盲目を密かに破いて


 デンジ君の『恋人』という存在になって、初めての迎える私の誕生日は、もう明日だ。カレンダーを見て日付を確認するたびに、楽しみで楽しみで仕方がなかった。デンジ君は前日から私と一緒にいて、日付が変わるその瞬間も、誕生日の当日も、ずっと一緒に祝ってくれると約束してくれた。
 そんな彼は、昨日から全地方ジムリーダー及びチャンピオン会議のためにカントー地方へ行っている。これは年に数回ある大きな会議で、全地方の代表ジムリーダーとチャンピオンが、ポケモンリーグの本部があるカントー地方に集まり、様々なことをディスカッションするらしい。
 サボリ魔だとか停電常習犯だとか言われるデンジ君だけれど、ジムリーダーとしての実力はシンオウ地方で一番なのは間違いない。彼は現在チャンピオンのシロナさんと共にカントー地方に行っている。
 お仕事だから仕方ないけど、でも、それが終わったらすぐに帰ってきてくれるって、誕生日を迎える瞬間をお祝いしてくれるって、約束してくれたから。嬉くて、楽しみで、早くデンジ君に逢いたいなって、顔が自然に綻んでしまう。

 そろそろデンジ君が帰り着くころだから、街の入り口まで迎えに行こうとしたとき、スマートフォンが着信音を発した。デンジ君、だ。

「もしもし? デンジ君?」
『ああ』
「もうナギサに着いたの?」
『そのことなんだが……悪い』
「え?」

 いきなり謝られて、私の頭の中は疑問符しか出てこなくて、デンジ君の次の言葉を待った。

『マチスって知ってるか? カントーのジムリーダーでオレと同じでんき使いなんだが、あいつが伝説のポケモン、サンダーがたびたび見かけられる場所に案内してくれるって言うんだ』
「伝説のポケモンが見られるかもしれないの? すごい……!」
『だろう? だから、悪い。シンオウに帰るのは明日でいいか?』
「え」
『レインの誕生日が終わる前には必ず戻るから』

 そう言う声は、とても必死そうだった。
 伝説のポケモン。サンダーという名前から考えてでんきタイプのポケモンであることに間違いはなさそう。そんなこと、滅多にないチャンスだし、デンジ君がどれだけ電気タイプが好きか私はよく知ってるし……うん。

「わかったわ」
『悪いな』
「ううん」
『じゃあ、またな』

 プツリ、繋がりの切れる音がなぜか虚しく感じた。
 ううん。大丈夫。楽しみが少し延びただけ。デンジ君、明日中には帰ってきてくれるって言ってたもの。きっと、一緒に、お祝いしてくれるはずだもの。
 思いの外、時間が空いてしまった。少しだけ時間を潰してから孤児院に帰ろう。母さんから「デンジ君の家に行くんじゃなかったのかい?」なんて問われそうだから、弁解も考えておかなくちゃ。
 灯台の前に張り巡らされている柵に身を寄せて、海を見てボーッと黄昏た。赤い空の光を浴びて、海までが赤く染まり、時折白い光がキラキラ反射している。
夕焼けの赤い海も綺麗だと思うけど、やっぱり私は青い海のほうが好きだ。だってそれは、デンジ君の瞳と同じ色で、いつも彼を思い出させてくれるから。
 デンジ、くん。

「おっ! レインじゃねーか!」
「!」

 上空から声が降ってきたから、反射的にそちらを見上げた。大きく気球のように膨らんだフワライドと、それに乗ったオーバ君が私の隣に降りてきた。
 この赤い海と同じ髪の色をした彼は、太陽のように眩しい笑顔でニカッと笑った。

「よう!」
「オーバ君。今日はお仕事がお休みじゃなかったの?」
「そうなんだけどよー、今から四天王の緊急会議が入ってさ。徹夜にならないことを祈るばかりだぜ……」
「大変ね……」
「というわけで、明日は会えないかもしれないから今のうちに言っておくぜ! 誕生日おめでとうな! レイン!」
「ふふっ、ありがとう」
「もちろん、デンジに祝ってもらうんだろ?」

 それが当たり前だと言わんばかりの口調でオーバ君は私に問いかけた。
 思わず言葉を詰まらせて、視線を落とす。さっきのことを話したら、オーバ君、どう思うかしら。怒るか、呆れるか、いずれにせよ約束を引き延ばしたデンジ君を責めそうだ。
 言った方ほうがいいのか、言わないほうがいいのか、わからない。でも、いつの間にか私の口はさっきの会話をベラベラと喋ってしまっていた。なんだか、胸の内から沸々とわき出てくる何かがあって、話さずにはいられなかったのだ。
 案の定、オーバ君は盛大に憤慨した。

「なんだそりゃ!? 彼女の誕生日と伝説のポケモンとどっちが大切だってんだ!」
「で、でも。私の誕生日はまた来るわけだし、伝説のポケモンには滅多に会えないし」
「レイン、ほんっとーにそう思ってるのか?」
「え……」
「あのな、おまえは昔からデンジに気を遣いすぎだ。今は彼女なんだし、我が儘というか、もっと自分の意見を言ってもいいと思うぞ」
「……」
「俺はもう行かなきゃなんねーけど……よく考えろよ?」

 そう言い残して、オーバ君はフワライドに乗って北へと飛んでいった。
 デンジ君もデンジ君だけど、私も私だと、オーバ君は言いたいのかしら。
 我が儘なんて、そんなこと、言える立場じゃない。だって、私はデンジ君のお陰で、こうしてここにいることができて、一生彼には頭が上がらないというか……でも。
 いつの間にか、私の指先は勝手にスマートフォンを操作して、デンジ君への電波を発信していた。

『レイン?』

 不思議そうに私の名前を呼ぶデンジ君の声で我に返った。どうしよう、再び電話してみたものの、なんて言えば……。

「あ……あの、言い忘れたことがあって」
『なんだ?』
「えっと……会議お疲れさま。残りの時間は楽しんで来てね、って」
『……わざわざそのためにかけ直してくれたのか?』
「……うん」
『そうか……サンキュ』

 違う。こんなの、嘘。本当の私の気持ちじゃない。
 デンジ君は嘘が嫌いな人だ。だから……勇気を出して。

「……違うの」
『ん?』
「本当は、今すぐ、帰ってきて欲しい」
『……レイン?』
「デンジ君がくれた、私の、誕生日に、少しでも長く、一緒に、いたい」
『……』

 一度本音を吐き出してしまえば、それは堰を切ったように次から次へと溢れ出てしまう。
 デンジ君が困ってるってわかっている。それでも、止まらないよ。

「我が儘言ってるって、わかってる、けど、私」
『……わかった』

 ブチッと、一方的に回線が切られた。ツーッ、ツーッという音を聞きながら途方に暮れる。
 どうしよう。怒らせたかもしれない。嗚呼、もう、色んなことに涙が出そう。
 相も変わらず海は赤い。先ほどよりも少しだけ薄暗くなったみたいだ。この海のずっと向こうに、デンジ君はいるのね。涙は出なかった。潮風が乾かしてくれたから。
 代わりに小さく鼻をすすったとき、後ろから腕が回されてきて、私はその腕に抱きすくめられた。この感触、この香り、振り向かなくても誰だかわかる。
 でも、どうして、彼が、デンジ君がここに。

「帰ったぞ」
「……え?」
「ただいま」
「おかえりなさい……って、デンジ君!?」
「おう」
「なんで? だって、まだ、カントーにいるはずじゃ」
「……悪い。少しだけ、試した」
「え?」

 いったい、どういうこと?
 腕の中で体を半回転させて、デンジ君と向き合う形になり、その顔を見上げた。その表情に、怒っているような感情は少しも見あたらなかった。

「誕生日に帰れないなんて言ったら、レインは怒るか、悲しむか、それとも何とも思わないか、自分の気持ちを飲み込むのか、ってな」
「どうして……」
「……我が儘言ってもらえないのも、案外寂しいものなんだぞ?」

 デンジ君は少しだけ寂しそうに笑った。
 嗚呼、不安にさせていたのは私のほうだったんだ。オーバ君の言うとおり、もっと自分を出してもいいんだ。デンジ君も、それを望んでくれているのだから。
 私はデンジ君にぎゅっと抱きついた。当然のように背中に回される腕が愛しい。愛しくて愛しくて仕方がない。
 少し前まではデンジ君に抱いていなかった想いが、今や私の中の全てを構成している。愛しい、大好き、そういう気持ちが溢れ出る。

「帰ってきてくれてありがとう」
「ん」
「デンジ君……大好き」

 今、私、すごく幸せだわ。幸せすぎて罰が当たるってくらい、これ以上ないほど幸せ。
 でも、数時間後、午前0時を迎えたとき「誕生日おめでとう」の言葉と共に、それ以上の幸せが唇に降ってきた。


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