そして世界は生まれ変わる


 ナックルスタジアム前の橋にキバナ君はすでに来ていた。私の姿を捉えた瞬間に下がる目尻に胸を撫でおろす。パッと見たところどこも怪我をしていないようだ。

「クロエ!」
「キバナ君」
「よかった。無事そうだな。それにヌメルゴン!進化したんだな!」
「ヌメメッ!」
「ええ。キバナ君のポケモン達は?」
「あいつらもまだ手分けして街を見て回ってるぜ」
「そう……」
「さっき、ホップ達が走っていった」
「……」
「最強のチャンピオンと、最強のチャレンジャー。そしてそのライバル達、か。ブラックナイトも大変だな。ちょっとだけ同情するぜ!」
「キバナ君……」
「子供達に行かせて不安なのはわかる。でも、あいつらはもうただの子供じゃない。きっとダンデを手助けしてくれるはずだ」
「……ええ」

 わかっている。ユウリちゃん達はもうきっと私なんかよりずっと強い。それでも、彼らはまだ子供。庇護のもとで無邪気に笑い未来に向かって走るべき存在なのに、大人が引き金を引いた問題に巻き込んでしまったことが申し訳ない。

「さあ、オレ様はもう一回り街を見てくるぜ。逃げ遅れた人がいないとも限らないからな」
「待って、私も」

 一緒に、と言おうとした瞬間、ナックルシティ全体がひときわ大きく揺れた。まるで地面に何かが叩きつけられたかのような衝撃にビリビリと体が揺れる。
 一体何が。ナックルスタジアムの塔を見上げる。マゼンタの暗雲から巨大な手のような姿に変形したムゲンダイナが、塔を握り潰そうと大きく体を開いている。あれは、キョダイマックス?
 その姿を見たのは一瞬だけだった。だって、ムゲンダイナの姿が見えた次の瞬間には、目の前に瓦礫があって、それが私に向かって、落ちてきていて。

「つっ……」
「クロエ」
「え」
「平気、か?」

 どうして、私は地面に伏しているのだろう。どうして、私がいたところにキバナ君がいるのだろう。どうして、瓦礫が彼の上にのしかかっているのだろう。
 どうして、どうして。
 瓦礫を退かそうと必死に爪をたてる。爪が剥げようと、指先が切れようと関係ない。

「やめて、やめて、いや、キバナ君」
「クロエ、落ち着けよ」
「いなくならないで、消えないで、もう誰も、私のせいで」

 死なないで、と喉をかきむしるようにして声を絞り出した。必死に瓦礫を退かそうとする指先をキバナ君の大きな手がすっぽりと包む。
 ハッとしてキバナ君を見た。ナックルシティの空のような鮮やかな青が私を見つめている。

「あのな、オレ様だってクロエを守りたいんだよ」

 少しだけ、震える声で、でもはっきりと。

「クロエが自分の日常を失うことを恐れるように、オレ様もクロエという当たり前の存在を失いたくないんだ」

 キバナ君は、そう言った。

「ヌメヌメ!」
「ヌメルゴン……!」

 ヌメルゴンが進み出てキバナ君にのしかかる瓦礫を退かしてくれた。どうやら瓦礫同士の隙間に体がおさまっていたようで、思ったほど酷い状態ではない。それでも、足や額からは血が流れ出ている。
 赤を見ると思い出してしまう。あの雪景色の中に散った命を。白を染め上げた赤を。命の、色を。

「キバナ君!血が……!」
「平気平気。オレ様頑丈だからな。これがクロエに直撃してたって考えたら、オレ様が怪我したくらい安いもんだ」
「っ……」

 泣くな、泣くな。冷静にならなきゃ。また守れないままで終わってしまう。
 そうは思っても涙は止まらない。また私のせいで、平穏が崩れてしまう。私のせいで、私のせいで。
 止まることを知らない涙をキバナ君の大きな手が少し乱暴に拭う。そのまま抱きすくめられて、耳元で刻まれる命の音を聞くと、ようやく安心して少しだけ冷静になれた。

「信じてくれ。オレ様は大丈夫だから。なあ、クロエ。一人で全部守ろうなんて抱え込むなよ。もう少し気を楽にして生きてほしいって、きっと親父さんもそう思ってるはずだ」
「……パパ……ギャロップ」

 私が弱かったから彼らは死んだ。私が強く在らなくては大切なものは崩れ落ちていくだけだ。今までずっとそう思ってきた。だから、ポケモンも自分自身も鍛え上げて、死と隣り合わせの世界でそこに生きる人を守り救いながら生きてきた。それがせめてもの罪滅ぼしだと思っていた。
 祈るように、息をするように、贖罪に取り憑かれるあまりに忘れていたのだ。キバナ君の日常の中に私自身が含まれていることを。彼もまた、私を失うことを恐れている、と。

 また街が揺れる。上空にはガラル地方の様々な景色が浮かんでは消えている。まるで時空が歪んでいるように。
 瓦礫は宙に浮かび塔のてっぺん付近を浮遊している。あれが落ちてきたら、今度こそ私は大切なものを失ってしまう。

「キバナ君!肩を!」
「ああ」

 長身のキバナ君を一人で支えるには無理があったけど、反対側をヌメルゴンが支えてくれてようやく一歩踏み出せた。私自身の足も限界を超えている。それでも、早くここから離れなくちゃ。今はキバナ君を安全な場所へ。早く、早く。
 キバナ君の額から流れ落ちる彼の命の赤が、私の頬を濡らした。焦燥感が私を責め立てる。これ以上、何が出来るというのだろう。私なんかに、一体何が。

 暗雲に覆われた夜空が涙で滲んで見える。今の状態で両手は結べない。結局はいつものように偶像に頼るしかない自分に嘲笑する。それでも、藁にもすがる思いで、いつも癖のように唱えている言葉を胸の奥で紡ぐ。

 お願い、お星さま、助けて、と。

「っ、あれは……?」

 塔の周りに立ち込める分厚い暗雲から、二つの光が飛び出してきた。闇を切り裂くような輝きを放つ、眩しくも優しい、まるで流れ星のような光。
 パパ?ギャロップ?そんなわけないのに、思わず彼らが暗闇の外へ導いてくれるような、そんな錯覚を抱いてしまった。

 ああ、でもどうやら、あながち間違いでもないらしい。

「キバナ君っ、見て」
「……空が」

 暗雲が晴れる。長い夜に夜明けが訪れる。朝日が希望の光のように街を照らす。新しい今日が訪れ、私達は未来を生きることを赦された。

 そうか、私達は救われたのだ。小さな英雄達の手によって。




2020.7.7


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