ロマンスにはほど遠い


カーテンから射し込む朝の日射し……にしては眩しい、昼の日射しでオレは目覚めた。欠伸と伸びを一つずつして、目を覚ます為に顔を洗う。何か食おうと、ガコン、と冷蔵庫のドアを開けたが……なにも、なし。ここのところ外食ばかりで、何も買っていなかったな。さすがに何か買い出しに行こうと、オレはスーパーに向かうことにした。
今日はジムの定休日。せっかくの休みだからと、昨晩は遅くまでジムの改造をするための設計図を書いていたのだが、さすがに寝坊しすぎた。太陽がすでに下りかけている。
スーパーの自動ドアが開くと、冷えた空気がオレを包んだ。入り口の脇にある買い物カゴをとり、いつも買っているものを無造作に投げ入れていく。買い得商品とか、あまり気にした事はなくて、その時に買いたいものを買うタイプ。節約とか絶対に出来ない自信がある。
まあ、こんなオレでもシンオウ最強のジムリーダー、一応公務員な訳で、給料は結構貰ってるし安定もしてるから、節約を考えなくても生活に困る事はない。

「デンジ君?」

くだらない事を考えていた頭が、オレの名を呼ぶ声に電光石火の早さで反応した。振り返れば、オレと同じように籠を持って、肩にはイーブイを乗せて、買い物をしているレインの姿があった。
オレの姿を確認すると、すぐに穏やかな笑顔を浮かべて、嬉しそうに近付いてくる。あー……相変わらず可愛いよな、こいつ。弛む頬を隠して、平静を装うように努めた。

「よお。買い物か?」
「うん。今日の夕飯のね。今日は母さんが作るから、私は買い出しだけなの。ねっ、イーブイ」
「ブイッ」

レインが持ってるカゴの中を見る限り、今日の晩飯はカレーだとわかった。ナギサは海が近い港町、カレーはもっぱらシーフードだ。

「デンジ君も?」
「ああ。まぁな」
「……」

オレのが持っているカゴの中身を見て、レインは表情を固まらせた。

「カップめんに、菓子パンに、炭酸飲料に、スナック菓子……デンジ君」
「ん?」
「いつもこんなものばっかり買ってるの?」
「いや、たまには惣菜とか牛乳とか水も買ってる。あとインスタント類も」
「……」

レインは目を閉じて溜息をついた。何を思っているのか、手に取るようにわかってしまうのが悲しいところだ。
オレ自身、こんなものばっかり食って、体に良いなんて思ってない。だが、オレが料理なんて、ましてや自分のためだけに飯を作るなんて、出来るはずがない。そもそも、そんな時間があればジムの改造に勤しみたい。
基本、食べられて空腹が満たされればそれでいい。うまいに越したことはないが、栄養とか味とか、食にはあまりこだわらない。だが、レインはそうもいかないらしい。

「デンジ君、洋食と和食どっちが好き?」
「どっちかというと洋食かな」
「卵料理は最近食べた?」
「いや、全然」
「今日、暇?」
「ああ。ジムも休みだしする事ねーし、暇で暇で」
「じゃあ、決まりね。デンジ君、卵を買って帰ってて」
「?」
「今日、晩ご飯作りにくるから」

固まるオレをよそに「じゃあ、また後でね」と、去っていくレイン。その場に佇む事数秒後、オレはようやく我に返った。
レインが家に来るのなら、こうしちゃいられない。買うもの買って早く帰って、色々と片付けないと。男の一人暮らしだ、部屋もそれなりに散らかってるし、見られたらヤバいものもある訳だし。
とりあえず、菓子パンやらカップめんやらを元あった場所に戻して、レインに言われた通りに卵を一パックカゴに入れると、オレはレジに向かった。







午後も六時を回って、空が夕焼けに染まってきた頃、インターホンが鳴った。モニターを見なくても、誰が来たかなんて分かる。
浮き足立つ心を抑えつつ、平静を装いながら、オレは鍵を開けた。予想通り、そこには大きめのバッグを持ったレインが立っていた。

「こんばんは」
「ああ。本当に来たのか」
「‥‥‥迷惑、だった?」
「いや、それは全然」
「良かった。じゃあ、お邪魔します」

ほっとしたように笑う、レイン。こいつはたまに、オレの顔色をうかがう時があるんだよな。そんなに気を遣わなくてもいいんだ。もっと自然体でいてくれた方が嬉しいのに。レインを部屋に招き入れながら、そんな事を考えた。

「早速だけど、キッチンを借りて良い?」
「ああ」
「冷蔵庫の中のもの、勝手に使っちゃって大丈夫?」
「良いけど、米と飲み物くらいしかないぞ」
「‥‥うん。予想はしてたから、一応色々持ってきた。私も食べていって良いかな?」
「そりゃ、もちろん」
「ありがとう。急いで作るから、ちょっと待っててね」

レインは持ってきたバッグから、調味料やら野菜やら色々取り出して、エプロンをしてキッチンに立った。待っていて、とは言われたものの、オレだけじっとしてるのも申し訳なく、だからと言って手伝えるかと問われればそんな自信はない。
結局オレは、漂い出した良い香りと、レインのエプロン姿に誘われて、キッチンに入っていった。

「なんか、色々作ってんな」
「オムライスを作ろうと思ってるの。それと、ポテトサラダやスープもね。それにしても、いつも思うけどお部屋とかキッチンはわりと綺麗にしてるのね」
「キッチンはお湯を沸かすくらいしか使わねーからな」
「それ、自慢にならないよ」

可笑しそうにクスクス笑うレインにつられて、オレも笑った。
部屋が綺麗なのは、レインが来るときはいつも前もって片付けているから。オーバなんかがアポなしで来た時は、むしろオーバに掃除させる。
野菜を手際よく切るレインを見ていて、ふと思った。昼は一緒だったイーブイがいないな、と。

「そういや、イーブイは一緒じゃないのか?」
「うん。ご飯あげたらすぐに寝ちゃって。デンジ君も、今日はサンダースとかライチュウとか出してないの?」
「あいつらみんな、今日はポケモンセンターに預けてるんだ。たまにの休みくらいゆっくりしてもらわないとな」

そこまで言って、今更気付いた。この空間にいるのはオレとレインの二人だけだ、と。
レインがオレの部屋に来る事は、別に今日が初めてじゃない。でも、必ず周りには誰かがいた。それはお互いのポケモンだったり、はたまたオーバだったり。オレの部屋で、こうして本当に二人っきりになったのは、初めてかも知れない。
哀しきかな、男というものは実に単純に出来ていて、好きな子と二人きりと言うだけでよからぬ妄想が否応なしに浮かんでくる。
ダメだ、レインはそこらにいる軽い女とは違う。大切に大切に、しなきゃいけないんだ。理性を総動員して邪心を振り払い、欲望を誤魔化す。

「なんか手伝う事ないか?」
「じゃあ、テーブル拭いて、お皿出してくれる?」
「分かった」
「ありがとう」

それから、待つこと数十分。オレの目の前には、野菜がたっぷり使われたコンソメスープと、ハムが星形に抜いてあるポテトサラダ、そしてふわふわとろとろのオムライスが並んでいた。
手を合わせてスプーンをとり、オムライスをひとすくいして口に運ぶ。ああ、幸せだ。幸せの味だ、これ。

「なんだこれ……口の中で卵が溶ける……」
「デンジ君の口に合うか分からないけれど」
「いや、マジうまい。レイン天才」
「ほんと?良かった」
「こんなにマトモな飯、久々に食った」
「たまには自炊しないと、体に悪いよ?」
「オレが飯なんて作れると思うか?」
「んー……」

苦笑するレイン。どうやら肯定するのは難しいらしい。まあ、作れたところで、野菜炒めやチャーハンくらいになるんだろうな。
「ケチャップライスはまだあるけど、お代わりする?」「ああ」と、空になったオレの皿を受け取り、台所に向かうレイン。気は利くし、料理は上手いし、改めて惚れ直した。いや、レインがしっかりしてる事も料理が上手い事も知ってたんだが、それでも今回はぐっと来た。
というか、端から見ればオレ達、同棲中の良いカップルじゃないか?気持ちを伝えるべきか?どうする、オレ。
頭の中で色んな事を考えながら、レインとの会話を楽しんでいれば、皿は再びあっと言う間に空になった。こんなに腹一杯になるまで食ったの、久しぶりだ。食にあまり関心のないオレでも、レインの飯はいくらでも食べたいと思えた。

「ごちそうさま。いやー、マジで美味かった。レインの飯。ありがとな」
「ううん。また、食べたくなったらいつでも言ってね。デンジ君の為ならいつでも作りに来るから」
「レイン……」

キュン、と、心臓があり得ない音を立てた気がする。ああもう、可愛すぎる。その笑顔と台詞は、反則だろう。いけるんじゃないか?と、根拠のない自信が沸き上がってくる。
「お皿片付けるね」と、皿をトレーに乗せて運ぶレインを追って、オレはキッチンに入った。カチャカチャと、シンクに皿を置くレインの背後から手を伸ばし、シンクの縁につく。こうなれば、レインはオレとシンクの間に閉じこめられた形になるわけで。
不思議そうにオレを見上げるアイスブルーの瞳が、近い。

「デンジ君?」
「……あのさ、レイン」
「?」
「オレ……」

勇気を総動員しかけたその時、ピンポーン、とインターホンが鳴った。

「お客さんみたいよ?」
「……」

こんな時間に、そしてこんなタイミングに、アポなしで来る空気の読めないやつなんて、オレの知る限り一人しかいない。
部屋に戻ってインターホンのモニターを見てみれば、画面いっぱいにもじゃもじゃとした赤いアフロが映っていた。

『よお!デンジ!酒持ってきたから飲もうぜー!』
「あ、オーバ君だわ。ドア、開けるね」
「……ああ」

今度レインがいない時、オーバを絞めよう。そう心に決めた、ある夏の夜だった。





──END──


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