紅の証明


──体育準備室──

「……駄目だ。全っ然分かんねぇ」

今日は騒がしいやつらもいない静かな昼休み、俺は自分のデスクに座り、パソコンを前にして頭を垂れていた。画面には『女子高生がクリスマスに彼氏から欲しいものは?』と描かれた、無駄にキラキラしたサイトが映っている。普段の俺だったら、絶対立ち寄りもしないサイトだ。だが、今はそうもいかねぇ状況にある。
もうすぐクリスマス。一応、俺にも恋人がいる。個人的には、どっかの聖人の誕生日を何故祝わなきゃなんねぇんだというのが本音。だが、日本人は何故かクリスマスは恋人と過ごしたがるものだ。クリスマスがどうとかは関係なく、俺だって恋人と一緒に過ごしたいという願望はある。
だから、こうして相手に贈るものを考えているんだが……俺はパソコンをシャットダウンさせると、デスクに突っ伏した。

「素直にあんなデータを信じていいものか……時間がねぇのによ」
「何のですか?」
「どわっ!?」

俺以外の、しかも女の声に、思わず飛び上がった。パソコンを閉じた後でよかった、と胸を撫で下ろす。体操服を着ている九軒は、ぱちりと目を見開いた。

「いつからいた!?」
「あっ、すみません。一応ノックをしたんですけど、返事がなかったので……」
「あぁ……悪ぃ。次の時間の事か?」
「はい。今日の授業はどこであるのか聞きにきました」
「今日からマラソンだからな。グラウンドに集合だ」
「分かりました。A組の子にも伝えておきますね」
「おう……九軒」

「失礼しました」と言って立ち去ろうとする九軒を、俺は思わず呼び止めた。ああ、わからねぇんなら聞きゃあいい。

「ちょっと聞きたい事があるんだが、いいか?」
「?はい」
「おまえに恋人がいるとして、クリスマスに彼氏から貰うとしたら何が嬉しい?」
「え?えーっと」

頬に手を当てて、しばらく考える素振りを見せた。俺と女子高校生なんて、感覚が違いすぎる。何が欲しいかなんて分かるわけもねぇが、同い年のこいつの意見なら参考になるはずだ。
数十秒後、九軒はにこりと笑う。

「やっぱり、定番なんですけど、アクセサリーとか、特に指輪は憧れます」
「……なるほどな」
「でも、好きな人に貰えるものなら、何だって嬉しいです。気持ちが大切ってよく言いますけど、本当ですよ」

指輪、か。確かにそれも思い浮かんだ。生徒の中にも、たまに彼氏と揃いであろう指輪をはめている生徒がいる。そういや、小狼達や化学教師達がはめているところは見た事ねぇな……
だが、薬指の指輪なんて贈ってみろ。絶対あいつは周りから問いつめられる。相手が自分と同世代ならまだしも、教師なんて言える訳もねぇ。薬指の指輪……却下だな。だが、他に何がある……?
俺が黙り込んでいると、九軒が問いかけてきた。

「黒鋼先生も、彼女さんにプレゼント渡されるんですか?」
「あ!?いや……」
「それなら、わたしより侑子先生なんかに聞かれた方がいいと思いますよ。大人ですし」
「ああ……まあ、すまないな。呼び止めて」
「いいえ」

「失礼します」と頭を下げて、九軒は体育準備室を後にした。あの理事長を指す辺り、九軒はやはりどこかズレていると実感した。

「大人じゃねぇんだよな……」

どういうイメージがあるのか、俺の恋人は大人だと思われているらしい。普通の感覚なら、そう思うんだろうな。それを外れているのが、俺達なだけであって。
……ふん。常識なんかくそくらえだ。俺は立ち上がると、ジャージの上着を羽織ってグラウンドに向かった。







「タイム表、ここに置いておきますね」
「ああ。悪いな」
「いえ」

マラソン終了後、A組分の記録を持って、体育準備室を訪れた者がいた。俺の恋人、知世。もちろん、誰にも公開はしていない。世間から叩かれる事は目に見えている。だから今まで、ひっそりと、想いを育ててきた。
今、この場には誰もいねぇ。もういっそ、本人に聞いちまおう。

「なぁ」
「はい。なんでしょう?」
「クリスマス、何が欲しい?」

きょとん、と目をまん丸にした後、知世は口を開いた。

「特には……何でも、と言いましたら」
「困る」
「そう仰ると思いました」

クスクス、と可笑しそうに笑う。ああ、こんな何でもない表情にまで見とれてしまうなんて。重症だな、俺は。

「でも、本当なんです。少しでも逢えれば。傍にいられたら」
「……そうか」

「次の授業があるので」と、知世は体育準備室を出て行った。

教師と生徒という壁がある以上、外では滅多に逢えない。放課後なんかに逢うとしても、あまりに親しくしていたら周りから不審の目で見られる。だから、授業の合間とか、廊下ですれ違う瞬間とか、些細な逢瀬を重ねるしかない。
傍にいて欲しい、そう言われたのに、叶えてやれない。なんて皮肉だ。

「……よし」

そうして俺は、クリスマスに実行すべき、一つの決意を固めた。







──屋上──

クリスマス当日、俺は屋上で知世を待っていた。星が近い、そう思った。ホワイトクリスマスにはならなかったが、そのかわり天気が良く夜空が澄んでいる。外で逢うにはこの方が良いかもしれない、と思った。

扉を開ける音が聞こえた。理事長だけが持っているマスターキーを使って、あらかじめ屋上までの扉を開けておいたんだ。「これ、クリスマスに使う?」と、何も言ってないのに理事長から鍵を渡された時は、本当にこいつは何者かと思ったが、あの時ばかりは反論せず有り難く借りておいた。

「今晩は」
「おう。よく出てこれたな」
「部活の忘れ物をしたと言ってきましたから」
「いつものガードの連中は?」
「帰っていただきましたわ。帰りは先生に送っていただきますから、と伝えてきましたから」

「ね?」と、笑って、俺の隣でフェンスにもたれ掛かる。いつもの制服、そして俺はいつものジャージ、ではさすがになく、スーツで着てみた。課外授業の為に出勤していたへにゃり野郎にしつこく理由を聞かれ、「あー。この後デートなんだー」と図星をつかれた時は、一発どついてやった。

「悪いな。夜しか逢えなくて」
「先生方はまだお仕事がおありでしょうから」
「課外やら何やらな。俺の場合は授業欠席者の補講だな……今日くらいどこかに連れて行ってやりたかったんだか」
「本当に良いんです。少しだけでも逢えればいいと、申しましたでしょう?」

「はい。プレゼントです」と微笑むと、知世は俺に紙袋を差し出した。中身の箱にはリボンが巻かれていて、その中が見えるようになっていた。どんな場にも合うような、シンプルなデザインのネクタイだった。

「スーツはたまにしかお目にかかれませんが、その時に付けていて欲しいと思いまして」
「……おう」

それだけしか言えなかったが、知世は全部わかってくれたようだ。嬉しそうに、少し照れたように、笑う。俺は何も言わずに、知世を見下ろしていた。

「黒鋼?」

何も言わない俺に不安を覚えたのか、名前を呼ばれた。一呼吸つくと、俺は口を開いた。

「たまに思うんだ。傍にいて欲しい事が知世の望みなのに、それすらも叶えてやれねぇ。本当に、俺はおまえを幸せに出来るのかって」
「……」
「だが、不安にさせていると分かっていても、それでも、俺は知世が好きなんだよ」
「……黒鋼」
「これからも、信じていてくれるか」
「勿論ですわ」

別れを切り出されるとでも思ったのだろうか。そんな事ある訳ない、この恋に終わりがくるとしたら、それは俺が振られる時だけだろうから。
不安そうになったり、泣きそうになったりしながら、知世は最後に綺麗な笑みを浮かべた。その小さな手を取って、あるものを細い指にはめてやる。

「っ、これ……」
「いつか、胸を張って知世が好きだと言えるようになるまで、薬指にぴったりの指輪が贈れるようになるまでは」
「っ……」
「こいつを傍に置いていてくれ」
「……ありがとうございます」

泣いてるのか笑ってるのかわからない表情で、知世は俺に抱きついてきた。抱え込む形になりながら、俺も知世を抱きしめ返す。
左手の小指に贈った、ピンクゴールドのピンキーリング。それについている石を紅にしたのは、ささやかな俺の独占欲。

「また来年も、一緒にクリスマスを迎えましょうね」
「来年も、再来年も、ずっとだ」
「はい」

左の小指、それは約束の指。





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