垂れ流しのラブソング


 喉元まで出かけていた言葉を飲み込み、ぼくは人混みの中にサッと紛れ込んで、声をかけようとした人を、いや、その人たちを見つめた。
 昼を過ぎた頃、ナギサシティに到着したぼくは、久しぶりだからデンジさんに挨拶をしようと思ってナギサジムに向かおうとした。でも、手ぶらで行くのも何だし、何かお菓子でも差し入れに買っていこうと思い、スーパーに寄ったのだ。
 何を買っていこうかなぁとスーパーの中をぐるぐる回っていると、一際目立つ金髪が人混みから頭一つ分だけ飛び出て見えた。デンジさんだった。デンジさんがスーパーにいるなんて、何とも言えないくらい不自然だったけど、背が高いしかっこいいし、やっぱり目立つなぁと思った。

 ぼくは声をかけようとして口を開いたけれど、ここで冒頭に戻る。

 デンジさんに声をかけようとしたぼくは、反射的に人混みの中へと身を隠した。デンジさんの隣に、レインさんがいたからだ。デンジさんは背が高いし目立つから遠くからでもわかったけれど、レインさんの身長はぼくとそう変わらないから、近付くまでわからなかったんだ。
 別にレインさんがいるからといっても、何ら不思議はない。レインさんもナギサシティに住んでいるし、デンジさんとは仲が良いし……というか、確か二人は恋人になったんだった。少し前に、ヒカリが興奮気味に報告してきたときは、驚いたっけ。
 だから、二人が一緒にいることには何も驚かないのだけど……どうしてぼくは隠れてしまったんだろう。
 飲み物を選んでいるフリをしつつ、野菜売場にいる二人の会話に耳を傾けてみた。

「そうそう、イチゴを忘れてたの。チマリちゃん、イチゴ大好きなのに」
「あと他に必要な物はあるか?」
「えっと、生クリームと……」
「あ」
「なぁに?」
「プリンも食いたい」
「ふふっ。わかったわ。じゃあ、ケーキと一緒に作るわね。子供たちも喜ぶだろうし」
「ああ」

 どうやらケーキを作るみたいだけど、何かお祝い事だろうか。と思ったけど、そういえばもうすぐクリスマスだということに気が付いた。
 子供たちって言っているし、孤児院でパーティーでもするのかもしれない。デンジさんもきっと参加するんだろう。なんだか、楽しそうだなぁ。というか、本当にもうみんなから公認なんだな、二人って。
 二人の会話を聞こうとして背後に意識を集中させていたら、脳は別の声まで拾ってしまった。声だけしかわからないけれど、噂好きの主婦、といった感じだった。

「あら? あれ、ジムリーダーじゃない?」
「ほんとね。相変わらず綺麗な顔してるねぇ。目の保養だわ」
「ほんと、性格まで完璧だったらうちの娘の婿にもらいたいくらいよ」
「停電癖は、まぁ今に始まったことじゃないからねぇ」
「まあね。それより、隣にいるのは、ほら、幼馴染の? 孤児院で手伝いをしている子じゃなかった?」
「そうそう! 一緒に買い物なんて、仲良いねぇ。というより、とうとう付き合いだしたんだろうね」
「ええ。ジムリーダー、前は派手な子ばかり連れ歩いてるところを見かけたたけど、ようやく落ち着いたのかも」
「そうねぇ。レインちゃんは気立てがいいし面倒見もいいから、うまくジムリーダーとやっていけるでしょうよ」
「それに、本人たちがあれだけ幸せそうなんだから、何よりね」

 ここまで会話を聞いてみて、どうしてぼくが二人に声をかけられなかったのか、ようやくわかった気がした。
 メモを見ながら食材を選んでいるレインさんと、その隣で買い物かごを持ってあげてるデンジさん。二人ともぼくの知り合いのはずなのに、まるで全然知らない人のように見えたからだ。あんなに幸せそうな顔をしている二人を、ぼくは見たことがないから。
 ぼくだって幸せだと感じることはたくさんある。博士の研究を手伝っているとき。コンテストで優勝したとき。家族や友達やポケモンと過ごすとき。みんな、ぼくの幸せ。
 でも、レインさんとデンジさんは、ぼくが知らない幸せを知っているんだと思う。だから、知ってるはずの二人が知らない人のように見えてしまって、そんな二人が、少しだけ羨ましくて。

「あら? コウキ君?」
「!」

 意識を飛ばしていたところで背後から名前を呼ばれ、ぼくは持っていたペットボトルを落としてしまいそうになった。床に衝突する前に、なんとか反射的にそれを掴み、顔を上げる。
 そこには、ぼくが知る表情をした二人がいた。目を細めてにこにこしているレインさんと、少しだけ仏頂面のデンジさん。これが二人のデフォルトの表情だ。

「やっぱり、コウキ君だったわ。デンジ君」
「ああ。その帽子とリュックとマフラーはコウキのトレードマークだからな」
「あ、あはは。こんにちは」
「こんにちは。ナギサに来るなんて久しぶりね。どうしたの?」
「い、いえ。近くまで来る用事があったんで、ちょっと寄ってみたんです」
「そうだったの。ねぇ、よかったらコウキ君も一緒に来ない? 今からナギサジムで、クリスマスパーティーをするの。デンジ君がクリスマス仕様に、ジムをライトアップしてくれたのよ」
「レインが住んでる孤児院の子供たちも来るんだ。コウキ。レインが料理を作ってくれる間、子供たちの相手をしてくれ」
「ぼ、ぼくがですか?」
「オレはチマリの相手だけでもいっぱいいっぱいなんだ」
「はぁ……別にいいですけど」
「決まりね」

 本当に嬉しそうにレインさんは笑った。ぼくが行って邪魔じゃないかなぁと思ったけど、大丈夫みたいだ。というより、二人きりじゃなかったみたいだし。でも、パーティーが終わったらきっと二人で過ごすんだろうから、早めにお暇しよう。
 なんて、余計なお世話かもしれないことを考えながら、レインさんを挟んでデンジさんと三人で並んで話しながら歩いた。ぼくがいなかったら、二人とも手を繋いでいたんだろうなぁなんて思った。
 レインさんもデンジさんも笑っているけれど、もう、ぼくが知らない幸せを感じている表情をしていない。きっと、二人だけのときじゃないとあんな顔はしないんだろうな。

「あっ」
「あ?」
「雪だわ。ほら」
「ああ。どうりで冷えるわけだ」
「綺麗。ホワイトクリスマスね」
「寒くなかったら最高なんだけどな」
「ふふっ」
「夜はあったかいの食いたい。コウキが子供の相手をしてくれるなら、オレも作るの手伝えるし」
「本当? じゃあ一緒に……コウキ君? どうしたの?」
「え? 何がですか?」
「何だがずっとニコニコしてるから」
「本当だな。どうした?」

 どうしてって、そんなの決まってる。デンジさんとレインさんが、来年も再来年もずっと、今みたいに雪を見上げて寄り添ってる姿を容易に想像できたから。
何の変哲もない二人でいられる日常が、きっと、二人の幸せそのものなのだ。



2011.12.30


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