3.恋の悩みにドッキドキ!


〜レン side〜

ファイはあの女の人とどこで知り合ったんだろう。あの人はもしかして堀鐔学園関係者なんじゃないかと思ったけど、あんなに綺麗な人を学内で見たことがない。この学園がいくら広くても、あれだけ綺麗な人なら目立つはずだし……そう。すごく綺麗な人だった。黒くて艶やかな髪は真っ直ぐに伸びて、日本と外国のハーフかクォーターなのか瞳は空のように蒼かった。雪みたいに白い肌はくすみ一つなくて、ちょっと力を入れてしまえば折れてしまいそうな首筋で、セクシーだけどいやらしさは感じられなくて、すごく大人っぽい人だった。私とは正反対のような人だった。ファイってああいう人が好みだったのかな。私のことは飽きちゃったのかな。飽きちゃって浮気しちゃったから、罪悪感でいつもに増して優しいのかな。うん、ファイは優しいもんね。飽きた女にもきっと優しくしてくれてるんだよね。そもそもファイは誰にでも優しいんだった……うん。なんかすっごく腹が立ってきた。そりゃ、最近トリートメントさぼってたから髪の毛痛んできたし、アイメイクの手を抜く日もあるし、ボディケア怠るときもあるし、最近ちょっとまたプックリしてきた自覚はあるし、我が儘ばっかりで色気なんてないかもしれないけど、でも!私はファイのことが好きだから、一緒にお出かけするときはメイクやオシャレを頑張って女の子らしくしてるつもりだし、お料理や家事だって一生懸命やってるし……ファイも手伝ってくれるけど。それに、その、大きな声ではいえないけど、付き合って三年目ともなればマンネリ化してくる夜の営みも、ファイ任せにならないよう、その、あの、私なりに工夫して頑張ってる……って言ってもそんなアブノーマルなことは出来ないけど、それでも頑張ってるつもりなのに、それなのに………

「これ以上どうしろってのよ!私イリスみたいに女王様とか出来ないもんーーー!!」

勢いのままに、鍵盤に指を叩きつけた。めちゃくちゃな音がいっぱいに響く。まるで私の頭の中みたいな音だ。ぐちゃぐちゃで、格好悪くて、全然綺麗じゃない、惨めな音。

「あ、あの、レン先生……?」
「……えっ?小狼君、四月一日君、百目鬼君」
「モコナ達もいるぞ」
「モコナ達もいるよ」
「モコナ達も」

……どうしよう。かなり変なところを見られたかも。
百目鬼君は無表情だけど、小狼君と百目鬼君はぽかんと口を開いていて手に持っているプリントの束を落としかねない状況だった。モコナ達はなんだかおもしろそうにニヤニヤしているし………
と、とりあえず話を逸らさないとね。

「え、えっと、いつからいたの?」
「ちょっと前から……レン先生、修羅のごとき勢いでピアノを弾いていたんで、声をかけづらくて……」
「でも、クラスを代表してみんなの宿題を集めて持ってきたんで、渡さなきゃと思って……」
「どうぞ」
「あ、ああ!あはは、ごめんね!ちょっといらいらしちゃってさ!えーっと、確か歌詞のない曲に自分で歌詞をつけてみるって課題だったよねー……どれどれ」
「えっ!?今見るんですか!?」
「あ、四月一日君は……」
「ぎゃーっ!!!今は読まないでください恥ずかしい!」
「あはは。じゃあ小狼君……」
「ええっ!?」
「小狼君は……」

小狼君が書いてきた歌詞を目で追った。この場の話を逸らすために軽い気持ちで読み始めたんだけれど、気付けば私は歌っていた。小狼君が書いてきた歌詞にあわせて、ピアノを弾きながら歌っていた。
元々、課題の曲は私が作曲したものを生徒にコピーして配ったものだったから、歌詞と合わせて弾くことは簡単だった。

小狼君が書いてきたのはラブソングだった。一人の女の子を想って頑張る男の子の姿を書いた、最近の高校生らしい飾らない言葉のストレートな愛の歌。どこか聴いたことのあるようなフレーズが入っていたり、ちょっと間違った英文が入っていたけれど、一生懸命考えながら歌詞を書いたんだって伝わってきた。
誰のことを考えながら書いたか……なんて、聞かなくても分かってる。いいな、さくらちゃん。すごく大切にされてて。

「……終わり、かな」
「うわー、すごいな!今の、小狼が書いてきた歌詞だよな!」
「歌にするとこんな風になるんだね!すごーい!」
「小狼君の場合はね。さっきちらっと見たけど、四月一日君が書いてきた歌詞は前向きで明るい応援ソングだったから、ちょっとテンポを早く高めに弾いても良いかも」
「へぇー」
「さすがですね」
「えへへ。小狼君。すごく素敵な歌詞だったわよ。さくらちゃんに歌ってあげたら?」
「えええええっ!?」

やっぱり、図星だったみたい。小狼君は耳まで真っ赤にしちゃった。
……本当に。

「いいなぁ。さくらちゃん」
「レン先生?」

私の呟きを拾ったのは百目鬼君だった。なんというか、彼は普段からぼんやりしているように見えて周りのことをよく見ている。

「どうかしましたか?」
「ううん!なんでも……なくはないかな。ねぇ、小狼君。変なこと聞いて良い?」
「え?」
「さくらちゃんと付き合ってて、他の女の子のこと好きになりそうになったことってある?」
「いえ、ないです」
「本当?」
「はい。あり得ないです」

小狼君は本当に真っ直ぐな目をしてきっぱりと言い放った。モコナ達も「小狼に限って浮気はあり得ないな」「モテるけど、小狼はさくらしか見えてないもんね」なんて話している。そうだよね………

「だよね!小狼君に限って浮気とかそんなことないよね!さくらちゃんも、お互いラブラブだもんね!」
「ら、ラブラブなんてそんな……!」
「うふふっ!いつまでもお幸せにねっ!あ、みんなお昼休み終わっちゃうよ」
「あ、はい。失礼しました」
「またな!レン先生!」
「またね!レン先生!」
「はいはーい。またねー」
「「レン先生」」
「ん?」

音楽準備室に入ろうとしたところを、四月一日君と百目鬼君に呼び止められた。平静を装って首を傾げてみる。表情が強ばっていないと良いんだけど。

「なにがあったのかは知らないんですけど、でも、おれから見たらレン先生とファイ先生も十分ラブラブですから!」
「……あはは、そう?」
「レン先生」
「なに?百目鬼君」
「浮気の定義とか良く分からないんですけど、ファイ先生に限って絶対にありませんよ」
「……そうかなあ?」
「そうですよ!って、高校生でしかも彼女がいないおれ達が言っても何の説得力もないかもしれませんけど、もし、なにかあったんなら、ちゃんと二人で話した方がいいと思います。もしかしたら誤解とかかもしれないし……」
「……」
「って、本当にすみません!なんか訳が分からないこと言って」
「ううん。そんなことない。ありがとう、二人とも」

にっこり。最後はちゃんと笑えたはず。四月一日君と百目鬼君も、柔らかい表情で音楽室を出ていった。

そうだよね。まずは話さなくちゃ。見なかったことにするなんて私には出来ないもん。ちゃんとはっきりしなきゃ。私の気持ちをしっかり伝えて、ファイの話も全部聞こう。泣いたり怒ったりするのはそれからだ。







〜ファイ side〜

数日前から、どうもレンの様子がおかしい。話しかけても上の空みたいだし、時折泣きそうな目でオレのことを見てくる。スキンシップをとろうとしても、やんわりと拒絶されてしまう。
普段のオレなら、何があったのか何の躊躇いもなく彼女に聞いていたかもしれない。でも、昔を思い返したあの夜からオレはどうも弱っているようで、いつもはポジティブなこともネガティブに考えてしまうのだ。
もしかしたら、レンはオレと別れたがっているのではないか、って。

レンがオレに対して何らかの不信感を持っていることは見て明らかだった。今のオレだってレンに対して不安を持っている。それを埋めなければならない、とは思う。このままだとお互いすれ違いが続き、きっとダメになってしまう。
それでも、勇気が出ない。恋をするとどうしてこんなにも臆病になってしまうんだろう。もし、本当にレンが「別れよう」なんて言ったら、オレはどうすればいいんだろう。

ああ、人を好きになるって難しい。どんな幾何学を解くよりも難題に感じてしまう。人の気持ちも、この化学反応式みたいに簡単だったらいいのに。AとBが反応してCが化合される、というように決められていたらいいのに。いい歳した大人が、情けない。

「じゃあ、今日はここまでー。あ、そうそう。抜き打ちノートチェックをするから、一番後ろの人はノートを集めてきてねー」

教室中から飛んでくるブーイングを笑ってかわした。みんなそうは言うけど、たいていの子は毎回ちゃんとノートをとっているんだから。

「「ファイ先生」」
「んー?さくらちゃんにひまわりちゃん、と小龍君ー」
「ノート運び、おれ達も手伝いますよ。一人じゃ大変でしょうから」
「わー。ありがとうー」

へらり、いつものように笑う。お言葉に甘えて三人には化学準備室までノートを運んでもらうことにした。
さくらちゃんとひまわりちゃんには10冊ずつ程度で、残りをオレと小龍君で分けた。
先を歩く二人の背中を追いかけながら、オレは小龍君と並んで廊下を歩く。

「やっぱり優しいですよね、ファイ先生」
「え?」
「ノート。さりげなく、女子には少な目に持たせたり」
「えー、そうかなぁ?ふつうだと思うけどー」
「それが出来ない人もいますよ。ファイ先生、端から見ていて女の人には全体的に優しいです」
「まあ、昔は意識してそうしているときもあったけど、今はぜんっぜん自覚ないんだけどー」
「体に染み着いているんじゃないですか?ヨーロピアンはジェントルマンとも言いますし」
「うーん……」

レンにも言われたことがある。「ファイって基本、女の人に優しいよね」って。あのときは拗ねたように言われてたから、ああヤキモチなのかなぁって思って、少しだけ嬉しくなって、あまり大きく捉えていなかった。
でも、そういうのが積もりに積もって、今のレンの態度を作り出しているのだろうか。今までの女の子みたいに、誰彼構わず優しくするところが嫌だと、優しすぎて面白味がないだと、そんなことを言われて降られる日が来るのだろうか。

「……分かった。じゃあオレ、黒様先生みたいにぶっきらぼうになる」
「?優しいことが悪いことじゃないんだから、別に自分の性格を変えなくても」
「でもさぁ」
「それがファイ先生なんですから。授業中、何を悩んでいたのか知らないですけど、それが悩みなら悩む必要はないと思います」

ああ、参ったなぁ。生徒に見抜かれていたなんて、オレもまだまだだねぇ。
でも、少しだけすっきりした。全部を含めてオレはオレ。今までの女の子たちはオレと合わなかっただけ。でも、レンはオレの全部を認めて受け入れてくれるって信じてる。
だから、帰ったら全部話そう。オレが不安に思っていること、レンが不信に思っていること、一つずつ話し合って片付けていこう。
そうやって、オレ達は前に進んでいくんだ。





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