好きになってくれて、ありがとう


乳液を塗り込んだ頬を両手で包み、掌の熱で浸透させながら、洗面台の鏡に映る自分の姿をぼうっと見る。見慣れたこの顔は、いつ見ても代わり映えしない。目はそんなに大きくないし、鼻は低い方だし。睫毛が長いことと、肌の色が白いことは、少しだけ胸を張れるかもしれない。それでも、そんな人はどこにでもいる。つまり、私はどこにでもいるようなごく普通の子なのだ。
そんな私だけど、デンジ君はいつも可愛い、可愛いって言ってくれる。瞼とか、頬とか、色んなところにたくさんのキスをくれる。そのたびに、少しずつ自信がわいてくる。可愛いって言われるのは好きな人にだけで十分で、もっと言って欲しくて、努力しようって気持ちになる。女の子は好きな人に愛されるほど綺麗になるってシロナさんは言っていたけど、本当かもしれない。
洗面台の鏡の前に並べられた、化粧水、乳液、コットン。それから、色違いの歯ブラシ。それらを見ていると、少しだけ気恥ずかしさを覚えると共に、とても幸せな気持ちがわいてくる。ここはデンジ君の家だ。そこに、私の生活用品や着替えが当たり前のように置いてあるということが、他人である私達のはずなのに家族と同じくらい近い存在になれたんだなって思えて、どうしようもなく嬉しい。
今日は、久しぶりに二人きりで過ごす週末だ。ここのところ、私はずっとノモセジムに入り浸っていたし、デンジ君は二日前までホウエンに出張していたから。
ポケモン達はみんなポケモンセンターに預けているし、本当に久しぶりの二人きり、なのだ。嬉しいけれど、少し緊張するかな……なんて。
ボディークリームを塗ってから、デンジ君がいるリビングに向かう。新しく、マキシ丈ワンピースタイプのルームウェアを買ってみたのだけど、気付いてくれるかしら。

リビングでは、デンジ君がフローリングに座り込み、丸まった背中をドアの方に向けていた。先にお風呂を済ませていたデンジ君の髪の毛は、いつもみたいに逆立っていない。きちんと乾かしていないらしく、項に水滴がツーッと伝っていて、思わず見惚れてしまう。男の人なのに、何もしなくても色気があるって羨ましいな。
デンジ君は何やら作業をしているらしい。背後から、その様子をひょっこりと覗き込む。良く分からないけれど、スイッチがついた四角い箱と、赤と青の導線、それから電球がいくつかある。理科の実験みたい、と思ったのが率直な感想だった。

「デンジ君」
「ん?」
「何をしているの?」
「ああ。今度ジムを改造しようと思うんだが、新しい仕掛けの実験をしているんだ」
「そのスイッチは?」
「これを押すと、電流の流れる方向が入れ替わる仕組みだ。ホウエンの電気使いが、そういう仕掛けをメインに絡繰りを造っていたからな」
「なるほど……」
「ただ、単純だからもう少し工夫したいんだよなぁ」
「……」
「あ、レイン。オレはもう少しこいつをいじってるから、先に寝てて良いからな」
「ええ……」

引き続き、デンジ君は作業を行う。導線を切って別の導線と繋げたり、基板を取り出して何やらいじってみたり、忙しない。
少しだけ、がっかりだったり、する。せっかく二人きりなんだから、もっと一緒にいたいと思う。でも、機械いじりという趣味の邪魔をするのも悪い気がして……でも、やっぱり、二人でいるときくらい、こっちを見て欲しい、な。
そうだ、と私はテーブルの上に置いていた雑誌に手を伸ばした。デンジ君の家に来る途中、コンビニに売ってあったものだけれど、水タイプを専門とするポケモントレーナーの特集が組まれていたから、つい買ってしまったのだ。もしかしたら、役に立つかもしれない。
私はデンジ君の側に腰を下ろして、わざとらしくそれを広げてみた。

「私ももう少し起きていようかしら。この雑誌を読んでしまいたいの」
「そうか」

やっぱり、デンジ君は機械に夢中でこっちを見てもくれなかった、モヤモヤしたような、少しだけきゅっと締め付けられるような、変な気持ちを胸に抱えながら、仕方がないから私も雑誌に視線を落とす。
おてんば人魚のカスミさん、水のアーティストのミクリさん、そしてマキシさん……彼らの手持ちのポケモンが紹介されていたり、電気タイプや草タイプへの対策なんかが書かれていたけれど、ちっとも頭に入ってこなかった。
とん、とデンジ君の背中に寄りかかってみる。やっぱり、何の反応もない。寂しい、な。楽しみにしていたのに、なんだか、悲しい、な。

「きゃっ」

寄りかかっていたものがなくなって、私の体はそのまま倒れ込んだ。どこに倒れ込んだかって、胡座をかいたデンジ君の太股の上だ。
見上げたデンジ君は、何がおもしろいのか口角を上げてニヤニヤ笑っている。何が起こったのかも、デンジ君がどんな意図を持っているのかも分からなくて、私はただ呆気にとられるしかなかった。

「で、デンジ君……?」
「オレが機械ばかりいじってて、寂しかった?」
「え」
「構って欲しかった?」

相変わらず、デンジ君はニヤニヤと笑う。この笑い方を、私は知っている。ベッドの中で、私にさんざん意地悪をするときの、顔だ。でも、そんな表情や仕草すら格好いいな、なんて思ってしまうあたり、心の奥までデンジ君に染められてしまっているのだとつくづく思う。
こくり、と素直に頷くと、デンジ君は目を細めながら私の髪を撫でてくれた。

「オレは二日前にナギサへ戻ってたのに、レインはノモセジムから帰ってこなかったからな」
「?」
「だから、オレは出張から戻ったその日に逢いたかったってこと」
「ご、ごめんなひゃい」

むにょん、と両頬を引っ張られて変な声が出てしまった。両手で頬をさすりながら、デンジ君を見上げる。

「カントーからカスミさんがいらっしゃっていて、一緒に修行をさせていただいていたの」
「知ってる。ま、レインは真面目だから途中で修行をサボってナギサに戻るなんてしないって分かっていたけどな。それでも、逢えなくて寂しかった仕返し」

起きるように促されて、私は胡座をかいているデンジ君の足の間にちょこんと座らされた。腰の後ろあたりに両手を回されて、ぎゅーっと抱きしめられたあと、デンジ君は額を私のそれにくっつけたまま、口を開く。

「いいな、この服」
「あ……ありがとう」
「可愛いじゃん。脱がせたくなる」
「!」
「こんなに美味そうな匂いもしているし」

かぷり、と首筋を甘噛みされて、本当に食べられてしまうのでは、と思った瞬間、全身がゾクゾクした何かに襲われる。少しだけ怖いのに、胸がきゅーっとするような切なさと、期待。
いつか、デンジ君に言われた。それは私が、デンジ君に欲情してる証拠なんだって。

「まさか、お預け、なんて言わないよな?」
「デンジ君……っ」
「本当は期待していたくせに」

その通りだ、なんて恥ずかしすぎて言えない。でも、もっと触れて欲しい。可愛いって言って、名前を呼んで欲しい。貴方に愛されたい。そして、それ以上に、貴方のことを愛したい。
私はデンジ君の首筋に腕を回して、そっと目を閉じ、そこに柔らかい温もりが触れるのを待った。夜は、まだまだこれからだ。





title:レイラの初初恋


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