6月21日


『ファイ、ユゥイ。今日はふたりの誕生日だね。おめでとう』

 雨がしとしとと降っていた日の朝。アシュラさんは起きたばかりのオレたちに向かって微笑んでくれた。
 カレンダーを見て、納得した。今日は6月21日。オレとユゥイがふたりでこの世に生まれてきた日だった。
 今までは誕生日というものを単に「欲しいものを買ってもらえてごちそうが食べられる日」としか認識していなかった。でも、これは4歳の記憶だろうか。カレンダーが読めているから5歳だったかもしれない。
 誕生日を「自分が生まれてきたことをお祝いする日」だと認識できるようになってから、オレも、そしてユゥイも、その日をどんな気持ちで迎えたら良いのかわからなくなっていた。

『おや。困った顔をしてどうしたのかな?』
『だって、誕生日って生まれたことをお祝いする日でしょう?』
『そうだね』
『だったら、オレたちには関係ないよ。オレたちの親はオレたちのこといらないと思って捨てたんだから。生まれてきて欲しくなんてなかったはずだよ』

 この朝の日以前の記憶は大人になった今は思い出せないが、オレとユゥイは両親の顔を知らない。ただ、ふたりはまだ幼いオレたちを手放して、オレたちはアシュラさんに育ててもらった。それが事実だ。
 オレたちは望まれて生まれたわけではない。幼かったオレたちでも理解できることだった。
 アシュラさんは少しだけ困ったように笑うと、オレとユゥイをそっと抱き寄せた。

『いつか、ふたりが心から誕生日をお祝いできるようになったら、それは……』


* * *


「そういえば、ファイって誕生日はいつなの?」

 雨の音をぼんやりと聞いていたオレは、レンの声で現実に引き戻された。悟られないようにへらりと笑って、後ろからレンを抱きしめて腕の中に閉じ込める。

「えー。レンレン、急にどうしたのー?」
「なんとなく気になったの。というか、恋人の誕生日を聞くのってそんなにおかしなことじゃないでしょ?」
「そうだけどさー」

 恋人として付き合っていく以上、避けては通れない話題だ。今まで付き合ってきた子たちにはなんとか誤魔化してきたし、そもそも長く付き合いが続かず誕生日の話題が出る前に別れたという付き合いも多かったけれど。
 レンとの恋は、今までのような恋にはしたくない。大切にしたいし、大切にされたい。それなら、気持ちは隠さずに伝えたほうが良いよね?

「オレ、誕生日にあんまり関心がないんだよね」
「なんで?」
「お祝いしてもらうような日でもないから」

 しん、と沈黙が走る。いつものオレだったら「なんてね。冗談〜」なんて言って、場の空気を取り繕うのだろうけど、今回はそうしなかった。ありのままのオレの気持ちを、レンがどう思うのか知りたかったから。
 レンは腕の中からオレをじっと見上げて……オレの頬をびろんと伸ばした。

「いひゃい〜」
「それはお祝いをする私が決める!それに、ただお祝いをするだけが誕生日じゃないんだから!」
「え?他になにかあるの?」
「もちろん!誕生日は、大切な人が生まれてきてくれたことに感謝する日よ!」
「大切な人が生まれてきてくれたことに感謝する日……?」
「そう。ファイが生まれてこなかったら、ファイと出会うこともなかったし、こうして話すことも、付き合うことだってなかった。だから、私はファイが生まれてきてくれたことにちゃんと感謝したいの」

 レンはオレの生まれの事情を知らない。だからこそこの言葉は、オレを気遣うためでも、励まそうとしているわけでもない。ありのままの、彼女自身の想いと言葉なのだろう。
 ふと口元を緩めて、抱きしめる腕に力を込める。

「な、なに!?」
「レンレン、今日はいつになく嬉しいことを言ってくれるなーって」
「そ、そんなつもりじゃ……!ただ、ファイが少し元気がないと思って……たまには素直になってみてもいいかなって……」

 素直になってみるということは、普段はその想いを隠しているだけであって、普段からオレへの愛情は持っているということだ。付き合っているのだから当たり前かもしれないけれど、いわゆる『ツンデレ』な彼女がそれを口にするのはふたりきりのときでも稀だ。
 だから、これは素直になってくれたレンへのお礼だ。

「6月21日」
「え?」
「だからー、オレの誕生日は6月21日だよ」
「そっか!6月21日か〜……って明日!?もう日付変わるじゃない!!!!」

 リビングにレンの絶叫が響き渡った。防音がバッチリ行き届いている職員宿舎なので問題はないけれど、窓を少し開けているから声が外へ漏れ出てしまう。でも、真夜中だということも、窓を開けているということも忘れて慌てふためくレンを見るのはなかなか面白くて、思わず吹き出した。

「どうしよ〜!何も用意できてない!」
「だから言うか迷ったのにー」
「ううん!今からでも遅くないもん!明日は出かけよう!」
「え、どこに?」
「街!ファイが欲しいものを一緒に選んで、ファイが好きなものを食べて、とにかくたくさん楽しいことをするの!それくらいしか今年はできないけど、来年は覚悟してね……あ!」

 時計の針が重なって、日付が変わった。今日はオレが生まれた日だ。
 幼い頃に両親から手を離されたオレは、誕生日のあり方がよくわからなかった。生を与えられた存在から祝福されないない誕生日なんて、意味はあるのかとずっと考えていた。
 でも。

「誕生日おめでとう、ファイ。生まれてきてくれて、私と出逢ってくれてありがとう……だ……っ、だいすき!」

 恥ずかしがり屋な彼女が、隠し切れていない愛情を精一杯の言葉に乗せて、とてもきれいな笑顔と一緒に伝えてくれたから。いつも何だって伝えることができるこの想いが、うまく言葉にならなくて、情けない顔を見られないように、強く抱きしめた。

『いつか心から誕生日をお祝いできるようになったら、それは、ふたりが心から愛する人と出逢えたときかもしれないね』

 少しだけ、あのときの言葉の意味がわかった気がした。オレにとってはそれが何よりも、最高のプレゼントだった。


2021.06.21

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