2.バレンタインデーにドッキドキ!


──中庭──

小「ごめんな。昼休みに変な話に付き合わせて」
ラ「気にするな。あむっ……小狼の弁当、美味しいし」
小「ははっ。うちの父さん、料理上手だから」

3人がきたのは、人気が少ない中庭だった。まだ2月という事もあり、いくら今日が普段より暖かいからといって、たいていの生徒は暖房の利いた室内で昼食を食べている。だから小狼達は、人が少ないだろうからと外に出る事にしたのだ。
柔らかい芝生の上に直に座り、三人は昼食をとりつつ小狼の悩みについて語った。

ソ「でも、びっくり……はむっ。小狼、バレンタインデー知らないの?」
ラ「小狼、考古学者のお父さんと色んな国を旅してたから、知ってるかと思ってた」
小「いや、聞いた事はあるんだけど。でも、おれが知ってるバレンタインデーと、この日本のバレンタインデーは違う気がするんだよ」
ソ「どんな風に?」
小「おれが知ってるバレンタインデーは、聖人の記念日なんだ」

しかし、今日さくらから聞いたバレンタインデーの知識は、小狼が知っているものとは似ても似つかないものだった。さくらが言うバレンタインデーには、どうやらチョコレートが必要らしい。
さらに、クラスの女子達までもがチョコレートの話をしているものだから、小狼は混乱する一方だったのだ。

小「おれが知ってるバレンタインデーは、チョコは関係なかったんだ」
ラ「なるほど」
ソ「それはね……」
フ「わぁー。美味しそうなお弁当食べてるー」
小「ファイ先生」

ソエルの言葉を遮ったのは、窓の開く音だった。そこから顔を出しているのは、金髪蒼眼で白衣をまとった男教師──ファイ先生だった。そう、小狼達がいる中庭は化学準備室と隣接した場所にあったのだ。
彼は目敏く小狼のお弁当を見つけると、窓枠に頬杖をついてへにゃりと笑った。

フ「オレも欲しいなー。そのだし巻き卵」
小「あ、はい。どうぞ」
フ「うわぁーい」

片手を窓枠につき、自分の体を持ち上げてファイ先生は窓から外に飛び出した。そのまま、たったっと軽やかに走って小狼の隣に腰を下ろす。よく見れば、靴も中で履く専用のもののままだった。

ソ「いけないんだー。化学の先生が窓から出てくるなんて」
ソ「化学準備室から出てきたぞ」
フ「大丈夫だよ。小狼君とモコナ達が内緒にしといてくれれば」
小「はい。内緒にします」
フ「あはは。小狼君、本当に真面目だね。じゃ!卵焼き、いっただっきまーす」

素手で卵焼きを掴み上げると、ファイ先生は口の中に放り込んだ。程良い塩辛さの中にある甘みが、口内いっぱいに広がる。ファイ先生は味を噛みしめながら飲み込むと、顔を綻ばせた。

フ「ん……美味しいー」
小「有り難うございます」

ほっとしたように、小狼も笑った。自慢の父親の料理が褒められる事は、彼自身にとっても嬉しかった。

フ「どう?この堀鐔学園は」
小「楽しいです」
フ「友達も出来たみたいだねー。同じクラスの四月一日君と百目鬼君と、よく一緒にいるし」
小「はい」
フ「あと、C組のひまわりちゃんと……さくらちゃん」
小「!」
フ「どっちも花の名前だぁ。可愛いねー」
小「……はい」

ファイ先生は意味ありげにさくらの名を出す時に間を空けて、思った通り小狼はぴくっと反応を示した。
向日葵、そして桜。花の名を持つ彼女達はそれぞれの花のように、向日葵のように大輪の笑顔を持ち、そして桜のように柔らかい優しさを持つ。それを知っているから、小狼はファイ先生の言葉に照れながらも頷いた。

その時、ファイ先生は思いだしたように目を輝かせた。

フ「オレの恋人もね、花の名前なんだよー」
小「ファイ先生の恋人?」
ソ「そっかぁ。小狼、まだ知らないんだね」
ラ「だーれだ?」
フ「ヒントは、オレと同じ堀鐔学園高等部の教師だよー」
小「えっと……」

小狼は、自分が知る先生を片っ端から思い出してみた。堀鐔学園ほどのマンモス校なら、教師数もそれなりに多い。高等部だけと限定されても、その数はかなりのものだ。
英語教師、数学教師、歴史教師、古典教師、美術教師、体育教師……
しばらく考え込んでいた小狼だが、音楽教師のある人物を思い浮かべると、ぱちんと指を鳴らした。

小「音楽教師のレン先生!確か、レンってハスの花の別名ですね」
フ「正解ー。いつもみたいに、一緒にお昼食べるはずだったんだけどねー。次の授業の準備があるらしくて、今日はバラバラなんだ」
小「そうなんですか」
フ「さくらちゃん達が入学してきた頃に付き合いだしたからー、もうすぐ1年経つかなー」
小「お付き合いされて、長いんですね」
フ「うん。惚気話はまた今度聞かせてあげるねー」
小「あはは。はい」

普段からよく喋るファイ先生だが、レン先生の話題となると口数はさらに増えた。それだけの想いを彼女に抱いているという事でもあるし、自慢したいという事でもあるのだ。
何よりも、そう話したファイ先生の表情がとても幸せそうで。胸を張って大好きだと言える存在がいる事を、小狼は少し羨ましく思えた。

フ「で、バレンタインデーが何とかって言ってたけど、どうしたの?」
小「あっ……」
フ「ごめんね。聞こえちゃった」
ソ「小狼ね、日本のバレンタインデーがよく分からないんだって」
フ「あぁ……小狼君、日本に来てまだちょっとだもんね」
小「はい。2月14日なんですよね?日本でもバレンタインデーは」
フ「そうだよ」
小「それとチョコレートは、何の関係があるんでしょう?」
フ「あはっ。そっかぁ。そうだよね。海外じゃ、チョコ関係ないもんね」

女性がチョコレートを作る風習があるのは、ほんの一部の国だけだったりする。中には、バレンタインに花を贈る国もあるのだ。

フ「よーし。ここは、あの人に教えてもらおう。黒たん先生ー」
小「えっ?」

ファイ先生が叫んだ方向に小狼が首を向ければ、ちょうど渡り廊下を、黒い短髪と紅い目が特徴的で、ジャージを着用して首から笛を下げた男教師──黒鋼先生が歩いているところだった。
彼が一部の先生や生徒から渾名で呼ばれる事は、校内でも知れ渡っている。だから小狼も今こそ別に驚かなかったが、学園にきた当初にモコナ達が黒鋼先生を渾名で呼んだ時は吃驚したものだった。
両手にストップウォッチや出席カードが入った箱を持っている黒鋼先生は、どうやら次の授業の準備中らしい。だからか、ファイ先生に呼び止められたと分かると、不機嫌そうに足を止めて首だけを中庭に向けた。

黒「あぁ!?」
ソ「黒たん先生ー」
フ「おいでおいでー」
黒「人を犬みてぇに呼ぶな!忙しいんだよ!」
フ「昼休みだよー?」
黒「準備があるんだよ。次の体育の授業の」

そう言いながらも、黒鋼先生は中庭にざくざくと入ってきた。勿論、靴は室内で履く専用のもののまま。この学校は本当に自由だなぁと、小狼は内心冷や汗をかきながら実感した。

フ「まだ時間あるでしょ?ちょっと、小狼君に教えてあげてよ」
黒「何をだよ」
フ「小狼君、日本のバレンタインデーが何か分からないんだって」
ラ「そうなんだよな、小狼?」
小「あ……はい」

黒鋼先生の機嫌の悪さを感じていた小狼だったが、知りたいという欲求の方が勝ったようだ。小狼からの問いだと分かると、黒鋼先生は真剣に考えだした。その間、約数秒。

黒「ありゃ……菓子メーカーの陰謀だ」
小「は?」
黒「行くぞ。俺は忙しいんだ」
小「あ……有り難うございました。黒鋼先生」
フ「有り難う。くーろさま」
黒「黒鋼だ!」

ファイ先生に一言怒鳴るのも忘れずに、黒鋼先生は足早にその場を立ち去った。小狼は黒鋼先生の言った事を真に受けて、眉間に皺を作っている。

小「……そんなに大変な事だったんですね」
ソ「それは……」
ラ「違っ……」


否定しようとしたモコナコンビの口を封じた、二つの手の持ち主は。

ソ「んー!むー!」
ラ「んー!むー!」
フ「あはは。はははっ」

勿論、ファイ先生だ。まるで新しい悪戯を思いついた子供のように、楽しく笑っている。どうやら、小狼に真実を伝える気はないようで、傍観したままこれからの展開を楽しむ気らしい。
ちょうどその時、鐘の音に似せたチャイムが校内に鳴り響いた。

フ「あらら……お昼休み、終わっちゃうねー。予鈴だぁ」
小「教室に戻らないと。ファイ先生、有り難うございました」
フ「いえいえ。お役に立てなくて」
小「先に教室に戻ります。おれ、日直なんで」
フ「はーい。お弁当箱は、モコナ達と片付けておくよ」
小「よろしくお願いします。じゃ!」
フ「じゃーねー」

片手でモコナ達の口を押さえたまま、教室に駆け戻る小狼に手を振るファイ先生。彼の姿が見えなくなった事を確認すると、唸るモコナ達をようやく解放しようと、手の力を緩めた。

ソ「ぱあっ。苦しかったー」
ラ「ぱあっ。苦しかったー」
フ「あはは。ごめんねー」
ソ「小狼……きっと、バレンタインデーの事、誤解しちゃったよ?」
ラ「陰謀とかな!」
フ「だって、面白そうだったんだもーん」
ソ「……そうだね!」
ラ「……そうだな」
ソ「面白ければいっか!」
ラ「面白ければいいな!」
ソ「ねー」
ラ「ねー」
フ「ねー」

憐れ、小狼。相談する相手を間違えたなど、知る訳もないだろう。真面目で素直な彼が、モコナ達やファイ先生、黒鋼先生の言葉を疑う訳もない。
彼の脳内では、バレンタインデー=チョコレート=陰謀、という奇妙な等式が成り立ったままだった。





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