もっと君を好きになった


※「盲目を密かに破いて」デンジ視点



 今日は六月十日。あと六時間ほどで日付が変わる時間だ。
 レインがオレの『恋人』という存在になって初めて迎えるレインの誕生日の前日が、今日だ。
 前日から一緒にいて、日付が変わるときも、誕生日当日も一緒に祝うと、ずっと前からオレはレインと約束していた。
 しかし、本当につい最近まで、オレの頭は誕生日前日に全地方ジムリーダー及びチャンピオン会議が入ってることをすっかり忘れていたのだ。
 全地方の最強ジムリーダーとチャンピオンがカントー地方に集まる大会議だが、オレはさして興味もない。強い奴らとバトルできるかもしれない、それだけは唯一の楽しみだがレインの誕生日と天秤に掛ければどちらに傾くかは一目瞭然だった。
 いっそばっくれようとしたのだが、チャンピオンに踏みつけられそうになったので、レインにはギリギリになって謝ると「お仕事なら仕方ないものね。いってらっしゃい」と、レインは笑ってオレを送り出してくれた。
 カントーには三日ほど滞在しなくてはならないが、誕生日前日までには必ず帰ることを約束すると「ありがとう。でも、無理はしないでね」と、レインはまた微笑んだ。
 物分かりがよくて思いやりのある女だろう? 本当によくできた彼女だと思う。
 しかし、少しくらい寂しがったり、がっかりしてくれてもいいんじゃないかと思ったりする。前からあいつはオレに気を遣いすぎなんだ。
 レインが何を思ってオレの言葉を聞いていたかのかはわからないが、少しくらい我が儘を言ってくれてもいい。
 それを、会議のメンバーで一番年が近そうなホウエンチャンピオンのダイゴに相談すると。

「心苦しいかもしれないけど、ちょっと嘘を言って反応を見てみるっていうのはどう?」

 と言われたので、会議中に二人で立てた作戦を実行に移してみることにした。
 ナギサジムの陰に隠れながら、オレはスマートフォンを開いた。時間は十八時を過ぎた。オレがレインに帰ると告げた時間である。
 数回のコールのあと、久しぶりにレインの声を聞いた。

『もしもし? デンジ君?』
「ああ」
『もうシンオウに着いたの?』
「そのことなんだが……悪い」
『え?』

 喉の奥がゴクリとなる。さあ、レインはどう出るか。

「マチスって知ってるか? カントーのジムリーダーでオレと同じでんき使いなんだが、あいつが伝説のポケモン、サンダーがたびたび見かけられる場所に案内してくれるって言うんだ」
『伝説のポケモンが見られるかもしれないの? ……すごい』
「だろう? だから、悪い。シンオウに帰るのは明日でいいか?」
『え』
「レインの誕生日が終わる前には必ず戻るから」

 伝説のポケモン、サンダー。その存在を知らなくとも、名前ででんきタイプだということは容易に想像がつくだろう。
 オレがどれだけでんきタイプのポケモンに執着しているかは、レインがよく知っている。これが滅多にないチャンスだということも理解しているだろう。
 自分の誕生日より、伝説のポケモンをとると言っている恋人に、レインはどういう反応をする?
 このときオレは、怒ったり、悲しんだり、寂しそうな反応が返ってくることを期待していた。のだが。

『わかったわ』
「悪いな」
『ううん』
「じゃあ、またな」

 ブチリと電話を切ったオレは、その場にしゃがみ込んだ。返ってきたのは期待していた反応と真逆のものだったからだ。
 レインは、オレをカントーに送り出したときと同じ声色で、すんなりとオレの言葉を受け入れたのである。
 もしこれが、寂しい気持ちを飲み込んでの台詞だとしたら、レインは本当にオレに気を遣いすぎていると思う。それとも、心の底と言葉が本当に同じなのだろうか。そうだとしたら、どれだけ物わかりがいいのだろう。
 ふつう、約束を、しかも誕生日に会う約束をキャンセルされたら怒っていいだろう。悲しむだろう、ふつう。
 レインにとってオレはどんな立ち位置にいるのか、よくわからなくなってきた。

 着信でスマートフォンが震えた。ホウエンチャンピオン、ダイゴだ。
 電話に出るなり、あいつは楽しそうに話しかけてきた。

『どうだった? 寂しがってもらえた?』
「わかった、だと」
『え?』
「怒りもしないし、悲しみもしない」
『……それ、本当に付き合ってる? どうでもいいって思われてるんじゃないの?』
「……」

 的を射てるというか、その可能性がないと否定できない自分が嫌だ。
 ダイゴとの電話を切ったあとも、しばらくボーッとしていた。今更出て行って嘘だったというのも格好悪すぎる。というか今、レインの前に出て行って平静を装う自信がオレにはない。
 明日までどうやって時間を潰そうか。あいつと会わないようにジムに引きこもって……。

 そのとき、再び携帯が鳴った。……レイン?

「レイン?」

 スマートフォンの向こう側からはなんの声も聞こえてこなくて、沈黙がしばらく耳元で流れた。レインは、どこか言葉を探しているように感じられた。

『あ……あの、言い忘れたことがあって』
「なんだ?」
『えっと……会議お疲れさま。残りの時間は楽しんで来てね、って』
「……わざわざそのためにかけ直してくれたのか?」
『……うん』
「そうか……サンキュ」

 嗚呼もう、どこまでお人好しというかなんというか。脱力感を通り越して少々の苛立ちさえ沸いてきそうだ。
 しかし、本人に悪気はないのだろうから、オレのこの想いをぶつけられない。
 オレは、本当は。

『……違うの』
「ん?」
『本当は、今すぐ、帰ってきて欲しい』
「……レイン?」
『デンジ君がくれた、私の、誕生日に、少しでも長く、一緒に、いたい』
「……」

 聞こえてきた言葉に耳を疑った。今のオレは相当な間抜け面をしているに違いない。
 なんだ。やっぱり、寂しい感情を殺していたのか。

『我が儘言ってるって、わかってる、けど、私』
「……わかった」

 すぐさま電話を切って、走った。滅多にない我が儘を叶えてやりたい。一刻も早く、会いたい。
 ソーラーパネルの上を走り抜けながら、レインの姿を街の中に探した。波の音や潮風の音が聞こえてきたから、きっとあいつは外にいるはずだ。
 そして、シルベの灯台の前まで来たとき、海を向いて俯いているレインを見つけた。躊躇うはずもない。小さな体を後ろから思い切り抱きしめた。

「帰ったぞ」
「……え?」
「ただいま」
「おかえりなさい……って、デンジ君!?」
「おう」
「なんで? だって、まだ、カントーにいるはずじゃ」
「……悪い。少しだけ、試した」
「え?」

 目をパチパチさせながらオレを見上げるレインを見ていると、少しだけ良心が痛んだ。目の回りに、少しだけ泣いた跡があったんだ。

「誕生日に帰れないなんて言ったら、レインは怒るか、悲しむか、それとも何とも思わないか、自分の気持ちを飲み込むのか、ってな」
「どうして……」
「……我が儘言ってもらえないのも、案外寂しいものなんだぞ?」

 そうだろう? 本音を言い合えない関係なんて、寂しすぎるだろう?
 だから、こうして素直に想いを伝えてくれて、抱きついてくれて、本当に嬉しいんだ。

「帰ってきてくれてありがとう」
「ん」
「デンジ君……大好き」

 嗚呼、これではまるでオレばかりが幸せをもらってるみたいだ。
 今回の主役はレインだ。だから、もういらないってくらい、たくさんの幸せを贈ってやりたい。小さな体を抱き返しながら、そう思った。


 * * *


 時刻は深夜二時を回っている。今日がレインの誕生日だ。
 午前0時になった瞬間に「誕生日おめでとう」とキスをして、めいっぱい愛した。
 そのあと、オレの隣でスヤスヤと眠っているレインの腕の中には、オレが贈ったポケモンのぬいぐるみが抱えられている。
 誕生日プレゼント、おまえはそれだけだと思っているだろう?
 レインを起こさないようにそっと手を取った。その手は薄暗い部屋でも浮き出されるほど白く、細かった。
 左手の小指にもう一つのプレゼントを、シルバーのピンキーリングを通した。やっぱり一号か。ほっそいよな。本当に、だから余計守ってやりたくなるんだ。
 ちなみに、薬指の指輪はいつか結婚するときに一緒に選びに行けたらいいと思っている。そんな未来を、レインも望んでいてくれたら嬉しい。
 オレもそろそろ寝るとしようか。朝になって、左手の指輪を見つけたときのレインの反応が楽しみだ。
 レインの体を抱きしめて、幸せを噛みしめながら、オレもまた眠りについた。


- ナノ -