3.12月25日にドッキドキ!


──カフェ──

イリスが連れてこられたのは、学園内に多数あるカフェのうちの一つだった。ちょうど授業の時間帯だからか、生徒はもちろん教師も誰一人としておらず、誰もいないテラス席に二人で腰掛けた。顔なじみのカフェのオーナーからメニュー表を受け取り、広げる。

レ「好きなの頼んで良いよ。話、聞いてくれる代わりにおごるから。たぶん長くなるし」
イ「ワタシ、コーヒー」
レ「私は……グレープフルーツジュースにしようかな」

珍しい、とイリスは数回瞬いた。レンのことだから、大好きな紅茶の類か、甘いジュースを頼むとばかり思っていたのに。「それより、何でトイレなんかで、考えての」「え、うん……なんか、トイレって落ち着かない?」「ベツに」
話が本題へと入る前に、目の前にコーヒーとグレープフルーツジュースがコトリと置かれた。イリスは、角砂糖が入った器を視界の外へと退かし、ミルクも入れずに唇に縁をつけてカップを傾けた。歯磨きをしたばかりだからか、口の中に妙な味が広がった。

イ「で、どうしたの?」
レ「あの、ね。その、あの、えっと……」
イ「だから、なに?」

なにもせずに無駄に過ごす時間を嫌うイリスは、なかなか話し出そうとしないレンをじとりと睨んだ。彼女の性格は、双子の姉であるレンが一番良く知っている。
ストローを使ってグラスの中身をくるくる回していたり、ストローを甘噛みしたりしていたレンだが、覚悟を決めたように顔を上げた。

レ「あのね。生理が、こないの」

微かに眉を上げて、イリスはカップを置いた。正面に座るレンを凝視する。いつものような、惚気ともとれる愚痴ではない。本人は至って真面目な顔つきだし、内容だって冗談に出来ない真剣な話だ。いつもは冷たくあしらってばかりのイリスも、さすがに真剣に耳を傾けた。

イ「いつから?」
レ「えっと…最後に来たのが10月かな?」
イ「……」
レ「最初は周期が狂っただけって思ったんだけど、最近食欲ないし、なんか熱っぽい日もあるし、たまに吐き気もするし……」
イ「それ、完璧に、黒じゃない?」
レ「……かなぁ?」

レンは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。あーとか、うーとか、唸るレンとは対照的に、イリスは至って冷静だった。
ファイとレンの関係を考えるに、なにも問題はないではないか。良い機会だし結婚してしまえ、むしろしてくれ。そうすれば二人とも少しは落ち着くだろう。
このイリスの心の呟きは、二人の関係を知る学園中の人たちの心中を代表したものだろう。

イ「ファイさんは、なんて?」
レ「……ファイには言ってない」
イ「え?」
レ「なんか、言うの、怖い」
イ「どうして?責任、とってもらえば、いいじゃナイ」
レ「いや、あの、でも、ファイはちゃんと避妊してくれてるし」
イ「100パーセントの避妊なんて、ナイのよ」
レ「それは、そう、だけど」
イ「まさか、ファイさんの、子じゃ、ないトカ?」
レ「それはあり得ない。絶対に。そういう意味じゃなくて……」

あらそうですか、浮気などあり得ないのですね、相変わらずお熱いことで。
ならばどうしたものかと、イリスはレンをじっと見つめた。同じ色をした薄紅色の瞳には、見る見るうちに滲んでいった。

レ「ファイ、好きとかはたくさん言ってくれるけど、よく考えたら結婚とか将来のこととか、話したこと、ないの」
イ「……確かに、結婚願望とか、聞いたことはないケド」
レ「でしょう?だから、言うのが怖い。おろせって言われたらどうしようとか、別れるって言われたらどうしようとか、そんなことばかり考えちゃう。それに」
イ「それに?」
レ「ファイ、子供あんまり好きじゃなさそうだったし」
イ「……でも、迷ってる間にも、子供は、成長、するんだカラ」
レ「うん……まずは病院に行って確かめてみる」
イ「ワタシ、付き合う?」
レ「有り難う、イリス」

「次は授業だから行くね、お会計済ませとくから」と、レンは弱々しく笑って立ち上がった。遠くなっていく後ろ姿は、距離が離れていくからなどではなく、本当にとても小さく見えた。
桃色が揺れるそれが完全に見えなくなったとき、イリスは足を組み直し、冷えたコーヒーに口をつけた。

イ「で、そこで、立ち聞きしてるのは、誰?」

イリスの言葉を合図に、コツ、響いた靴の音は二人分。先ほどまでレンが座っていた場所には大きな黒いジャージを着た人物が、もう一つ空いていた席には白いシェフの服を着た人物が腰掛けた。黒鋼とユゥイだ。

黒「悪ぃ」
ユ「二人の姿が見えたから声をかけようとしたんだけど、話の内容が聞こえてきたら固まっちゃって」
イ「それより、聞いてたら、分かるでしょう?アナタの、お兄さん、どういうつもり?」
ユ「うーん」

ふむ、と顎に手を当てて、ユゥイはしばらく考え込んだ。レンがほとんど飲まなかったグレープフルーツジュースの氷が溶けて、カランと音を立てた。

イ「ファイさん、気付いてると、思いマス?」
ユ「どうだろう。最近、レンさんの調子悪いみたいって心配はしてたみたいだけど」
イ「そう、デスか」
黒「確かに、レンが言ったことは当たってるかもな」
イ「え?」
ユ「ファイの昔の恋愛を知ってる?」
イ「来る者拒まず、去る者追わず?」
黒「ああ。レンと付き合いだしてからはどうか知らんが、確かに昔は結婚願望がないと言ってた」

それに、とユゥイは続けた。

ユ「ボクたちの両親は、生まれたばかりのボク達を孤児院の前に捨てた。だから、自分は子供を欲しくないって、ファイから聞いたことがあるよ」
イ「……」
ユ「こればかりは、周りがどうこう言える問題じゃないけど、でも」
イ「……レン、あんな気持ちで、誕生日、迎えるの?」
黒「……だがなぁ」
イ「?」
ユ「そう心配することでもないかもよ?」

どういうことか、黒鋼とユゥイは顔を合わせてニヤニヤと笑っているではないか。なんだこの男たちは、揃いも揃って不謹慎ではないか。
さすがのイリスも眉をつり上げて立ち上がり、怒りの感情を出そうとしたが、ユゥイに耳打ちされた言葉にきょとんと目を見開き、静かに腰を下ろした。額に手を当ててこれ見よがしに溜息を吐きながらも、二人と同じように口角が上がってしまう。

12月25日まで、あと一週間を切っていた。





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