レインリリーの夜2(デンジ視点)


 家に帰ったら天使がいた。間違えた。天使の寝顔で眠るレインがいた。
 オレの帰りを待っているうちにうとうとしてしまったのだろうか。ソファーの背に頭を預け、ピカチュウドールを抱きしめてくうくう寝息を立てるレインの姿は、オレにとって天使以外の何者でもなかった。恋人フィルターを取り除いたとしても、男ならば誰もがその姿に癒されてしまうと思う。
 ちなみに、ピカチュウドールはオレが買ったものではなく、チマリから貰ったものである。以前、レインと共にうちに遊びに来たチマリが「デンジの家、殺風景だからこれあげる!」と置いていったのだ。わざわざぬいぐるみを買おうとは思わないが、ピカチュウドールがあまりにも可愛かったので、いつもリビングにあるソファーの定位置に置いている。
 つまり現状は、レインとピカチュウドール、可愛いのコラボである。可愛い。萌え。癒し。可愛い。
 一人で可愛いのコラボを堪能し悶絶していると、追い打ちをかけるかの如くレインが寝言を呟いた。「デンジ君……」ぎゅう、とピカチュウドールを抱きしめ直すというオプション付きである。オレ、今死んだら間違いなく天国に行ける。幸せだ。特に目が幸せだ。叶うのならちいさくなるを使ってレインとピカチュウドールの間に入り込みたい。
 名残惜しいが、そろそろ起こさなければならないだろう。キッチンから漂う香りの元が冷めてしまう。
 そっとレインに近付いて、肩を揺らした。三回ほど頭がゆらゆらと揺れたあと、レインの瞼がゆっくりと開いた。寝ぼけ眼がまた可愛い。

「デンジ、君……」
「ただいま」
「やだ、私ったら眠っちゃって……」
「寂しかったのか?」
「え?」
「それ抱きしめながら、オレの名前呼んでた」
「!」

 レインの意識は完全に覚醒したようである。目を大きく開いてぱちぱちと瞬かせるうちに、頬が見る見るうちに赤くなっていく。そしてまたピカチュウドールをぎゅっと抱きしめて、こくりと頷いたのだ。
 このまま萌え殺されるのも悪くないかもしれないが、レインの前で醜態を晒すわけにはいかないので、あくまでも平静を装う。きあいのはちまきを巻いている気持ちになって耐えろ、オレ。

「悪かったな。オーバがバトルをしに来たから、ポケモンセンターに寄って帰ったんだ」
「そうだったのね。あ、おかえりなさい」
「ん。ただいま。お詫びにコンビニでプリンとゼリーを買ってきたから、飯食い終わってから食おう」
「ええ」
「レインはどっちがいい?」
「え? えっと、えっと……どっちも、デンジ君と半分こしたいな」
「わかった」

 ああ、もう、なんだこの生き物は可愛すぎる。抱きしめたい。息ができなくなるくらい抱きすくめたい。でも、ただ抱きしめるだけだといつもと同じなので。

「で?」
「え?」
「いつまでそれを抱えてるんだ?」
「え、あ……ピカチュウドール……」
「オレに会えなくて寂しかったんだろ? 目の前にオレがいるんだから、オレのほうがよくないか?」

 そう言いながら軽く両手を広げてみる。すると、レインはぱあっと目を輝かせた。ピカチュウドールをソファーに置いて、小走りでオレに近付き、恥ずかしそうにしつつもオレに抱きついてきた。至福である。
 改めて考えてみると、オレたちはだいぶん身長差がある気がする。レインの頭はオレの胸の辺りにあり、てっぺんがオレの肩にギリギリ届くくらいだ。男女のベスト身長差は十五センチらしいとオーバが言っていたが、オレとレインの身長差はそれを遙かに越える。
 まあ、別にどうでもいいことだ。オレ的にはレインの頭を撫でて抱きしめやすいし、キスをするときに屈まないといけないところも含めて、この身長差を気に入っている。
 レインの髪に指を差し込み、下に滑らせる。毛先は指に絡まることなくすとんと流れた。たいていの女は髪を触られることが好きらしいが、どうやらレインもそれに当てはまるらしい。気持ちよさそうに目を閉じて、オレの胸に頬をすり寄せてくる。
 誘っているのだろうか、と一瞬だけ期待してみるが、レインに限ってそれはあり得ないという結論に至った。おそらく無意識である。無意識ほど恐ろしいものはない。
 レインの温もりと香りを堪能していると、オーバが言っていたことをふと思い出した。「案外いけるかもしれないぜ?」だと。
 無責任にもほどがある言い方だ。今までの女とは訳が違う。相手はレインだ。恋人である前に、親友であり、妹であり、姉であるような、そんな存在だ。オレは今まで大切に、大切に、レインへの気持ちを育ててきて、そしてようやく実を結んだ。本当に大切にしたい相手なのだ。
 正直に言うと、こうしている今でもオレはレインのことを抱きたくて仕方がなかった。しかし、レインは抱きしめてやるだけでも本当に幸せそうな顔でオレに身を預けてくれるから、今はこれでいいのかもしれない、とも思う。そうだ、キスすら精一杯の相手にそれ以上のことをするなんて酷な話だ。
 よし、やっぱりオレはまだ我慢する。せめて、レインがキスに慣れるまでは待つ。レインに対するオレの本気を見せてやる。鋼鉄の理性を持って、オレは……ん?

「レイン?」
「え?」
「オレのことじっと見て、どうした?」
「え、あ! あの、えっと、大したことじゃないんだけど……すごく幸せだなって、そう思ったの」

 上目遣い、プラス、はにかみ、イコール、効果は抜群だ!
 頭が完全にショートしたオレの腕からすり抜けて、レインは「スープを温め直してくるわね」と言って、カウンターキッチンの向こう側に向かった。鋼鉄であったはずのオレの理性は、ティッシュペーパーのように薄かったらしい。
 オレはレインのあとを追いつつ、口元を弛ませた。どうやら、今日は帰してやれそうにない。


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