、小狼は未だ喋り続けていて、さくらは困り果てていた。思わず、笑みが漏れてしまう。

フ「ほんと可愛いですね。でもって、やっぱり勘違いしてるみたいですよ。小狼君」
黒「おまえも覗くな!」
レ「私にも見せてくださいー!」
フ「はい。いいよー」
黒「便乗するな!」
フ「黒りん先生も見るー?」
レ「急かさなくても、ちゃんと順番に回しますから」
黒「見るかっ!」

はあっ、と腕を組んで黒鋼先生は溜息をついた。その傍らでは、今度はレン先生が望遠鏡を覗き込んでいる。肉眼で見える限り、小狼がいかに必死かが離れたこの場所からでも分かる。
黒鋼先生は、さらに大きな溜息を吐いた。

黒「あんな真面目な奴を騙しやがって」
レ「私、騙したつもりないんだけどなぁ……言い方が悪かったのかも」
侑「あら。自分で正解に辿り着いてこそ、理解が深まるってものよ」
フ「それに、教えてくれるのがさくらちゃんなら……喜びも一入、二入」
侑「ねー」
フ「ねー」

と、侑子先生とファイ先生は顔を見合わせ、悪戯っ子のように笑った。元はと言えば、全ての現況はこの二人なのだ。小狼がバレンタインデーの事を誤解していると知りつつ、さらに歪曲した情報を教えたのだから。
レン先生と黒鋼先生は、生き生きしている二人から顔を背け、ぼそりと呟いた。

レ「二人とも、真っ黒ですね……」
黒「ありゃあ……悪魔と魔女だ」
侑「何か言った?二人とも」
フ「黒りん先生が、悪魔と魔女って言いました。レンレン先生は腹黒いってー」
黒「あ?」
レ「ちょっと!」
フ「告げ口しちゃったぁ。あははっ」
侑「黒鋼先生のお仕置きは、後で考えましょう。レン先生はどうする?」
フ「じゃー、来週頭にある化学実験の補佐をお願いしようかなー」
レ「えぇえっ!?私この前もやったばかりなのに!」
黒「ちょっと待て、こらぁ!」

ぎゃあぎゃあと、ファイ先生を責め立てる黒鋼先生とレン先生。そんな三人の輪から外れて、侑子先生はもう一度望遠鏡を覗き込んだ。レンズ越しの光景に、思わず笑みが零れる。

侑「堀鐔学園、今日も平和ね」

そこにいた二人の頬は、真っ赤だった。小狼の頬までもが赤いのは、さくらからバレンタインデーの真実を知った事を意味している。鈍い彼でも、直接説明されればいくらなんでも理解する。でも、小狼は恥ずかしそうにしていながらも、とても嬉しそうだった。

これから、二人は始まっていくのだ。2月14日、それは二人にとって忘れがたい一生の記念日。





──END──

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