深海少女の歌に形はないけれど


「また明日な」別れ際にくれるその言葉だけで、真っ暗で長い夜が怖くなくなった。この夜を超えれば、またデンジ君と逢えると知っていたから。長いと感じていた夜も、光溢れる朝があっと言う間に来るようにさえ感じられるようになった。
全部、デンジ君のお陰だった。彼は少しずつ、私を光がある方へ導いてくれた。ゆっくり、本当にゆっくり。
彼と一緒にいると、あの嵐の日に海で溺れていた出来事が遠い昔のように思えた。まだ、独りきりやデンジ君以外の人は少しだけ怖いけど、それでも、少しずつだけれど、確実に前に進んでいる実感はあった。

あるとき、気付いた。デンジ君は私にとって太陽そのものだということに。光と温もりをくれる、生きていくうえで必要不可欠な存在。
彼がいなくなってしまったり、見放されることがあったりしたら、私はきっと生きていけないのだろう。暗い、暗い海の底みたいに冷たい場所で、ひっそり死んでしまうのだろう。
デンジ君という存在の大きさに気付いてからというもの、光ある場所に向かいつつあった私に重い影が付きまとい、夢で暗闇が私に囁きかけるようになってきた。何を言っているか理解出来ない、不気味な言葉で私に語りかけてくる闇は、どこへ走って逃げても追いかけてくるのだ。
まるで、責め立てられているような錯覚に陥って泣きながら耳を塞ぐ。泣きながら目を覚まして、ふと考える。私と一緒にいたらデンジ君まで私の闇に飲まれてしまうのではないか、と。

それから、私は何故かデンジ君に逢えなくなった。彼は今まで通り私を迎えに来て、いろんな世界を見せようとしてくれた。
逢いたいのに、一緒に笑いたいのに、私の足は部屋から出ようとすると動かなくなった。ドアノブを掴むと目の前が真っ暗になって、息がうまく出来なくなった。まるで、海の底にいるみたいに。

そんな日が何日続いただろう。最初は、風邪だとか、そんなことで誤魔化せた。でも、一週間経っても外に出ようとしなかった私に、デンジ君は不審感を抱き始めていたのだろう。
ある日、部屋の前まで来て声をかけられた。デンジ君は何度も私の名前を呼んでくれた。でも、病的なまでに塞ぎ込んでしまっていた私は、その声すら耳を塞いで遮断しようとした。
何も聞きたくない。感じたくない。傷つきたくない。こんなに辛い思いをして生きるくらいなら、いっそ。「あのまま海で溺れ死んでいればよかった」と、そう思った後に、思っただけでなくそれが言葉になってしまったことに気付いた。
沈黙が何分も続いた。ドアの向こうにいるデンジ君はどんな顔をしているのか、どんな思いでいるのか、分からない。でも、ふと「そうかよ」と言う深海のように鋭い冷たさを持った声が聞こえてきた後、足音が遠ざかっていくのが分かった。

差しのべられた手を振り払ったのは私。優しさを拒絶したのは私。それなのに、涙が次から次へと溢れてきて止まらなかった。
嘘なの。溺れ死んでいればよかったなんて、本当に思う訳がない。
だって、私はデンジ君の隣にいたいんだもの。一緒に笑いながら、光が溢れた世界を見たいの。傷ついてもいい。助けてもらったこの命で、精一杯生きていたい。

あんなに重く感じていたドアが簡単に開いた。泣きながらデンジ君の姿を追いかけた。小さかった背中がどんどん大きくなってくる。届く。
自ら光に手を伸ばしたのはこれが二度目だった。「デンジ君!」今まで出したこともないくらい大きな声で、一番大好きな名前を呼んだ。
指先がデンジ君の背中に触れる前に、振り返ったデンジ君に腕を引かれた。走る速度を殺せなかった私はそのままデンジ君に衝突してしまったけど、彼は数歩よろめきながらも私をしっかりと抱きとめてくれた。
涙でぐちゃぐちゃになっている顔でデンジ君を見上げる。彼は笑っていた。笑って、良く出来ました、とでも言うように私の頭を撫でてくれた。その手がとても暖かくて優しくて、私はまた泣いてしまったのだ。
そして気付いた。導かれるだけではなく自ら光がある方に進んでいけば、世界はこんなにも切り開かれるのだということを。自分で輝く力を持つ太陽は、決して闇に負けたりしないということを。

ごめんね。もう、泣き言なんて言わないよ。ううん。たまに、また闇に飲み込まれてしまいそうになる時があるかもしれない。
でもそんなときは、太陽の存在を思い浮かべるよ。いつも私を見守ってくれて、手を差し伸べてくれる存在が近くにあることを思い出すよ。
たった一人でいい。私の味方だという存在がいるだけで、私はもう生きることを怖がらない。







少しだけ、昔のことを思い出しながらデンジ君の背中を見つめた。あの時より何倍も大きくなった今日の彼の背中は、少しだけ疲れているように見えた。
こういう時、デンジ君は何も言わないけれど、何かあったのかなって思う。少しだけ彼の心をひっかくような、そんな出来事が。だから。

「……レイン?」
「なぁに?」
「お前からくっついてくるなんて珍しいなと思って」
「嫌、だった?」
「……いや、すげー落ち着く」
「良かった。もう少し、こうしていていい?」
「ああ」

デンジ君の左肩に頭を乗せて、彼の左手を私の両手でぎゅっと握りしめる。
言いたくないなら何も聞かない。何も言わなくてもいい。
でも、傍にはいさせて欲しい。
デンジ君が抱えている小さな重石を、少しでも減らしたいから。何も出来ない私だけれど、私はここにいるよって、私だけは何があっても味方だよって、この手を通して伝えられますように。
もしも、デンジ君が海に沈む太陽のように輝きをなくしてしまった時は、私が輝かせる手伝いをしたい。幼い頃、彼が私の手を引いてくれた時、そう誓ったから。




BGM: 深海少女/初音ミク
    歌に形はないけれど/初音ミク


2012.3.28


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