6.恋の悩みにドッキドキ!


〜ユゥイ side〜

食事にはイリスさんが行きたいと言っていた料亭を選んだ。まったく、初めて二人きりで出かけるというのに容赦のない人だ。あ、容赦がないというのは金銭面的な意味でね。
と言いつつ、デートの約束を取り付けたその日に予約を入れたあたり、ボク自身本当に嬉しかったんだなぁと思う。

ボクが選んだお店は結構な有名店で予約が取れるか不安だったが、ちょうど一組キャンセルが出たらしくそこに滑り込む形になった。
当日、通された部屋は中庭が見える個室だった。足をゆったりと伸ばせる掘り炬燵式の部屋で、正直、助かったと胸を撫で下ろした。未だに正座は苦手なのだ。
日本食のマナーも不安だったが、事前に調べておいたので何とか恥をかかずに済んだ。イリスさんはというと、行きたいと自分から言うだけあって、テーブルマナーは完璧だった。

二人っきりになったら何を話そうか考えてはいたけれど、その場になったらうまく話せず結局は他愛もない話題に落ち着いた。主に学校の話題を話し、たまに共通の知り合いの話や、共通の趣味についてなんかも盛り上がった。
アーチェリーをしていたので弓道に興味があると言ったときのイリスさんの食いつき具合は、よかった。日本文化に興味があるらしい彼女はそう言った話題になると口数が多くなる。近々、一緒に弓道部を訪問してみようという約束を取り付けたとき、ボクは内心ガッツポーズをとった。
始終そんな話題ばかりを話し、結局、この前の件については何も話せないままだった。

店を出たら空にはぽつぽつと星が浮かんでいた。
これからどうしようかという話になり、イリスさんが「綺麗な夜景が見たい」と言ったので、少し歩いたところにある夜景スポットを訪れた。目の前には光で飾られたビルが立ち並び、その前を流れる川に光が反射して、都会の真ん中に幻想的な景色を作り出している。
手すりに身を委ね寄り添いながら、ボク達は景色を眺めた。周りは恋人達ばかりだ。ボク達も、端から見たらそう見えるんだろうな。

「ユゥイさん。今日はご馳走様でした。素敵なお店に、連れて行ってくださって、楽しかったデス」
「ううん。こちらこそ楽しかったよ。来てくれて有り難う」
「煮物がすごくおいしかったデス。ちょうどいい味の濃さで、しっかり味が染み込んでいて」
「そうだね」

と言いつつ、緊張していたりマナーに気をとられていたりで味はよく覚えていないのが本音だったりする。

「ユゥイさん。なにか、お礼、させてくだサイ」
「お礼?いいよ、そんなの。ボクも楽しかったわけだし」
「それじゃあ、ワタシの気が、おさまりまセン。お料理ご馳走してくれたのと。ここを教えてくれたお礼、二つまでお願い聞きますよ?」
「お願いね……じゃあ、あれ」

あれ、と言ってボクが指差したのは観覧車だった。川沿いに立つ観覧車はこれまた有名で、夜景を見ながら乗れるということで恋人達に結構な人気があるらしい。

「あれに一緒に乗ってくれる?」
「……いいデスよ」

イリスさんの笑顔が若干強張っているような気がしたのは気のせいだろうか。どうかしたの、と問う前にイリスさんが観覧車に向かって歩き出したので、急いでボクもその後を追った。

二人を乗せた観覧車がゆっくりと地上から離れていく。一周するのに15分ほどかかるらしい。
その貴重な時間に少しでも距離を縮められたら、と思い口を開こうとしても、正面に座るイリスさんがなぜか不機嫌そうに口を真一文字に結んでいたので、なかなか言葉を発せずにいた。さっきまで上機嫌だったのに、ボクは何かしてしまったのだろうか。気まずい沈黙が痛い。

「……」
「……」
「……あ。見て。あのビル、ライトアップしてあって綺麗だよ」
「そうデスね」

イリスさんはちらりと窓の外に目を移しただけで、また視線を自分の足元へと戻してしまった。本当に、一体どうしたのだろうか。綺麗な夜景を見たいと言ったり願い事を聞くと言ったのは彼女なのに、何か気に入らないことでも……ん?イリスさんの手が、若干震えてる?
……まさか。

「イリスさん。もしかして、高いところ苦手だったりする……?」
「……」

この無言は肯定ととって良いだろう。今日の中で一番計算外の出来事だった。甘いものが苦手という以外に、他にもイリスさんに苦手なものがあったなんて。
びっくりしたのと同時に、悪いことをしてしまったなという思いが強くなった。イリスさんの性格的に、自分から「高いところが怖い」とは言わないだろう。乗る前に確認すればよかった。

「ごめんね。高いところ大丈夫か確認すればよかった」
「ユゥイさん」
「これで少しは気がまぎれる?」

なるべく揺らさないように席を立ち、イリスさんの隣に移動して、彼女の右手をぎゅっと握った。細くて綺麗な指だけど、手自体は意外と小さかった。イリスさんは目を見開きながらボクを見上げると、不足そうに眉をひそめた。

「なに、笑ってるん、デスか」
「え?ボク、笑ってた?」
「というか、にやけてマシた」
「いや、ごめんごめん。なんかね、嬉しかったんだよ。イリスさんって一見完璧に見えるけど、こういう女の子らしい苦手なものもあったんだね」
「はぁ……やっぱり、乗らなければよかった」
「ボクは嬉しいよ。怖がってるイリスさん、可愛いし」
「性格悪い」
「お互い様」
「まぁ、ね。本当に、初めて会ったときと印象ががらりと変わりマシた」
「同じことをそのまま言わせてもらうよ」

反対側の手を口元に持っていき、イリスさんはくすくすと笑った。そこからのボクは、考えるよりも先に行動してしまっていた。
反対側の手も自分のそれで握り締め、驚いて顔を上げた彼女の唇に自分のそれを重ねた。抵抗をされなかったのが、嬉しいようで、哀しいようで、胸の奥がぎゅっと縮まった気がした。
いつの間にかお互い絡めあっていた舌を離せば二人の間を銀糸が渡り、プツリと切れた。
イリスさんは何の感情も読み取れないような、そんな目をしていた。
もう、後には引き返せない。それならば、今の段階から抜け出そうと思った。

「イリスさん」
「何デスか?」
「もう一つのお願い、言ってもいい?」
「ドウゾ」
「今夜はずっと一緒にいたい」
「いいデスよ」

艶を孕んだ彼女に瞳が「お前も他の男と同じか」と言っているような気がした。
今はそう思われても仕方がないかもしれない。でも、この気持ちが本物だということは絶対に証明してみせるから。もう一度彼女にキスをしながら、そう、誓った。







〜イリス side〜

観覧車を降りたワタシ達は近くにあったシティホテルに入った。シャワーも浴びず、会話もろくにしないまま、部屋に入るなりインザベッド。というよりもワタシが、ベッドに腰を下ろして一息ついたユゥイさんを押し倒し、その上に馬乗りになっただけだったりする。
見せ付けるようにして彼の目の前で服を脱ぎ、唖然とする彼のシャツのボタンをはずし、鎖骨辺りをきつく吸う。チリッとした痛みでユゥイさんは我に返ったみたいだけど、残念ながらペースはワタシが掴んでいた。

それから十数分後、ベッドに寝転びながら髪の先を指に巻きつけて遊ぶワタシの隣で、ユゥイさんは上半身を起こしたまま深い溜息をついていた。

「はぁ……」
「アラ。せっかく、ワタシと寝れたのに、溜息デスか」
「まさか開始数分でイかされた挙句、その後すぐに上に乗ってガンガン攻められるなんて想像すらしてなかったから、自分が情けないというかなんと言うか」
「ふふ。男の人なのに、高い声を出して喘いで、可愛かったデスよ?」
「嬉しくないよ。こんなに早くイくなんて、ほんと情けない」
「でも、よかったならいいでしょ?」
「よかったけど、よくないよ。イリスさん、イってないでしょ」

ふと、真剣な顔をしたユゥイさんが覆いかぶさってキスをしてきた。観覧車の中でされたキスとは少しだけ違う。ただ情欲に任せたキスじゃなくて、愛撫のような優しい、キス。
唇同士が離れてからも、ユゥイさんはキスを止めなかった。前髪を横に流して額に、横の髪を耳にかけてこめかみに頬に、一つ一つ丁寧に唇を落としていく。
そんな彼の行動に、ワタシは少なからず戸惑っていた。こんな風に、慈しむように触れられることにはあまり慣れていない。

「今度はボクの番ね」
「ユゥイさん」
「どれだけボクがイリスさんのことを本気か、他の男と違うのか、教えてあげるよ」

色っぽい低い声と不敵な笑みに、不覚にも背筋がゾクゾクと鳥肌だったのが分かった。
それから、ユゥイさんはどこまでも優しくワタシに触れた。時間をかけて、ゆっくり、ワタシを抱いた。
普段なら自分に跡をつけられることを嫌うのに、柔らかい愛撫に溺れたワタシは、それすら気にならずただ彼から与えられる快楽に夢中になった。
してあげるのと、してもらうのとでは、こうも違ったっけ、と頭の片隅でぼんやり思う。それとも、相手がユゥイさんだから、か。なんて、普段のワタシでは決して思わないようなことまで思ってしまった。

お互いに余裕がなかったんだと思う。再び体を重ねたとき、ユゥイさんは最初からワタシの奥を抉るように貪ってきた。でも、それを乱暴と感じられなかったのは、彼がぴったり体を寄せてきてキスをしながら、ワタシの手をぎゅっと握ってきた、から。
今まで感じたことのない感覚に襲われた。爪先にぎゅっと力が入り、背筋が仰け反り、目の前が真っ白になる。
その直後、どうやら彼も果てたようで、気付いたらワタシに背を向けながら吐き出したものの処理をしていた。

未だに意識がぼんやりしていたけど、ユゥイさんがベッドに戻ってきたのは分かった。隣のベッドに移動して眠ろう、ワタシは昔から誰かが隣にいるとよく眠れないのだ。
そうは思っても、ユゥイさんに抱きしめられるとなぜか自然と眠気が襲ってきて、もういいやとワタシは意識を手放した。
意識が消える直前に聞こえてきた「愛してる」という言葉は、聞こえない振りをした。







「おはよう」
「……おはようございマス」
「ルームサービスを頼んだから、朝食を食べてから出よう?」
「……ハイ」

シャワーを浴びた後にサンドイッチプレートとホットケーキプレートが運ばれてきて、どちらが良いかと問われたのでサンドイッチプレートを選んだ。ホットケーキは多分甘くて食べられない、から。
朝陽が射し込む明るい部屋で、向かい合って座る。今、口に運んでいるものは多分美味しいのだろうけど、あまり味がよく分からなく感じた。

結局、今朝まで二人で一つのベッドで眠ってしまっていた。誰かと一緒に眠ったのも初めてで、その前の行為でイったのも初めてで、どうしてだろうと考えることが多すぎて何も考えたくない。
そもそも、どうして、と考える前にその理由は薄々気付いていた。ワタシが眠る直前にユゥイさんが囁いた言葉と、ワタシがユゥイさんに抱こうとしている気持ちが、きっと、それだ。
人並み、いや、それ以上に恋愛ごとは経験してきた。相手に抱く感情が、遊びか本気かくらい、区別できる。ユゥイさんに抱こうとしているのは限りなく後者に近い感情だった。
だから、これ以上近づいてはいけないと思った。

「イリスさん」
「ハイ?」
「これからも、こうしてたまに会ってくれる?」
「え」
「なんか、まだ色々考えてるみたいだから、ボクの本気が伝わってないのかと思って」
「どういう、コト?」
「恋人にしてくれなんて今は言わない。恋愛を信じないって、理由がなにかあるんでしょう?」
「……」

気がつけば、ワタシはぺらぺらと何もかも話してしまっていた。
幼い少女だったころ、人の気持ちはいずれ変わってしまうと知ってから、恋愛を信じなくなった。一人の相手を想ってもいずれ別れるのなら、もう本気になるのはやめようと思った。割り切った状態で付き合う方が楽だから。傷つかなくて済むから。それに、いずれ別れる相手で付き合うなんて、気持ちも時間も無駄にするだけでしょう?
最後まで話し終えたとき、ユゥイさんは少しだけ寂しそうな顔をしていた。

「イリスさんって、本当はとても一途で純粋な人なんだね」
「純粋?ワタシが?」
「うん。本当はとても繊細で、誰よりも普通の恋愛に憧れてる人だったんだね」

ワタシ自身、そんなことを言われて驚いていた。そんなことを言う人、今までいなかったから。

「だったら、尚更だね。これからも会いたい。その他大勢の男の中の一人で良いから、傍にいさせて欲しい。これからじっくり、ボクの本気を信じてもらうから」

今、ユゥイさんがワタシを本当に好いてくれているということは分かっている。ただ、それが永遠だとは思えないだけ。いずれ気持ちが変わってしまうのが恋愛なら、ワタシはもうしたくないと思う。
でも、彼の傍は心地いい。離れがたいと思ってしまう。だから、ワタシは彼の提案に甘えて曖昧な関係を続けるのだろう。
首を縦に振った後、ワタシは冷え切ったコーヒーを喉へと押し流した。





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