3.春休みにドッキドキ!


──化学準備室──

本日の授業も全て終わり、部活動を行っている生徒達と、先生達しか残っていない放課後。
この化学準備室には、同じ顔をした人物が二人いた。部屋の主であるファイ先生と、その弟であるユゥイ先生の、双子だ。ユゥイ先生は、なにやらファイ先生に成績のまとめ方を教わっているらしく、彼のパソコン画面を見つめて時折頷いている。
全ての説明を終えると、ファイ先生はパソコンを閉じた。

ユ「有り難う、ファイ」
フ「どういたしまして。参考になればいいんだけどー」
ユ「いや、本当に助かったよ。内申点を含めた総合点の出し方がよく分からなくて」
フ「オレも始めはそうだったよー」
ユ「それにしてもファイ、ちゃんと先生してるんだねぇ」
フ「意外ー?」
ユ「いや、ファイは飄々としてても、昔からしっかりしてたから」
フ「そうかなぁ」
ユ「そうだよ。ボクが欲しがるものは譲ってくれたり、良いお兄さんだったし」
フ「……」

ユゥイ先生の言葉に、ファイ先生は何か言いたげに黙った。細い眉をひそめて、目を伏せる。そんな彼の変化を知ってか知らずか、ユゥイ先生は話を続けた。

ユ「そういえば、レン先生に怒られたでしょう」
フ「……ああ。お昼の放送の後にね。オレ、何かマズい事言ったかなー?」
ユ「というより、全校生徒の前であそこまで赤裸々に話さないよ。普通」
フ「オレは別にー。レンレン先生、照れ屋だからー」
ユ「あはは。放送中、顔真っ赤にしてぽかんとしてて、レン先生可愛かったよ」

可愛い、自分の恋人を褒められれば、普通は嬉しいのだと思う。しかし、ユゥイ先生から言われると、ファイ先生にとってそれは不安要素でしかなかった。
二人は双子、いくら違う人間でも、根本的となる部分は似ているのだから。ファイ先生は静かに口を開いた。

フ「……ダメだからね、ユゥイ」
ユ「何が?」
フ「オレ達は双子で、昔から好みがよく似てた。好きなお菓子も、玩具も同じだった」
ユ「そうだね」
フ「双子とはいえオレが兄だから、昔から何でもユゥイに譲ってきた。残ったお菓子も、一つしかない玩具も」
ユ「何が言いたいのかな?」
フ「元々、オレは何かに執着する事がなかったんだ。だから、簡単に手放せた。でも……譲れないものが出来た」

簡単に手に入るから、簡単に手放してこれた。執着心、独占欲、嫉妬心。そう言った感情が、元々ファイ先生には乏しかったのだ。
けど、今は違う。手放すつもりなど毛頭ない、大切なものが出来たから。誰かの名前を口にするだけで、強くなる想いがある事を、初めて知った。

フ「レンだけは譲らない」

鋭い蒼と、穏やかな蒼が、交錯する。ああ、変わったな、とユゥイ先生は兄を見て苦笑した。こんなに感情をむき出しにする姿を、今まで見た事がないと言ってもいい。いつだって兄は、へにゃりと笑っていたのだから。

ユ「レン先生も凄いねぇ。あのファイを、ここまで本気にさせるなんて」
フ「……ユゥイ」
ユ「大丈夫だよ。そんなに警戒しなくても。ボクにも好きな人くらいいるから」
フ「……誰なの?」
ユ「永遠に、手が届かない人」

そう言って、ユゥイ先生が諦めたように笑うから、ファイ先生の不安心は拡大した。手が届かない人、それがどんな意味を含んでいるのかはわからない。ただ、ユゥイ先生の想い人は、遠いところにいる人なのか、それとも既に他の誰かのものなのか、ファイ先生にはそれくらいしか想像出来なかった。

ユ「あ、ボクちょっと用事があったんだ。じゃあ、有り難う。ファイ」
フ「うん……」

胸の奥に眠るもやもやは消えないまま、ユゥイ先生を送り出すと、ファイ先生は薬品棚の整理を始めた。古い薬品は廃液入れに流し込み、新しいものと取り替える。実験器具も、破損していないか、汚れが酷く使いづらいものはないか、チェックを欠かさない。

と、その時。ピアノの音が、彼の耳に届いた。
カレンダーに目をやれば、今日は週末だったと今更思い出す。

フ(そういえば、今日は金曜日。レンレン先生が弾き語って帰る日だ)

ファイ先生は急いで整理を終わらせると、化学準備室に鍵をかけて音楽室に向かった。
毎週金曜は、音楽系統の部活は休みなのだ。その休みの日に、歌と楽器の演奏が好きなレン先生は、帰る前に一曲弾き語る。その時間を共に過ごすのが、ファイ先生のお気に入りだった。
音楽室までは距離がある、自然と彼の足も速まった。

前奏が終わって歌が混じったところで、ファイ先生は妙な感覚に囚われた。ピアノの音がいつもと違う、と。綺麗な音だけど、歌にピアノがついて行けていない気がしたのだ。

その理由は、すぐに理解する事が出来た。ゆっくりと、音楽室の扉を開ける。その室内にいる人影を見て、ファイ先生は目を見開いた。

フ「え……」

開放された窓から拭く風が、カーテンを揺らす。赤に染まる音楽室にいた人影は、二つ。唄っているレン先生と、その傍らでピアノを弾くユゥイ先生。

いつかこんな日が来るのではないかと、ファイ先生自身予想していた。ユゥイ先生がピアノを習っていた事実は、兄である自分が一番良く知っている。それを切欠に、二人が共演してもおかしくないのだから。
それでも、ファイ先生は言いようのない感覚に囚われた。今のあの二人の中に自分は入っていけない、と。

レ「ユゥイ先生、ピアノお上手ですね」
ユ「有り難う。レン先生の歌も相変わらず綺麗でした」
レ「有り難うございます」
ユ「でも、しばらく弾かないと指がついて行かないな」
レ「あー、分かります」
ユ「たまには弾かないとね。また、弾きにきても良いかな?」
レ「はい。勿論」

演奏が終わった後の、二人だけの空間。楽しそうなレン先生と、柔らかい眼差しで彼女を見下ろすユゥイ先生。まるで、鈍器で頭を殴られたような感覚だった。
レン先生を見つめるユゥイ先生の表情が、自分のそれと酷似していて。嫉妬心以上に、疎外感がファイ先生を襲った。

ファイ先生は、二人に声をかける事もなく、足早に音楽室前を立ち去った。夕日のように赤く激しい、やり場のない感情を抱えて。







──職員宿舎 ファイ&レン宅──

夜も8時を過ぎた頃。夕食後の食器洗い、風呂を済ませたファイとレンは、二人掛けのソファーでくつろいでいた。
明日は土曜日、待ちに待った休日だ。たまには夜更かししても悪くない。今夜は前もって借りていたDVDを、全て見通すつもりだった。

アクション映画では、迫力ある映像に二人して食い入るように見てみたり。ホラー映画では、もちろんこれはレンを怖がらせる目的でファイが借りたのだが、案の定涙目になって手を握ってくる彼女に彼は悦に入ったり。
そして、レンが見たがっていた恋愛映画を見終えた時、時刻は午前0時を回っていた。まだ眠気が訪れない二人は、他愛もない談笑をして過ごしていた。

レ「そういえば」
フ「なにー?」
レ「今日は音楽室、来なかったね」

本人に自覚はないが、レンの言葉はファイの胸に重くのしかかった。話を振られれば、思い出してしまう。夕焼け色に染まった音楽室で、笑い合っていた二人を。
沈黙したファイをよそに、レンは話を続ける。

レ「金曜日の音楽系の部活がない放課後に、私が一曲弾いて帰る時。いつもはファイも来るのに今日は来なかったから、どうしたのかなって思って」
フ「……だって、さぁ」
レ「え?」
フ「なんだか、入っていけなくて」

いつもより低い声のトーンの理由が、最初レンにはわからなかった。今日の放課後、いつもと何が違っていた?
自分に問いかければ、答えは自然と出てきた。

レ「ユゥイ先生の事?見てたの?」
フ「うん。すぐ近くまで来たんだけど、なんか……入れなかった」
レ「どうして」
フ「……不安、なんだ」
レ「不安?」
フ「オレとユゥイはよく似てるから、もしずっと居たらユゥイを好きになるんじゃないかって」
レ「………」
フ「怖くて、笑ってる二人を見たくなくて……逃げ出しちゃいましたー」

最後、無理に笑おうとしたのは、いざという時、自分が傷つかない為の防御法だったのだろうか。情けない弱音を吐いてしまった自分を誤魔化す為の術なのだろうか。
反対に、次に声のトーンを落としたのはレンだった。

レ「私だって、怖い、よ」
フ「え?」
レ「もし……見た目が私とそっくりで、でも私と違って大人っぽくて、頭も運動神経も良い、そんな人が現れたら、ファイはそっちに行っちゃうかなって」
フ「……レンレン」
レ「少し、怖い」

伏し目がちにそう呟いて、ファイの手をぎゅっと握りしめた。
互いが互いを想う余りに、生じていた不安。こうして吐き出すまでは、二人とも自分だけが悩んでいると思っていた。
でも、それは杞憂だとわかったから、顔を上げたレンの表情はどこか嬉しそうだった。

レ「でもね、今のファイの本音を聞いたら、大丈夫って思えた」
フ「え?」
レ「お互いがそんなに不安がるって事は、お互いを大好きって事だもの。だから、どんな人が現れても、大丈夫よ。ファイも私と同じ気持ちだって分かったから」
フ「……そうだねー」

へにゃりと、ファイもようやく笑顔を浮かべて、レンを強く抱きしめた。今、自身で感じられる、この温もりを信じていれば、迷う事などないから。

こちこちこち、時計の針の音がやけに大きく聞こえるようだった。ファイの熱い息が、首筋にかかり、レンはぴくりと体を揺らせた。金の髪に指を絡ませ、頭を抱き抱えるようにして首筋への愛撫に耐える。
ファイの手が、ルームウェアをまさぐり中に入ろうとした、その時。

ローテーブルに置かれていた二つの携帯のうち、一つが前触れもなく鳴り出した。早く出ろと言わんばかりに、ライトが光る。なかなか止まない着信音は、それが電話である事を示していた。
電話に出ようと、ファイの体を押すレンを、彼はソファーに縫いつけようとする。

レ「ごめん。私の」
フ「後にしようよ」
レ「これ、電話みたいだから。ごめんね」
フ「ちぇー」
レ「……あとから、ファイの好きなようにして良いから」

普段なら絶対言わないよう台詞に、固まるファイ。そんな彼の頬にキスを一つ送り、レンは彼の下から抜け出した。後からが大変かもしれないと多少後悔したが、もう言い戻しは出来なかった。

熱を帯びる頬を片手で押さえて、もう片手で携帯を手に取る。背面ディスプレイに表示されている名前を見て、レンは目を見開いた。足早にベランダに出ると、春先とはいえまだ冷える夜風が、レンの赤い頬を撫でた。

レ「Hello」
?『Len?』
レ「Yes」
?『Is Japan night?I'm sorry late at night』
レ「Don't mind it」

電話相手は、綺麗な英語を操る、落ち着いた声の女性だった。レンは嬉しそうな、しかしどこか戸惑いを含んでいるような、そんな表情をしている。良く聞いていたはずの声なのに、全然知らない者のように思えて仕方ない。
次に女性が発する言葉で、レンはさらに驚愕する事となった。

?『I will visit Japan soon』







──職員宿舎 ユゥイ宅──

レンが電話をしているのと同時刻、ユゥイは職員宿舎の自室で一人酒を飲んでいた。彼のお気に入りの赤ワインが、グラス内で波紋を作る。それに映る彼の顔は、どこか憂いた表情をしていた。

ユ「もう1年以上の片思い、かぁ」

ぽつりと呟いた言葉は、静かすぎるこの部屋にやけに響き、薄暗い闇に溶けるように消えた。

ユ「女々しいなぁ……いい加減、諦めればいいんだ……名前も知らない人の事なんて」

名前すら知らない、永遠に手が届かない女性。放課後に、ファイに話してしまった人物を、脳裏に思い浮かんで瞳を閉じる。
邂逅から1年経った今でも、鮮やかに思い浮かばせる事が出来た。肩まで伸びた桃色の柔らかそうな巻き髪に、薄紅色の知的な瞳。大人びた表情と、ふとした時に見せた優しい笑顔。
その笑顔が何故か、ユゥイ自身良く知る人物と重なった。

ユ「でも、本当に似てる……レン先生に」

髪と瞳の色だけじゃない。目を細めて笑む姿が、頭の中でしか逢えない想い人と、双子の兄の恋人を、だぶらせる。
やり切れない想いをかき消すように、ユゥイは酒を一気に飲み干した。





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