追放先のユートピア


 こめかみがジンジンする。吸い込む空気は氷のように冷たく、あっという間に体温を奪っていく。指先の感覚はないに等しい。どうして、馬鹿みたいに寒い夜に薄いTシャツ一枚で、ナギサの街を泥棒のように隠れながら逃げ回らなければならないのだろうか。
 理由はわかっている。わかっているんだ。
 オレはナギサ名物であるポケモン岩に飛び移り、陰に身を隠しながら、事の始まりを思い返した。

 十二月に入り、世間はクリスマスムード一色に染まっていた。ポケモンセンターやフレンドリーショップのBGMは定番のクリスマスソングに変わり、ニメートルはあるクリスマスツリーが店内に設置されるようになった。
 それはナギサシティに限らず、シンオウ地方の各街の住人も、それぞれ街の個性を生かしたクリスマスの飾り付けを楽しんでいた。
 例えば、豊かな森が近くにあるハクタイシティはハクタイの森全域に赤い靴下やリースを飾っていたし、年中雪が降っているキッサキシティでは雪を削ってこおりタイプのポケモン像を展示する雪祭りが開催された。
 もちろん、ナギサシティだって負けてはいられない。ナギサシティならではの飾り付けをするために、住民たちはナギサジムのドアを叩いてオレに応援を呼びかけた。改造好きで電気に強いジムリーダーは、こういうときに住民から頼りにされる。
 クリスマスを筆頭に、ハロウィンや星祭りなど、行事があるたびに、オレはその季節に因んだイルミネーションの飾り付けを提案した。ここはこんな灯りがいいんじゃないのか、ここが光らないのは回線が間違っているからじゃないのか、エコのためにLEDを使ってみたらどうか、等々。
 元から電気関係の工事や機械いじりを好いていたので、住民から頼りにされて悪い気がするはずもなく、そのたびにナギサシティ全体で一致団結し、素晴らしい飾りを完成させてきた。
 今年も例外ではなかった。青と白を基調とした幻想的なイルミネーションを歩道橋、灯台、海上などに飾り付けた。その美しさは自負している。オレが指揮を執ったのだから当然のことだ。実際、この冬のナギサシティはこのイルミネーションのお陰で恋人たちに人気の名所として雑誌などにも取り上げられたのだから。
 例外はなく、今年も華やかなクリスマスを迎えるはずだった。迎えられる予定だったのだ。

 ……今日、十二月二十四日、オレが大停電を起こしさえしなければ。

「ゴルァ! デンジ! どこ行ったー!?」

 オーバの怒号に身を縮こまらせた。別にあいつにビビっているというわけではなく、あいつの後に続いている住民たちの声から逃げ隠れているのだ。

「ジムリーダーはいたか!?」
「今夜彼女にプロポーズするつもりだったのに、停電のせいで台無しだ!」
「せっかくみんなで飾り付けたイルミネーションが!」
「今日という今日ばかりは許さん!」

 オーバを先頭にしてナギサの住民たちが夜のナギサシティをぞろぞろと徘徊してジムリーダーを探すなんて、他の街の住民が知ったら腹を抱えて笑い転げることだろう。あまりにも情けないという自覚はある。
 ナギサシティより外への情報漏洩を断固として阻止したいが、ここまで大規模な停電だとそれは無理な話だ。翌日の新聞には『クリスマスイブにナギサシティ大停電! 犯人はまたしてもお騒がせジムリーダー!』なんて見出しで、でかでかと記事が掲載されることだろう。
 仏の顔も三度までという言葉があるが、ナギサシティの人たちは優しかった。オレがジムの改造などで何度ナギサシティを停電させても、オレを見限るようなことはしなかった。チクチク小言を言われることはあったが、住民たちはなんだかんだオレを許してくれた。「おまえの停電はもはやナギサの名物でみんなも日常化しちまったんだよ」と、オーバが呆れていたことを思い出した。
 しかし、さすがの今日ばかりは許される事態ではないらしい。家族と、友達と、恋人と、クリスマスを過ごすことを楽しみにしていた住民たちは、昨日までオレに向けていたそれとは目の色を変えて、オレを捜し出し血祭りにしようと停電した街を鼻息荒く徘徊しているのだ。

「そーだ! ポケモン岩のほうは見たか!?」

 オーバが持つ野生の勘の鋭さをこれほどまでに呪った日はない。揃った足音がオレの体を慄かせる。こんなのクリスマスじゃない。ただのホラーだ。
 さて、どうしたものか。背後は海だ。飛び込んで逃げれば水音でバレる、という以前に真冬の夜の海の水温で心臓発作でも起こしそうだ。
 ランターンに出てきてもらうか、と腰に手を回したところで絶望した。手持ちたちはみんな、ジムに置いてきたモンスターボールの中だ。停電したジムに、モンスターボールから出しもされずに置き去りにされたポケモンたちは、オレを恨んでいるか呆れているか。クリスマスを楽しみにしていたライチュウからは、間違いなく電撃を食らうことになるだろう。
 いよいよ、足音がすぐそこまで近付いてきた。大人しく捕まってしまえば身を刺す寒さからは解放されるだろうが、その代わりに住民たちからの説教が待ち構えている。究極の選択である。肉体的苦痛から逃れる代わりに精神的苦痛を味わうか、否か。

 ーーちゃぷん。背後で水面が揺れた。

 恐る恐る振り向くと、水面が盛り上がってそこからラプラスが現れた。レインのラプラスだ。ラプラスはポケモン岩を回るように泳ぎ、オレが隠れている裏側から歩道から見える表側に回った。

「レインのラプラスじゃねぇか! なあ、デンジ見なかったか!?」

 オーバの問いに、ラプラスは一鳴きした。同時に水面がバチャバチャと叩かれる音がした。

「あっちで見たのか! ありがとな!」

 ラプラスがなんと言ったか人間のオレにはわからないし、ポケモン岩の裏側にいたのでどんなジェスチャーを示したのかもわからないが、オーバを先頭にして住民たちはポケモン岩の傍から足早に離れていった。とりあえずは助かった……いや、助けられたようだ。

「ラプラス、オレを庇ってくれたのか。ありが……」

 ヒョイッと、襟元を摘まれてポケモン岩から浮かび上がったオレの体は、そのままラプラスの背中に下ろされた。そのまま、ラプラスは海を泳いでいく。どうやら北の浜辺に向かっているようだ。音を立てずに、しかし素早く海を泳いでくれているということは、オレが置かれている状況を理解しているのだろう。
 だんだん浜辺が近付いてきた。同時に、小さな人影が見えてきた。真っ暗闇な中でもわかる。レインだった。浜辺に着くと、オレは奥歯をガチガチ言わせながらラプラスの背を降りた。

「デンジ君」
「レイン……」
「! すごく体が冷えてる……温めなきゃ」

 レインはオレの手を自分のそれで包み込んで、はあっと息を吐きかけてくれた。……レインが女神に見える。いや、オレにとっての女神ではあるが、他からしたら悪にもなりうるのだろう。レインの善悪の基準はオレなのだから。街一つ停電させた男の肩を持つ女は、他から見たら同類に違いないのだ。
 オレたちは足音を立てないように歩道橋を渡り、ナギサジムに向かった。入り口の自動ドアは開かないため、裏口に回って中に入る。停電を起こした直後、これはまずいと逃げ出すとき、上着を羽織ることも忘れて裏口からジムを飛び出したので鍵は開いていた。
 扉を開けたところで額に鈍い衝撃を受けた。あまりの痛みに両手でそこを押さえ、蹲る。

「っ……!」
「ラーイチュ……!」
「ら、ライチュウ。デンジ君にアイアンテールしちゃ……!」

 どうやらクリスマスを台無しにされてご立腹のライチュウが、鋼の尻尾をオレの額に振り下ろしたらしい。本気の威力だとバトルフィールドに穴を開けてしまうほどの技である。さすがに威力は抑えてくれたようだが、いくらなんでも勘弁して欲しい。
 額はジンジンと痛むが、それ以上に寒さのほうが勝っている。心配そうに身を屈めてオレの額の様子を見ようとしたレインの手を引いて、腕の中に閉じ込めた。真っ暗でよくわからないが、きっとレインの頬は真っ赤に染まっているだろう。

「で、デンジ君」
「寒ぃ……」
「……大丈夫?」

 おずおずといった様子でオレの背に腕を回し、温めようとしてくれるレインのことが本気で女神に見えた。そう高くはないレインの体温だが、今のオレにとっては懐炉のように感じる。
 レインを足の間に座らせて、よりいっそう密着させるように抱き寄せる。頭をかき抱くようにすれば鼻先がレインの髪に触れ、仄かにシャンプーの香りがした。

「あったけー……落ち着く」
「で、デンジ君、苦し……」
「ああ、悪い」

 少しだけ腕を弛めれば、レインがひっそりと熱い息を吐き出した。

「ごめんなさい。孤児院のガーディを連れて来ればよかったわね」
「いや、レインの体温だけでも十分だ。本当に凍え死ぬかと思った……」
「街の人たち、デンジ君が停電を起こしたことを怒っていたの?」
「……ああ」

 情けなくてレインの顔を見られない。そもそも、この暗がりでは表情さえ読みとれないだろうが、オレは視線を窓の外に彷徨わせていた。さっきまでは降っていなかったが、今は雪がちらほら舞っている。ホワイトクリスマスに大停電とは、なんともシュールな組み合わせだ。

「レインがラプラスにオレを探すよう言ってくれたのか?」
「ええ。ナギサジムでクリスマスパーティーをする予定だったでしょう? でも、お料理を用意している途中に停電して、驚いてナギサジムに来たら裏口が開いててデンジ君がいなかったから、みんなに探しに行ってもらったの。モンスターボールから出てきたライチュウたちに聞いたら、デンジ君はすごい勢いでジムを飛び出したって言ってたから」
「……」

 「私のポケモンたちはみんなジムの裏の海にいるわ」と言うレインの声が遠くに聞こえる。
 全く、情けないことこの上ない。レインとオレと、オレたちのポケモンたちと一緒に過ごすはずだったせっかくのクリスマスを、オレは自分の手で台無しにしたのだから。

「……はぁ」
「デンジ君? まだ寒い?」
「ヘコんでるんだ……」
「デンジ君が?」
「あのな……オレだって落ち込むときは落ち込むぞ」

 意外そうな声が腕の中から聞こえてきたので、手探りで頬を探し当てて軽く抓ってやると、なんとも抜けた声が聞こえてきた。

「で、デンジ君、いひゃい……」
「はぁ……」
「で、でもね、私、わかってるわ」
「ん?」
「デンジ君は楽しいクリスマスにするために、最後にジムを飾り付けててくれてたのよね?」

 ……そう。ナギサシティをイルミネーションで飾って、最後にこのナギサジムの飾り付けを終えようとしたときに、電力は限界を迎えた。全ての回路に異常がないことを確認し、最終チェックをしようと電気を流したとき、この大停電が起きたのだ。
 レインは喜んでくれるだろうかと、そんなことを考えながら黙々と作業をしていたのが数時間前のこと。それは叶わなかったけれど、腕の中のレインは笑っている気がした。

「その気持ちが一番嬉しいの。デンジ君、ありがとう」
「レイン……」

 そのとき、視界が真っ白になった。突然の光に目が眩む。ぎゅっと目を閉じながら、なぜいきなり電気が戻ったのかと考えた。自動的に復旧したとは考えがたい。と、なると。

「デンジ君! すごい……綺麗……!」

 歓声が聞こえてきたので、ゆっくりと目を開けた。オレがこの日のために作ってきた回路に電気が流れ、バトルフィールド中に光の海が作り出されていた。
 街のイルミネーションと同様、青と白を基調としたそれは海をテーマに作ったものだ。海の中を上から下へと流れる白い光は、雨のようにも見えるだろう。
 海と雨。クリスマスとはなんの関係もないけれど、それがレインは大好きだから。

「すごい…‥まるで海の中にいるみたい……綺麗……!」
「レイン」
「ねぇ、デンジ君。これを見せようとしてくれたのよね? すごく綺麗……ありがとう」

 光の中で、レインが本当に幸せそうに笑った。たったそれだけで、今までの苦労が報われた気がした。そうだ、灯りをつけてくれたであろうオレのポケモンたちにも後々礼を言わないといけないな。
 レインはオレの胸に背中を預けて、いつまでもイルミネーションを見上げていた。レインの胸の前で緩く腕を組んで、オレも一緒になってそれを見ていた。
 もう少ししたら、灯りに気付いた住民たちがここに駆けつけて叱られるだろうが、今はどうでもいい。オレが望んでいたものは今、確かに腕の中に在るのだから。



2010.12.16


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