4.恋の悩みにドッキドキ!


〜ユゥイ said〜

「……おい」
「はい?あ、黒鋼先生。調理実習室に来るなんて珍しいですね」
「ちょっと書類を届けに来たんだが……なんだそれは」

黒鋼先生が言う「それ」とはおそらく、この積みに積まれたキャベツの千切りの山のことだろう。一心不乱にひたすら包丁を動かしていたものだから全く気が付かなかったけれど、結構な量を切ってしまっていたようだ。
これは自分で調理をするには多すぎる量だし、学食にでも寄付しよう、そうしよう。と、一人で解決策を出した。

「キャベツの千切りですよ」
「見りゃわかる。なんでこんなことしてんだって聞いてんだよ」
「いや、昔から何かを考えるときの癖で」
「なんだ。何か悩みでもあるのか」
「ええ、まあ……ああ。聞いてくれますか?」
「え」
「聞いてくれるんですね」

そう、これは想いを告げる前に、相手に想いを悟られ、挙句の果てに玉砕した哀れな男の話。というか、本当に想定外というか予想外というかそんなことばかりだったんだよね。彼女の第一印象はとにかく高貴な人だと思ってた。知的で淑やかででも可憐で、美しさと可愛らしさを兼ねそろえた天使のような女性だと思ってた。実際に彼女は、知的でもあったし淑やかでもあったし相も変わらず美しい人に変わりはないが、その実態は魔性と呼ぶのにふさわしい内面を持っている天使というよりは女王様気質のある女性だったのだ。分かりやすく例えるならば大輪の薔薇。美しさに惹かれて近づけば鋭い棘で怪我をする。あの様子だと会っている男は星史郎先生以外にもいるのだろう。全く、本当に想定外だ。想定外といえば、ボクのこの想いも想定外だ。男をとっかえひっかえしている女性なんて知ったら、普通は好きだという想いがすっと冷めていくのに。キッパリと諦めればいいのに、どうしても彼女の存在が頭から消えない。本当、未練がましいというか女々しいよねぇ、ボク。

「はぁ。すっきりしたかも」
「それだけ勢いよく話せばすっきりするだろうよ……まあ、音楽教師の妹の話は有名だよな」
「え?そうなんですか?」
「一部の人間の間では、な。で、お前はどうしたいんだよ」
「どうしたいも何も、どうにもできないから悩んでるんじゃないですか。あの様子じゃ、本気で彼女と一対一で付き合うなんて無理ですよ。はっきりと言われましたからね。本気なら諦めてくださいって。お手軽な恋愛が好きだからって」
「お前は気持ちを伝えていないんだろう?どうして分かるんだよ」
「伝える前に見抜かれてましたよ。そのうえで言われたんです」
「それでも、お前の言葉であいつが好きだとは言ってないんだろう」
「……それは、そうです、けど」
「わざわざ日本語勉強して、自分の店まで辞めて、日本まで追っかけてきたお前の気持ちをぶつけてみろよ。土俵に立たないまま諦めてどうすんだ。それに」
「それに?」
「仮にもあの純粋バカな音楽教師の妹だろう?本当に男をとっかえひっかえするのが性に合ってるのかが俺は疑問だがな」

恋愛を信じていない。イリスさんはそう言っていた。そこに何かがあるのだろうか。今の彼女を作り出した原因が潜んでいるのだろうか。それを取り除くことが出来れば、もしかしたら、一歩進めるのかもしれない。
黒鋼先生の言うとおりだ。ボクはまだ何もアクションを起こしていない。どんな形でも良いからこの状況を変えなければ、立ち止まったまま動けないままだ。

「……黒鋼先生。ありがとう。まずは食事にでも誘っていろいろ話してみろよ」
「ああ。まったく、俺はお前ら双子の恋愛相談係じゃないんだぞ」

やれやれと言うように首を横に振りながら、でも、黒鋼先生は口の端を吊り上げるようにして笑った。







〜イリス side〜

もやもやする。この前からユゥイさんのことばかり考えている自分がイヤだ。一人の人に振り回されるなんて性に合わないのに。いつもだったら、あしらった相手のことなんて何とも思わないはずなのに。
傷つけてしまったのはワタシなのに。突き放すようなことを言ったのはワタシなのに。ワタシがこんなに気にしてしまうなんて、おかしい。

何も考えたくない。頭痛もするし、少し横になろうと思って第二保健室までやってきた……なのに。

「どうして、アナタが、いるんデスか」
「僕が校医だからですよ」
「アナタ、第一保健室担当でしょう」
「今日は第二保健室の先生が出張なんですよ。第二保健室のほうが場所的に使用頻度が高いので、一日こちらで仕事をすることになったんです」
「第二保健室の、生徒の使用頻度が高いのは、場所の問題じゃなくて、校医の問題では?」
「何か?」
「イイエ。とりあえず、ベッド一つ借りますネ」
「どうぞ」

わざわざ星史郎さんに会わないように第二まで来たのだけど、とりあえず横になれればいい。真っ白なシーツの間に潜り込んで息を吐く。ひっそりと吐いたつもりだったけど、どうやらそれは外まで聞こえていたみたいだった。

「大きな溜息ですねぇ。幸せが逃げますよ?」
「アラ。そういう、非科学的なコトを言うなんて、意外デスね」
「気休めですよ。それで、何か考え事でも?」
「アナタに、相談しても、解決しないような、気がしマス」
「これでも校医ですから、人の心のケアは出来るつもりなんですけどね」
「……」
「冗談ですから黙りこまないで下さいよ。で、ユゥイ先生のことですか?」
「……」
「今度のだんまりは肯定ですね」
「どうして」
「この前、僕が車を取りに行く時に、振り向いたらユゥイ先生と話していたでしょう?その後から少し様子がおかしかったもので」
「……」

カーテンで仕切られていてお互いの表情は見えない。カタカタと星史郎さんがパソコンを打つ音だけが聞こえる。まったく、校医とはみんなこうなのだろうか。人の心理を読み取ることに長けているのだろうか。
というか、星史郎さんだけが特別でエスパーか何か変な力を持っていそうな気がする。エスパーというよりも、むしろ黒魔術的な類のものだろうか。
ダメだ。こんなにくだらないことを考えるなんて、本格的に熱でもあるのかもしれない。

「ユゥイ先生のことを好きならそれで良いじゃないですか。この関係、僕はいつ終わらせてもいいんですよ?貴方が終わらせようとしない限りは、こちらとしても終わらせるつもりはありませんが」
「アラ。そんなに、ワタシが好き?」
「相性が良いに勝るものはありませんからねぇ」
「ワタシ、アナタとシて、イったコト、ないんデスけど」
「それは気付いていましたよ。まあ、女性は気持ちの問題もあるとは言いますよね」
「レンと同じことを言うんデスね」
「ああ。確かに、貴方のお姉さんはプラトニックなことを言いそうだ。と、話はずれましたが。好きならその人だけに男を絞ったらどうです?」
「さっきから、なんだか、言ってるコト、矛盾してません?」
「抱いている女性が他の男のことを考えるのは気に食わないだけです」
「……」

なんだかんだ言いつつ、心配してくれているんじゃないか。喉の奥で声を押し殺して笑う。こういうことを話せる相手が出来たのも、予定外だ。

「本気になりたくないんデス。本気になったって、いつか、その関係は終わるでしょう?」
「そうですかねぇ。貴方くらいの年齢になれば結婚まで行くんじゃないですか?」
「例え結婚しても、ずっと、一緒だとは限らない。浮気、不倫、離婚。いろいろ、あるでしょう?」
「そうですけど、そう考えたら誰とも一緒にはなれないですよ」
「だから、ワタシは本気の人は相手にしないんデス。気持ちがない方が、ラクだから」
「どうしてまたそんな考えを?」
「……ベツに。今まで、ワタシだって本気で人を好きになったコトくらいありマス。でも、やっぱり、人間の気持ちって不安定で、不確かで、移り変わるじゃないデスか。本気になっても、いつか、相手は離れていく。それなら、最初から、本気にならないほうが、傷つかずに済む」
「……イリスさん。貴方、やっぱりレン先生の妹ですね」
「は?」
「いや、むしろレン先生よりも純粋なのかもしれませんね」

その時、パンツのポケットに入れていた携帯が震えた。悟られないようにひっそりと取出し、開く。電話ではなくメールが一通来ていた。ユゥイさん、から、だった。
『お疲れ様。今週末とか時間あるかな?よかったらどこか食事でもいかない?』
たったそれだけの、デートのお誘いのメール。少なからず、ワタシは動揺していた。この前、あんなことを言って切り捨てたんだから、もう彼はワタシと関わらないものだと思ってた。こんな軽い女のコトなんか、一瞬で冷めて忘れてしまうものだと思ってた。
それなのに、どうして、関わりを持とうとする?

「貴方がレン先生の妹なら、ユゥイ先生もファイ先生の弟ですからね。そう簡単に諦めるとは思えませんけど。今度デートのお誘いでもあったら行ってみたらどうです?もしかしたら、気持ちが移り変わらない相手、見つかるかもしれませんよ?まあ、外れだとしても責任は取りませんけどね。その時はいつでも僕のところに戻ってきていいですよ」
「……まったく。イヤな男」
「褒め言葉としてとっておきます」

星史郎さんは笑っているんだろう。本当に、心配されているんだか引き止められているんだか、真意は読めない。恐らくどちらもなのだろう。変に善意的な言葉を並べたてられるよりも、ワタシにとっては信頼できる。
さあ、なんて返信しようかしら。数秒だけ液晶と見つめ合った後、ワタシは親指を動かした。





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