初恋は眠るように息を止めた


チマリは、デンジのことが好き。だって、かっこいいし、ジムリーダーだし、ポケモンのこと教えてくれるし、口は悪いけど優しいから。
孤児院でピカチュウ達と遊んでいたチマリと初めて会ったときに、ぱっと目を見開いて「ナギサジムでトレーナーとして強くならないか?」って、誘ってくれたから。

チマリはデンジが好き。大好き。だから、デンジの周りにいる女の人は嫌い。デンジに抱きついたり、甘えたりしてるからというのもある、けど。
女の人はみんなデンジがいるところじゃチマリにお菓子をくれたり、バトル強いねって言ってくれる。でも、デンジがいなくなったとたんに煙草を吸い出して無口になって、チマリのことを変なものを見るように見下すの。
「変な格好。お母さんがいないから頭がおかしくなっちゃった?」なんて言う人もいた。そして、デンジが来たらまた猫なで声で「チマリちゃん」と言う。気持ち悪い。
その赤い唇も、真っ黒な目元も、胸元が開いた服も、全部気持ち悪い。
だから、チマリは女の人たちにいつも反抗的な態度をとった。そうすると、女の人はチマリを怒ろうとするけど、その女の人をデンジが怒って女の人が泣き出して、女の人は二度とジムに来なくなる。
「チマリは気にしなくて良いからな」そう言って、包み込むように笑ってくれるデンジが大好きだった。
でも、また違う女の人が現れても、たいていその繰り返し。チマリだけのデンジは、ほんの少しの間だけ。

デンジの周りにいる女の人はみんな嫌い。だから、孤児院でチマリのご飯を作ってくれたり、ジムまで送り迎えをしてくれるレインちゃんのことも、嫌い。
レインちゃんだって、デンジの前ではいつもにこにこしてるけど、二人だけになるとチマリを虐めるんでしょ。デンジを独り占めしようとするんでしょ。
ジムまで送ってもらうときは、ピカチュウを外に出してレインちゃんと二人きりにならないようにする。孤児院に帰るときは「レインちゃんと二人は嫌だ!」とグズって、デンジにもついてきてもらう。レインちゃんがいつも寂しそうな顔をするのは、気のせいだ。
でも、チマリとデンジとレインちゃんで帰っていると、デンジは今までの女の人にもオーバにもチマリにも見せないような、本当に優しい顔でレインちゃんを見つめるから、チマリの中にふつふつとイヤな気持ちが生まれてくる。
レインちゃんはずるい。やっぱり、デンジを独り占めする気なんだ。チマリの方がデンジを好きなのに、デンジもチマリのことが好きなのに。

ある日、チャレンジャーが立て続けに来て、デンジはチマリを孤児院に送れなくなった。レインちゃんと二人きりにならないようにピカチュウを外に出そうとしたけれど、バトルで疲れたピカチュウ達はその日一日ポケモンセンターで休息中だという事を思い出した。
レインちゃんのイーブイも今日はいないから、本当にチマリとレインちゃんの二人きりだ。
帰り道にレインちゃんは「今日のジム戦はどうだった?」とか聞いてくるけど、全部そっぽを向いてしらんふりした。車通りが多い道に出て「危ないから手を繋ぎましょう」と言われたけれど、その手を叩いてレインちゃんを睨みつけた。
そして、チマリは走った。レインちゃんから逃げるように走った。
優しくしようとしているのは演技だ。チマリを油断させようとしてるんだ。仲良くなった振りしてデンジに良いところを見せたいだけなんだ。
後ろからチマリの名前を呼ぶ声がしたけど、知らない。がむしゃらに走った。ひたすら走った。それこそ、周りが見えないくらい一直線に。
横断歩道を走り抜けようとしたとき、歩道の真ん中で信号が赤だったことに気付いた。ポケモンが氷付けにされたみたいに、体中の動作が止まった。
クラクションを鳴らして車が近づいてくる。
怖い、でも、体が動かない。
次の瞬間、思い切り後ろに引かれてレインちゃんに抱きしめらながら道路に倒れ込んだ。車は何事もなかったかのように走り去っていく。
チマリを抱き抱えるレインちゃんのこめかみが切れて、少し血が出ていた。驚いて目を見開くと、レインちゃんは「チマリちゃん、痛いところはない?」と言ってくれた。自分の方が痛いはずなのに、なんで嫌いなチマリのことを心配できるんだろう。
そう思っているとレインちゃんは「チマリちゃん、私のことが嫌いでも良いわ。でもね、私はいつもチマリちゃんが元気でいられるように頑張っているつもりなの。だから、お願い。言うことだけは聞いて欲しいの。チマリちゃんにもしものことがあったら、私はもちろん孤児院のみんなや、デンジ君だって傷つくんだから。みんな、チマリちゃんが大好きなんだから」と言って、チマリを抱きしめた。
このとき初めて、デンジ君がレインちゃんのことを優しい目で見る理由が、少しだけ分かった気がした。

次の日は、レインちゃんと手を繋いでジムに行った。仲良くなったチマリたちの姿を見たデンジが嬉しそうだった。レインちゃんと「帰りも手を繋いで帰ろうね!」と約束の指切りをして、チマリとデンジはジムに入った。
高い位置にあるデンジの肩にジャンプして飛びついて「レインちゃんだったら、デンジのお嫁さんになっても、チマリ許してあげる」と言ったら、デンジはまるでオクタンみたいに顔を真っ赤にして、口元を手で覆い隠していた。デンジにこんな顔をさせるなんて、やっぱりレインちゃんはすごいと思った。







「なぁんてこともあったなー。そう昔のことでもないけど」
「ん?」
「なんでもない!」
「そうか。それなら集中してろ。ナズナに負けるぞ」
「負けないもん!ピカチュウいっけー!“電光石火”!」

デンジは、いつもとは見違えるほど真面目に、ジムリーダーとしての仕事を全うしている。いつもならこの時間にもなると、ふらりとジムを抜け出して浜辺で黄昏る頃合いなのに。
理由は明確。今日はレインちゃんがジムに遊びに来ているから。
ナギサジムで一番広いバトルフィールドにみんなを呼んで、ジムトレーナー同士の戦いを観察し、今のは良かったとか、さっきの技はこうすれば避けれるとか、みんなにアドバイスをして回っている。
時折、観覧席をちらりと見上げてレインちゃんと目を合わせると、デンジはあの笑顔で笑うんだ。ジムのみんなにも、オーバにも、チマリにも見せないような、とっても優しくて綺麗な笑顔で。
あの時と違うのは、レインちゃんもまた、本当に綺麗な柔らかい笑顔で、デンジのことを見つめているということ。
そんな二人を見ても、昔みたいにイヤな気持ちにはならない。だって、チマリはデンジのこともレインちゃんのことも大好きだから。大好きな二人が一緒に笑ってくれてると、すごく嬉しいから。
だからもう、平気なの。むしろ、今は二人のことを、本当のパパとママみたいな、そんな気持ちで見ているから。
最近になって、昔チマリがデンジに抱いていた気持ちの名前を、知った。それと同時に、やっぱり初恋って叶わないことの方が多いんだなぁって思いがら、ピカチュウにボルテッカーを命じた。
これでチマリの勝ち。ナズナちゃんのライチュウは戦闘不能。
きっと、デンジは、よくやったなって言って、頭を撫でてくれるんだ。昔から変わらない、チマリ専用の、そう、パパのようなあの笑顔で。





──END──

2010.10.29


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