メランコリーキッチン


一日の仕事を終えて帰宅。キッチンの明かりをつける。底冷えした空気が足元をひんやりと浸し、全身へと回っていく。タイマーを設定しておけば良かったと、今朝の自分を恨みながらエアコンのスイッチを入れた。
誰もいないキッチンというものは、どうしてこうも寂しく、冷たく感じるのだろう。一人で暮らしてたときはこれが当たり前だったのに、一度温もりを覚えてしまうとどうも弱くなってしまう。
手を洗って腕捲りをして、冷蔵庫の扉を開ける。コンプレッサーのブーンという低音が、やけに大きく聞こえる気がした。冷蔵庫の中身はほぼ空に近かった。仕方なく、非常食や乾物、インスタント類が保管されている棚へと手を伸ばした。
レトルトのミートソースを温めて、茹で上がったパスタにかける。たったそれだけの調理だというのに、お湯の分量だとか、パスタを茹でるための塩の量だとか、温め時間とか、確認しながら調理していたら、袋に書いてある調理時間を大幅にオーバーしてしまった。
やっとのことで盛り付けをしていると、リオルがテーブルの上にひょっこりと顔を出した。もちろん、このリオルはレインのリオルだ。

『今日はデンジさまがご飯を作ってくれたんですか?』
「ああ。レインが作りおきしてくれていた分は昨晩で食べ終えてしまったからな」

いつも、一から十までオレ達の食事の面倒を見てくれているレインがいないのは、彼女がジムリーダー見習いとして、一週間ホウエン地方へと研修に行ってしまったからだ。もちろん、水ポケモンそして水タイプのジムに関する研修なので、リオルはオレが預かることになったのだ。
家を空けている間のオレ達の食生活が心配だからと、レインは研修に発つ前の日に、大量の作りおきと冷凍を作っていってくれた。あの時は、そんなに心配しなくても大丈夫だと強がったが、仕事を終えて家に帰り、温めるだけで美味しい食事にありつけるというのは、やはり助かった。
それも昨日で底をついたため、今日はこうしてレトルトで乗り切ろうとしているのだが、普段、というより生まれてからずっとレインが作る食事を食べ慣れているリオルは、果たして納得してくれるだろうか。

『いただきまーす』
「……どうだ?」
『……おいしいです!』
「無理しなくていいぞー」

食事を作ってくれた者に対する感謝と気遣いを忘れないのはさすがレインのポケモンと言ったところだが、素直なその心は誤魔化せないらしい。表情と台詞が全く一致していなくて、思わず笑ってしまったくらいだ。
いただきますと手を合わせて、自分でも食べてみたが、少し塩辛い。それに、パスタの食感がまるでゴムのようだ。パスタを湯がき、レトルトのソースをかけただけなのに、どうしてこうなった。普段食べている料理の有り難みを、今ほど実感したことはない。

「……いつも美味い飯を手早く作ってくれる、レインはすごいよな」
『そうですね。レインさま、本当に料理上手ですもんね!』
「ああ……でも、レインも初めから料理が上手かったわけじゃなかったんだぞ」

今でもちゃんと覚えている。レインが初めて、手料理をオレに作ってきてくれた日のことを。あれはオレ達が知り合って、まだ間もない頃の話だ。







ドアを三回ノックして、中から声が聞こえたことを確認し、開ける。オレの姿が見えた瞬間に、花が咲いたようにパッと表情が明るくなるレイン。逢ったときのこの瞬間が、結構好きだったりする。この表情を見ると、レインにとってオレは特別なんだなと、小さな優越感に浸ることが出来るから。

「レイン」
「デンジ君!遊びに来てくれたの?」
「ああ。あと、これ」
「え?」
「うまく作れたからレインにやるよ」

オレが差し出した物を見て、レインはさらに表情を輝かせた。時間が来ると人形が動くという、ちょっとした絡繰り式の置時計。手作りキットをもらったから組み立ててみたのだが、細かい部品が多く多少苦戦したもののきちんと動くし、自分で使うには可愛らしいデザインだったので、せっかくならプレゼントしようと思ったのだ。

「私がいただいてもいいの?嬉しい……!ありがとう!大切に使うね!」
「ああ」
「デンジ君は何かを作ったり、機械をいじったりすることが本当に好きなのね」
「そうだな。最初は父さんの影響だったけど、今では完全に自分の趣味になってるから、暇さえあれば機械を触ってる」
「だから、こんなに上手になれるのね……」

そう言って、オレがプレゼントした置時計を見つめるレインは、何やら考えている様子だった。

その真相が分かったのは、数日後。海辺で遊ぶ約束をしていた時のことだった。待ち合わせ場所に先に着いていたレインは、オレの姿が見えるとまた花のように笑ったが、すぐに俯いてしまった。どことなく、モジモジしているというか、ソワソワしているようにも見える。

「あの、デンジ君」
「ん?」
「これ……この前のお礼……初めてだから母さんと一緒に作ったのだけど……」
「レインの手作り?」

コクン、と頷いたレインからそれを受けとる。透明な袋に入っていたので、開けなくても中身がわかった。クッキーだ。巾着袋のように縛られたリボンを解くと、仄かに甘い香りが鼻を掠めた。
ハート型をしたそれを一枚摘まみとり「いただきます」と言って口に入れる。うん。サクサクしてて、美味い。

「ん、美味い」
「本当?少し焦げちゃってるよ?」
「それでも美味いよ。なにより、レインが一生懸命作ってくれた初めての手作りクッキーだろ?ありがとうな」

「一緒に食べよう」と言うと、レインはまた花のように笑ってくれたのだ。







話していてとても懐かしく、温かい気持ちになった。そういえば、オレがあのとき贈った置時計は、今もレインの部屋に飾られているっけ。

「……っていうことが切欠で、レインは料理が好きになったし、どんどん上達していったんだよな」
『そうだったんですね!レインさまがお料理上手になりたかったのは、デンジさまに喜んで欲しかったからなんですね』
「……そうだな」

今だって、レインは料理の研究を欠かさない。いつだったか、見せてもらったことがある。キッチンの棚の中に仕舞われたノートには、オレが気に入ったレシピがファイリングされていたり、アレンジのメモ書き、食べたときの反応などが書かれていた。付箋もたくさん貼り付いていたし、何度もページがめくられたノートは少しよれていた。
全部、今以上に美味しい料理をオレに食べて欲しいからなのだろう。毎日作ってくれる料理も、全部、オレのため。
ああ、なんて愛しいのだろう。

いつもレインが座っている空席を見た。食事をするオレを嬉しそうに眺めるレインの笑顔が見えた気がして、少しだけ切なくなった。ああ、早く帰ってこないかな。レインが作った食事なしの生活なんて、レインがいない食卓なんて、もう考えられない。
明日レインが帰ってきたら、夕食はオレが作ろう。そして、恥ずかしいけど素直になって、改めて、いつもありがとうと言ってみよう。そしてまた、オレ達は幸せに包まれた食卓を囲むのだ。





2019.12.5


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