1.春休みにドッキドキ!


──体育準備室──

小鳥達が気持ちよさそうにさえずり、桜の蕾が今にも咲き出しそうな、暖かい3月の頭。
卒業式で三年生を送り出し、現在登校しているのは1、2年生しかいない。先生達の授業数もそれに合わせて減少し、その空き時間、彼らはそれぞれの部屋にこもらず当然のように体育準備室に足を運んでいた。

しかし、騒々しい日常よりは、今日は幾分静かだ。個々のノートパソコンを持ち寄り、画面と睨めっこしているのだから。あの侑子先生までも、だ。
それもそのはず、この学年末には3学期だけの成績以外に、年間を通した成績まで提出しなければならないのだから。
担任をしている者については生徒個人個人にコメントを書くのだが、これが意外にも苦労を強いられる。全てが終わったとしても、次は新年度の授業計画を練らなくてはいけないのだ。

沈黙の中に時折会話を交わしながら、キーボートを打つ音が主に響く。ある区切りがついたのか、タンッとエンターキーを押すと、レン先生は思いきり伸びをした。

レ「ふぅ、やっと半分終わった」
ユ「学期末って大変なんですねぇ。担任はクラスの通知表を書いたり、科目の成績を出したり」
侑「レン先生とユゥイ先生はまだマシな方よ。音楽は全学年選択科目だし、調理実習は家庭科の一部だからそれしかしなくていいもの」
レ「まあ、それはそうなんですけど。うぅー、目が痛い」
侑「古典や体育の必修科目は大変よねぇ?黒鋼先生」
黒「ああ……だがな」
侑「ん?」

こめかみに怒り皺を浮かばせて何かに耐えて黒鋼先生だったが、ここにきてそれが爆発した。彼が勢いよく立ち上がった瞬間、全員が湯飲み茶碗を素早く押さえた。ここまで頑張ったデータが入力されているパソコンにかかりでもしたら、全員砂のようにサラサラと散ってしまうだろう。

黒「なんで体育準備室に集まってくるんだよ!!」
侑「訳なんてないわ。あたしはこの時間に授業がなかったからよ」
黒「ああ!?」
レ「私も。なんか、みんな集まってきますよね」
ユ「居心地が良いですよねぇ。お茶も出てきますし」
黒「てめぇら……つか茶は俺が淹れてんだよ!せめて茶くらいはおまえが淹れろ!女だろうが!」
レ「あ、黒鋼先生それ良くないですよ。男女差別っていうかジェンダーっていうか。今の時代、男の人だって家事や料理をするものです。アメリカでは……」
黒「うるせぇ!」

先生達の集中力が切れ始めた頃、ちょうど良いタイミングで授業終了のチャイムが鳴った。休み時間が始まる合図、もっと言えばこのチャイムは昼休みが始まる合図だ。
頭もお腹も、休息と栄養を要求している。それは生徒達も同じ。学食や売店が生徒でごった返す前に昼食を買いに行かねば、とレン先生は立ち上がった。

レ「お昼休みだ。さすがに休憩しましょうよ」
侑「賛成!黒鋼先生、お茶のおかわり」
黒「だから何で俺が……」
レ「まぁまぁ。私がお弁当買ってきますから。何が良いですか?」
侑「あたし生姜焼き弁当ー!」
ユ「じゃあ、ハンバーグ弁当で」
レ「黒鋼先生は?」
黒「焼き魚弁当」
レ「了解です!じゃあ、ちょっと行ってきますね。あ、ちゃんとお金はあとから回収しますから」

イスにかけていたジャケットのポケットから小銭入れを取り出すと、レン先生は体育準備室を後にした。残った先生でパソコンを脇に避けたり、黒鋼先生は人数分お茶を入れ直していたのだが、その時ふと気付く。いつも騒がしいあの化学教師がいないな、と。

黒「そういやぁ、あの煩ぇのが今日はいねぇな」
ユ「ああ。ファイの事?」
侑「ファイ先生は4限目、授業だったものねー。お昼は食べに来るかしら」
黒「来なくていい」
侑「まあ!イジメ発言は教師として聞き捨てにならないわね」
黒「だからイジメじゃねぇ!!」
ユ「あはは」
レ「ただいまですー」

4つの弁当を抱えて帰ってきたレン先生を見て、全員おや?と首を傾げた。体育準備室から売店までの距離は、割と近い。それでも、授業終了後の生徒達の瞬発力は凄まじく、言うなれば昼休みの売店は戦場だ。生徒達はいつも我先にと売店に駆けつけるものだから、先生はその波に揉まれながら時間をかけて目当てのものを買うしかないのだが。

レ「はい、どうぞ」
ユ「有り難う」
黒「早かったな。授業が終わった生徒達が殺到してる頃だろ」
レ「侑子先生のお昼ご飯って言ったら、みんな素早く退いて譲ってくれました」
黒「……ああ」
侑「うふふ。みんな分かってるわねー」
レ「あと、途中でファイ先生に会ったんですけど、昼休みは用事があるから来ないって」
侑「そう。残念ねぇ」
黒「煩いのがいなくてちょうどいい」
侑「またまた、本当は寂しいくせに。うりうり」
黒「つついてくんな!」

茶々を入れる侑子先生に苦笑して、全員で手を合わせる。学校生活の中でも、至福の時間だ。自分の分の唐揚げ弁当を目の前に、レン先生の顔もゆるみっぱなしだ。
口いっぱいに唐揚げを頬張る彼女に、ユゥイ先生が話しかけた。

ユ「そういえば、レン先生に聞いてみたい事があったんだ」
レ「へ?にゃにをれふか?」
ユ「ファイと付き合うようになったきっかけ」

ぐっ、とレン先生の顔が青くなった。動揺からか単に口に詰め込みすぎたからか、のどに詰まらせてしまったらしい。咳をしながら慌ててお茶を飲むと、のどにつっかえていたものがすんなり胃に収まっていくのがわかった。

黒「大丈夫かよ」
レ「なんとか……」
ユ「で、どうなのかな?」
レ「えぇーっと…」
ユ「みんな聞いた事ありますか?」
黒「具体的にはねぇが、付き合う前おまえの兄によく相談されてたな」
ユ「侑子先生は?」
侑「あたしが知らない事はないわ」
レ「うぅ……」

その場の空気と、何よりも侑子先生の目が言っている。面白くなりそうだから話せ、と。
幸か不幸か、レン先生は空気が読める人種である。全員の沈黙と視線で、自分に味方が居ない事を悟った。

レ「分かりましたっ。話しますよ……あれは、ちょうど2年前くらいですね。春休みに入る少し前でした」







3月の上旬、初めてこの堀鐔学園に来た時の印象と言えば、何この学校、ってか街?高等部って何処?寧ろ現在地何処?っていう感じでした。

お義母さん──セレーネっていうんですけど、彼女が侑子先生と知り合いで、堀鐔学園に着いたらまず彼女に逢いなさいと言われていました。聞けば、学園の理事長と言うから、挨拶をしない訳にもいかないでしょう。住む場所も彼女に聞かないとわからないから、迷いに迷って、ようやく堀鐔学園高等部に辿り着きました。
門をくぐれば、もうすぐ満開に咲くであろう、桜並木が私を迎えてくれた。

レ「にほん、の、はな……cherry blossom?いつ、さくの、かな」

休日で、しかも夕方だからか、部活動をしている生徒もいなくて、学園内はとても静かだった。
理事長室か職員室に向かわなきゃと、案内板の前に立ったんだけど、当時は漢字どころか日本語すら曖昧にしか話せない状態だった。読める訳がなくって、途方に暮れていた時、遠くに人影が見えたんです。
金髪の髪に長身。外人の英語教師だって思いこんだ私は、スーツケースを押してその人のところまで走った。

レ「Excuse me?」

息を切らした状態で、その人と目が合った。珍しいくらい澄んだ蒼い瞳が綺麗、という事が彼──ファイ先生の第一印象。彼はその蒼い瞳を見開くと、困ったように笑った。

フ「すみませんー。オレ、英語あんまり分からないんですー」
レ「!」

西洋人の顔に似合わない完璧な、でもなんだか癖のある日本語に、驚いた事を覚えています。

フ「日本語で大丈夫ですかー?」
レ「すこし、なら」
フ「良かったー。あ、貴方が新しい先生ですかー?」
レ「はいっ。おんがく、の、きょーしになりますっ。レン、ですっ」
フ「オレは化学教師のファイと言いますー。よろしくね」
レ「かがく、えっと……」
フ「chemistry、だよー。たぶん」
レ「あ!」

そういえば白衣を着てると、今更ながら気付いた。大学でもないのに、外人がわざわざ外国語以外を教えているのも珍しい。と思ったけど、私も音楽を教える身だから似たようなものかもしれない。

どうやら彼は、侑子先生から私の迎えを頼まれたらしい。この学園に来た人は必ず迷うから、と言われた時には大きく頷いた。
そういえばこの時、さりげなく私のスーツケースを持ってくれていた。今思えば、さすがフェミニストであるヨーロッパ人だと思う。

理事長室に向かう道中、彼は色々話しかけてくれてたけど、私は緊張していた。だって、学園で一番偉い人に逢うんだもの。面接の時に一度逢って、お義母さんから話は聞いていたけど、やっぱり緊張してしまって、彼の話も半分上の空で受け答えしていた。

フ「日本の方じゃないですよねー?」
レ「は、はい」
フ「どうしてまた日本で教師にー?」
レ「にほん、には、まえからきょーみが、あって、できれば、はたらきたいって、おもってて」
フ「そうなんだぁ。オレも同じような感じだよー」
レ「ファイ、せんせいは、どこのくに?」
フ「オレはイタリア。レンレン先生はー?」

そう、この瞬間。私の意識は会話に戻ってきた。

レ「what?」
フ「え?どこの国の人かなってー」
レ「アメリカ。でも、そのまえ。my name」
フ「レンレン先生ー?その方が可愛いかなあって」

初対面の相手にこの人は渾名を付けるのか、と面食らった事を覚えてる。「それかー、レンっちとかレンたんとかー」と、訳の分からない事を言い出す彼を見て、緊張してるのがバカらしくなってきて。俯いて、笑いを堪えていた。

レ「ふっ……ふふ」
フ「あ、イヤでしたかー?」
レ「いえっ。ふふ……あははっ。そう、よばれたこと、ないから、おもしろくて。あははっ!」
フ「良かったー。ちゃんと笑えてる」
レ「え?」
フ「緊張してたみたいだから」

自分の頬を指さして、柔らかく笑ってくれた瞬間、ああ好きになるなって思った。女の子が憧れる見た目だけじゃなくて、内面がすごく素敵で、とにかく優しい人なんだって思ったの。

理事長室で侑子先生に逢って、ちょっと変わってる美人さんだけど、面白くて良い人だったからホッとした。住む場所も職員宿舎、今住んでいる階の一つ下の階の角部屋に決まって、何もかも順調だと思ってた。
でも、今までの話を聞いてたらわかると思いますけど、当時は日本語が本当に片言で。こんな状態で生徒達と接する事が出来るか、不安だった。

その時、助け船を出してくれたのも彼だった。

フ「オレでよかったら、日本語教えるよー?」
レ「Really!?」
フ「うん。授業が終わってからでよければー。もうすぐ春休みに入るしねー」
レ「ありがと、ございます!おねがいします!」

それから学校が終わった放課後、学校内の空いてる教室や、カフェなんかで日本語を教えてもらうようになった。
そうやって二人で過ごすうちに、勉強以外でも二人で逢うようになった。ショッピングに行ったり、ドライブに行ったり。

二人で過ごしていると、だんだん彼の私生活が見えてきた。
簡単に言うと、女の人に慣れている、と思った。
日本人女性には人気のヨーロッパ系統の端正な顔つきに加え、フェミニストな彼の態度。女の人が寄ってこない訳がない。浮いた台詞やさりげないボディタッチ、頻繁になる携帯が、気になって仕方なかった。

フ「それにしてもさー、レンレンっていつも綺麗だよねー。髪とか綺麗な桃色でさぁ。触って良いー?」
レ「……それより、ファイさん、けーたい、なってますよ」
フ「いいのいいの。気にしないでー」
レ「……」

私の前で、彼は携帯に出た事がなかったけど。背面ディスプレイに表示される名前は、いつも違う女の人だった。

言い慣れた甘い台詞、髪を撫でる優しい手つき。今まで、何人にも使ってきたって分かった。
この時点で彼の事は完全に好きになってたけど、告白する気にはどうしてもなれなかった。でも、大勢の女の人の一人にはなりたくなくて、侑子先生に相談したの。

侑「ファイ先生?そうねぇ、確かにモテるわよ。でも最近、次々に周りの女の子を振ってるって噂だけど」

そう言って、意味ありげに笑う。嗚呼、私もそのうち振られるのかな、って思ってた。

彼と出逢って1ヶ月くらいが過ぎた時。入学式、そうサクラちゃん達が入学してきた日、同じく就任式が行われた日。
ステージに立って挨拶を終えた私は、ホッとして桜並木を歩いていた。この時、桜は満開で、散りだした桜が幻想的で綺麗だった。
その中で、式典だったからかスーツ姿の彼に、声をかけられた。

フ「レンレン先生ー、お疲れ様。同じクラスの担任と副担任だし、一緒に頑張ろうねー」
レ「はい……」
フ「あれ?もしかして緊張してたー?」
レ「もう、すっごい緊張しました」
フ「でも、日本語すごく上手くなったよねぇ。基礎は元から出来てたけどー」
レ「ファイ先生のお陰です。有り難うございました」
フ「レンレン先生が頑張ったからだよー。そういうところも、好きだなぁ」
レ「はいはい」

また、何も考えずに好きって言葉を使うのね。
でも、私も彼を好きだから、軽く靡きたくなくて。流して、背を向けた。

その、瞬間。背中から、力強く抱きしめられた。
今まで、私に対してもすごく優しく接してくれた彼の激しさを、初めて感じた時だった。

フ「本当に……好きなんだよ……」

震えている腕、震えている声。1ヶ月一緒にいて、今まで見られなかった、彼の情けない隠れていた部分。
ああ、やっと、伝わった。彼も、本気でいてくれたんだと。
私は体を反転させて、笑って彼を見上げた。

レ「私もです」







レ「……って感じ」

レン先生の話が終わった、ちょうどその時。
お昼の校内放送の始まりを告げる音が鳴った。

さ『今日もお昼の放送が始まります』
四『今日のゲストは、化学教師のファイ先生でーす!』
フ『こんにちはー』
さ『今日はファイ先生に恋愛の話を聞いてみようと思ってるんですけど』
フ『じゃあ、愛しのレンレン先生との出逢いでも話そっかー』

ピシイッ。雷に打たれたような、そんな音が聞こえたように黒鋼先生は感じた。案の定、振り向けば、顔を真っ青にして固まっているレン先生の姿があった。





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